第41話
朝から天気は良好とは言えなかったが、いつまでも無人の町に留まる必要もないので急ぎジィマ山脈を越えることにした。
俺の目的はアイラを再び両親と共に暮らせるようにする事だ。たとえ悪魔を宿していても、子供が親と離ればなれに暮らすなんておかしい。教会が真に、人を愛する神や天使を信仰しているというのなら、悪魔に憑りつかれた子供一人ぐらい救ってみせろというものだ。天使の力を借りながら、マユラを助けられなかった俺が言える事ではないかもしれないが、今更アイラを見捨てる気は微塵もない。
整備されているとは言え、山道には変わりない。ゆっくり目に歩いてはいたが、三分の一程度を登った辺りでアイラの足取りが明らかに重くなっていた。長い間監禁されていたのだ、体力が無いのは当然と言えよう。それでも泣き言ひとつ言わずに懸命に足を動かすアイラの健気な態度に、俺はとうとう我慢できずに助けることにした。背負っていたリュックを下ろし、先頭を歩くカイムに頼んで持ってもらい、アイラの前で片膝を付いて視線を合わせた。
「アイラ、無理しないで。背中に乗って良いよ」
そう言って背中を向けるが、アイラは小さく頭を振って気丈に歩こうとする。しかし、直ぐに足が縺れて転びそうになったので、咄嗟にアイラの腕を掴む。
「ほら、転んで怪我でもしたら大変だから乗って乗って」
半ば無理矢理にアイラを俺の背に引っ張り、両腕を肩に乗せさせる。
「……ごめんなさい」
短い沈黙を経て呟く様に謝ると、かなり控えめだが俺の首元で腕を交差させる様にして掴まってくれた。もっとしっかり掴まって欲しいのだが、言っても遠慮するだろうし、少し悪い気もするけど驚かせてみるか。
俺はアイラの太腿に手を回すと勢い良く立ち上がった。すると背中から小さい悲鳴が聞こえ、体が反射的に落ちまいと動いたのだろう、首元に回された腕はしっかりと俺の体にしがみ付いた。
「驚かせてごめんね。でも、このぐらいしっかり掴まっててくれた方が俺も歩きやすいからさ」
「うぅ……」
自分の背中に向かって笑いかけると、アイラは微かに赤く染まった顔を隠すようにそっぽを向いてしまった。
アイラの体重は想像以上に軽く、首元に回された腕も軽く捻ったら折れてしまいそうな程にか細い。こんな小さな体に悪魔を宿し、大人たちから暴力を受けていたと思うと、天使や悪魔を地上に残した神様や世界そのものに憤りを感じた。
「良いですね」
アイラを背負う俺を見てネイトが誰にも聞こえないように呟いた。
「何か言った?」
「いえ、何でもありません。先を急ぎましょう」
振り返って聞いてみるも、ネイトはいつもの無表情のまま先を促してきたので、深く追求することはせず山道を進むことにした。
頂上に着く頃には雲の隙間から見える太陽も随分と西に傾いてしまっていた。このままでは麓の集落に着く前に日が沈み切ってしまう。焦る気持ちは勿論あるが、できるだけ焦りを表に出しさぬように努めながら遅い昼食を摂ることにした。道中、アイラだけでも先に食べさせようと思ったのだが、頑なに拒まれてしまったのは言うまでもないか。
手頃な岩に腰かけ、ネイトの作ってくれたサンドイッチを頬張る。こんなに早く、頂上からの景色を再び見れるとは思っていなかったが、天候が悪いせいなのか初めて見た時とは違った、索然とした景色が広がっていた。
特に見る物も無くなったので、ふとアイラの様子に目を向けるとネイトと話しをしていた。今まで教会の人間から散々な仕打ちを受けてきたので、ネイトには警戒心を抱くかもしれないと懸念していたが、杞憂で済んで良かった。
「アイラ、カイムは怖い人ではありません。確かに少し近寄りがたい雰囲気がありますが、柔和な方ですよ」
隠す気などなく説明するネイトの口をアイラは慌てて塞ごうと手を伸ばすが、簡単に躱されてしまう。雲の流れを見ていたカイムも、会話の中に自分の名前が出たことにより視線を二人へ向ける。
