第42話
ジィマ山脈の東側にある麓の集落に辿り着くと、家々や街灯の明かりで街並みがすっかり浮かび上がっていた。疲労で重くなった足を、集落で一番の光源となっている宿へ急がせる。
アイラは下山の時ぐらい自分の足で歩くと言ったのだが、日没までにどうしても山を下りきりたいと説得し、今は俺の背中で静かに寝息を立てている。
宿は幸いにも隣り合った部屋を借りる事ができたので、寝ているアイラをネイトに託して俺はカイムと部屋に入った。
「はぁ……疲れた」
部屋に入って早々、深い溜め息を吐きながら近くにあったベッドに腰掛けた。どうにか無事に山を越えて宿に泊まることができたという安心感から、溜まっていた疲労が一気に体中を駆け巡った。
「山越えをした日の夜にあの出来事があった上、次の日は子供とは言え人一人を背負って山越えをしたのだ。無理もないだろう。今日はゆっくり休むと良い」
ベッドの横に俺の荷物を置きながらカイムが労ってくれる。
「カイムの方こそ、荷物ありがとう」
「このくらい何ともないさ。サンヤスクでは何も出来なかったからな」
武器と荷物を置き、奥のベッドに腰掛けるカイムの表情は心なし暗かった。
「そんな事ないって、カイムがいなければ地下から姉妹を助け出すことは出来なかった」
慰めなどではなく、これはただの事実だ。もしカイムがいなくて、ネイトが俺とは違う地下に入っていたら間違いなく俺は死んでいただろう。もしネイトが俺と同じ地下に来てアイラを助け出せても、ハンフィ司祭と住民に追われながらマユラを助けるのは無理に等しかった。今思えば、地下から姉妹を助けるのは同時でないと難しかったのか。今後はもっと考えてから行動しないといけないな。
「いや……ああ、ここで卑下になっても仕方ないな。私は少し出掛けて来るから、先に休んでいると良い」
降ろしたばかりの武器を手に取り、カイムは立ち上がる。
「出掛けるってどこに?」
「ここは人の出入りが多い、レゲネラツィと天使の情報が無いか調べて来る」
「カイムだって疲れてるだろ?今日ぐらいは休んで良いと思うけど」
「気遣いはありがたいが、情報収集を怠って手掛かりを掴み損ねたくはないのでな」
そう言い残してカイムは部屋を出て行く。本人の気が済む行為を無理に引き止める必要もないので追い掛けることはせず、リュックから着替えを出してシャワーを浴びる事にした。
少し温めのシャワーを頭から浴びて明日からの予定を確認する。明日は昼前に馬車に乗り、列車の通っている港町へ向かう。三日後に港町に着いて、そこから更に数時間は列車に揺られる。アイラの体力を考えると港町で一泊した方が良いだろうか。ついでに髪も切らせたいし、携帯食料や飲料水の補充も必要だ。テイングに着いたら先ずは教会かな。サムエルの件で取り調べを受けるだろうが、この際大人しく応じるとして、問題はアイラの身柄がどうなるかだ。勿論、大人しく教会に渡すつもりはないのだがサンヤスクの事を考えると難しいだろうな。俺が連れ歩くならまだしも、悪魔を宿しているアイラを手放しで一般人である両親の元に帰すのは不可能と考えておいたほうが良いな。納得はできないけど。
頭を洗い終えたので次は体を洗う。そこでふと自分の体を注視する。筋肉質でもなければ太ってもいないし痩せてもいない。こんな体でもルシルの力を使えば人間離れした身体能力を発揮できる。そういえば昨夜は白い服みたいなのに着替えたが、あれは一体何なのだろうか。ルシルが力を取り戻したことによる能力強化と思ったが、それならテイングで眼帯の男と戦った時に既に使っていただろうし、謎だ。
頭の中でルシルを呼ぶが反応はない。また俺の知らない所でなにかやっているな。今度から俺と意思疎通が不能になる時は断りを入れさせよう。
シャワールームから出て寝巻に着替え、洗面台の横に備え付けてあった温風機で頭を乾かして部屋に戻る。カイムはまだ帰って来ていないので静寂が俺を迎える。ベッドに腰掛け、天井を見上げる様にしてぼーっとする。先ほどまで考え事をしていたのに、今は全く脳が動いていない。どうしてだろうと考えて数秒、自分が睡眠を欲していることに気付く。寝るには少し早いが歯を磨いて寝てしまおう。体に力を入れて立ち上がると強い倦怠感に見舞われ、もうこのままベッドに倒れて寝てしまおうと思ったが、そうすると起きた時に口の中が酷く不愉快な感じになるので睡魔を乗り越えて洗面台に向かい、歯を磨くことにした。
歯磨きをすると眠気が取れると聞いたことがある気がしたが、今の俺から言わせてみれば全くもって嘘だ。倒れるようにベッドへ入り目を閉じると、あっという間に睡魔が意識を奪っていった。
いつもより早く寝たからか、深夜になって目が覚める。覚めたというより、まどろみの中にいたと言った方が適当だが、俺が再び寝入る前にドアの閉まる音が聞こえて少しだけ脳が覚醒した。隣りのベッドにはカイムが寝ているので、ネイトかアイラか他の宿泊客だろう。しかし、洗面台やトイレは部屋に備え付けられているので、こんな夜更けに部屋の外に出る必要は無い筈だ。気にはなるが、ここは無視して寝よう。そう決めて目を閉じるが、俺の意思に反して脳は徐々に覚醒していく。二回ほど寝返りを打って俺はとうとう起きて様子を見ることにした。カイムを起こさぬように音を立てずに部屋を出ると、廊下の奥にある大きな窓から外を眺める人影が在った。
一日を通して空を覆っていた雲はいつしか消えており、空に浮かぶ月が世界を照らしていた。その光は窓際に立つ人影もはっきりと照らしており、遠目でもアイラであることが分かった。
「アイラ、何してるんだ?」
「あ、エフィムさん。あの、ごめんなさい。わたしったらエフィムさんにおぶられている間に寝てしまって」
声をかけて初めて俺の存在に気付いた様子だったが、アイラは驚かずに頭を下げた。
「そんなこと気にしなくて良いよ」
出来るだけ優しく言ってアイラの頭を上げさせると、俺達は並んで空を見上げた。空には無数の星が輝いて見えるが、生憎と星座には詳しくないので話題には出来そうにない。
「もう一度眠ろうとしたんですけど、どうしても眠れなくて……もしかして、起こしちゃいましたか?」
眉尻を下げ、上目遣いに尋ねてくるので微笑みを返して首を横に振る。
「実は俺も早く寝ちゃって、さっき目が覚めたところだったんだ」
「それなら、良かったです……」
嘘は言ってないのだが、アイラは未だ心配そうな表情のまま空へ視線を移した。
「何か気になる事でもあるのか?」
「……わたし、これからどうなるんでしょう?」
空ではなく、どこか遠くを見る目でアイラは呟いた。アイラのこれまでの境遇を考えれば不安になるのも当然だ。だから俺は自分がアイラをどうしたいか、正直に話す事にした。
「俺はアイラを両親の元に帰したい。教会の連中がアイラをまた監禁しようとしても、俺がどうにかしてみせる」
マユラを助けられなかったのに、どうにかしてみせるとはよく言えたものだ。思わず自嘲の笑みが零れそうになるのが、どうにか堪える。
「お父さんとお母さんは、わたしを……悪魔を宿している子供を受け入れてくれるでしょうか?」
「当然だよ。何を宿しているかなんて関係ない、子供が親と暮らすのに理由や遠慮なんて必要ないんだ」
「……もし、もしですよ。両親や教会の人たちがわたしを受け入れてくれなかったら、私はどうなりますか?」
思わず息が詰まった。どうにかしてアイラを両親と暮らせるようにすると考えるあまり、気付かなかった事だ。違う、アイラの身を預かっている以上、考えるべき内容だったのに俺は心のどこかで楽観視して考えないように意識を逸らしていた。きっと上手くいく、天子だからどうにかできるという愚かな自惚れもあっただろう。だがそれ以上に、俺は家族という言葉を信じ過ぎていた節があった。それも、考えるべき事から意識を逸らせるほど盲目になるぐらい。しかし、他人じゃなくて血の繋がった家族なんだぞ。受け入れない訳が……
「ご、ごめんなさい。困らせるつもりはなかったんです……わたし、ずっと地下に居たから考えも後ろ向きになっているみたいです。わたしなら大丈夫ですから、エフィムさんはそんなに悩まないでください」
顔を引きつらせて黙っている俺に気を遣ったのだろう、アイラはおどけた笑みを浮かべると窓際から離れて部屋に向かって歩き出す。
「お話しに付き合ってくれてありがとうございました。おやすみなさい」
壁の影と長い前髪で表情はよく見えなかったが、アイラはどこまでも優しい笑顔を俺に向けてくれた。けど、その笑顔の奥には寂しさや悲しさといった陰りが確かにあった。もしかしたらその陰りは俺自身の心にある不安感が見せたものかもしれないが、何れにせよ自分の愚かさを思い知るには十分だった。
「どうして、家族が一緒に生きるのがこんなに難しくならなくちゃいけないんだ」
天使がいなければ、悪魔さえいなければ、何より俺にもっと知恵や力があればアイラが傷付く事も心配する事もなかったのに。
やり場のない怒りを両手の拳に閉じ込め、空の向こう側にいるであろう神を睨んだ。