「私が怖い?」
カイムが怪訝そうに尋ねるとアイラはまたも慌て、謝りながらネイトの陰に隠れた。
「丁度いい機会ですので、自己紹介をされてみてはどうでしょう?エフィムとカイムはまだでしたよね?」
「あ!」
思わず持っていたサンドイッチを落としそうになる。そういえばまだアイラに名乗っていなかった。昨夜から色々と考え事をしていたり、タイミングが無かったりですっかり忘れていた。そうすると、アイラは今まで名も知らぬ男に妹を殺された挙げ句、怪しく言い寄られてた感じなのか?これじゃ完璧に変質者じゃないか!くっそ、何やってんだ俺は。
「そうか、確かに名乗っていなかったな、すまない。私はカイム・ニエンテ。傭兵をやっている」
「ようへい?」
「簡単に言えば、お金さえ貰えればどこの国にでも、誰にでも雇われて戦う人のことです」
「戦ってばかりの人は、やっぱり怖いです」
どうやら、アイラのカイムに対する印象が変わるのは少し時間がかかりそうだ。カイムは弁明しようとしたのか、口を開きかけたが直ぐに閉じて俺の方へ視線を向けた。どうやら俺の自己紹介を優先させてくれたみたいだ。
「俺はエフィム・セルトサム。一応、天子なんだけど……」
マユラの事をいつ謝ろうか考えていたが、天子という言葉を口にすると自分の心のどこかで抑えていた感情が湧き出てきた。両膝と両手を地面に着け、アイラに向かって深く頭を下げる。突然の行動に三人共面食らった様子だったが、俺は構わずに心の中で溜まっていた膿を吐き出す。
「ごめんなさい!天子なのにマユラを助けられなかったどころか、アイラの目の前でマユラをっ……!」
自分の無力さに激昂し、不甲斐なさが悔しくて涙が溢れてくる。まったく、俺が泣いてどうするんだ。妹を殺されて激昂したいのは、悔しいのは、泣きたいのはアイラの方なんだぞ!
両手に力を籠めて地面を削り取りながら強く握りしめて泣くのを堪えていると、隣りに誰かが座る気配がした。横目でそちらを見ると、ネイトが綺麗な正座をしながらアイラに向かっていた。
「私も教会に仕える身でありながら、天子様と共に悪魔へ立ち向かわなかった愚鈍な人間です。私の身を全て捧げますので、どうか天子様をお許しください」
ネイトが膝の前に両手を重ねるように置いて頭を下げようとしたので、俺は慌てて止めようとした。昨夜の件は全て俺の軽はずみな行動に責任がある。ネイトは寧ろアイラを助けるのに大いに貢献してくれたのだ。俺を責める事はあっても、俺の罪を共有する必要などない。
「やめてください!」
俺が体を起こし、ネイトの両肩へ手を伸ばした時だった。アイラが悲鳴にも似た声を上げる。
「あの時のことは何も言わないでください。謝られても、わたし、皆さんを許せませんから……」
俯きながら胸元を抑え、徐々に声量を落としながら告げられると、アイラの深い傷心が伝わってきた。分かっている。俺は許されないことをしたのだ。だからせめて、アイラが今後幸せに暮らしていける居場所をつくらなければならない。
「だけど、わたしとマユラを助けてようとしてくれた皆さんを悪く思いたくありません……だから我が儘ですけど、お礼を言わせてください。助けてくれて、ありがとうございました」
アイラは精一杯の笑顔を俺達に向けてくれたが、その笑顔はどこか儚げで、直ぐに壊れてしまいそうなものだった。大人達に虐待され続けてきた十歳そこそこの少女に、ここまで気を遣わせている自分がとてつもなく恥ずかしかったので、俺は誰とも目を合わせずに頭を垂れた。
「それぞれ思うところがあるだろうが、そろそろ下山しよう。天候が悪くなるかもしれんし、暗くなってしまっては危険だ」
重い静寂を破ったカイムの声に、各々が立ち上がって荷物を手にした。




