第39話
山脈の麓にあった小さな町は、まるで迷路を掘ったかの如く入り組んで陥没した大地の上に、屋根や壁の一部が不自然なほど綺麗に削り取られた家屋が並んでおり、人の気配はない。
俺達が泊まっていた横に広い三階建ての宿は幸いにも浸食の被害は少なく、荷物も無事だったのだが、今はそんなことどうでも良かった。俺は人を、自分より年下の少女を殺したのだ。事故などではなく、自分の意思と手で。
何もなければ今頃、俺はベッドの上で膝を抱えて座っておらず、横になって夢の中にいただろう。いっそ、この町で起きた事は全て夢であって欲しいと強く願う。しかし、願えば願うほど現実だと認めようとする意識が芽生えてきてしまう。
天子になって、戦いに巻き込まれる事は覚悟していたし、割り切れてはいなかったがいつしか人を殺す事があるかもしれないと覚悟していた。だが、こんなに早く、しかも子供を殺す事になるなんて思ってもみなかった。しかも本来は助けようとした相手をだ。
何度目か分からない、姉妹を助けられた可能性を頭の中に浮かべていると、部屋のドアが開いて宿の設備の状況を見てきたカイムが入ってくる。
「……電灯設備は触手に浸食されて使い物にならなかった。給湯設備も浸食されていたが、魔術で火を点してどうにか使えるようにした」
報告は確かに聞こえていたが頭の中に入る隙間はない。膝に顔を埋めたまま黙っていると、カイムは話しを続けた。
「アイラの治療はほとんど終わっていて、直に目を覚ますそうだ」
黒い繭を打ち払った後、アイラは身体的にも精神的にも相当追い詰められていたのだろう、一頻り泣くと気絶してしまった。今は別室でネイトが看病している。
アイラが目を覚ましたら、俺を恨むだろう。妹を殺した仇なのだから当然だし、どんな罵声や呪詛も甘んじて受け入れるつもりだ。もし、アイラが俺を殺したいと言うのならその時は……
「おっと、それ以上つまんねぇこと考えるならぶん殴るぞ」
ルシルが実体化し、ベッドの脇に立って俺の頭を押すように掴んでいた。
「つまらない?」
姿勢そのままに聞き返す。自分の犯した罪を償うためなら命を差し出しても構わないと思うのが、そんなにつまらない事なのだろうか。
「ああ、そうだ。自分が死んで罪を償おうなんざ、つまらねぇ軟弱者の考えることだ。償うためじゃなく、ただてめぇが許されたと思い込みたい、恨まれることから逃げたいが為にする体のいい言い訳だ」
「なんだと?」
ルシルの手を振り払い、睨み付ける様に顔を上げる。
「捨てる命なんて軽い物だけどな、奪う命ってのはこの上なく重てぇんだ。そんなことは今のエフィム自身がよく分かってんだろ」
腕を組んで見下ろしてくるルシルに苛立ちを覚える。もっと早くルシルが力を貸してくれていれば、姉妹を助けられたかもしれない。しかし、そんなことを考えては自分の無力さが一層虚しくなるだけだと理解していた。だから自分で罪の償い方を考えていたのに、それを否定されては堪ったものではない。
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
ベッドの上で膝立ちになり、ルシルへ掴み掛かろうとするが手首を掴まれて押さえ込まれる。
「生きるんだよ。てめぇの軽い命に奪った命を乗せて、自分の罪を恨まれながらな」
「ルシルの言う通りだ。なにも死を選ぶだけが命での償いではない。殺めてしまった事を悔い、心に少女のことを刻んでおけば良い、一生忘れないようにな。それでも自分の命を賭して償うことになる」
これまで黙っていたカイムが諭すような口調でルシルの言葉に続いた。
「それにな、仮にエフィムが死で償いをしたとして、その後あの小娘はどうなると思う?」
ルシルが俺の手首を離して問い掛けてくる。二人から自分の考えを正され、意気消沈した俺に掴み掛かる気力はない。力無く腕を垂らし、正座する形で座り込んだ。
俺が死んだ後のアイラがどうなるかなんて考えもしなかった。ルシルに言われた通り俺は償いではなく、ただ自分が許されたと思い込む為の手段を考えていただけなのかもしれない。
「直接的な仇がいなくなれば、今度は世界を恨む事になる。ただでさえ悪魔を宿していると蔑まれてきたんだ。恨んでも恨み切れない思いがいつか爆発して、あの黒い霧が世界中に向けられたらどうなるか想像して見ろ」
黒い霧が世界を覆ったら、正しく破滅だ。人や家屋は勿論、大地をも浸食する黒い霧が世界を呑み込み真っ黒な空間だけが残るだろう。
俺が俯いて無と化した世界を想像していると、カイムが投げたタオルが俺の頭を覆う。
「復讐は何も生まないなどど綺麗事で済ませる気はない。だからエフィム、アイラがお前を恨んできた時は恨まれてやれ、だが絶対に死ぬな。マユラを殺めてしまったことを本当に悔いるのなら、残されたアイラの為にも生きて罪を背負い続けろ」
罪を背負うなんて大それた生き方が俺に出来るかは分からない。だが、アイラが望む事はできる限りしてやろうと思う。もし、俺が死んだ時に世界を恨まなくて良いように。
「シャワーでも浴びて気持ちを切り替えて来ると良い」
「……うん」
カイムの提言に小さく頷き、力の入らない体を引きずるようにしてバスルームへ向かった。
「流石は傭兵、人の生き死にには詳しいな」
「大勢の人間を殺してきた私が言える事でもなかったがな」
自嘲気味に笑うカイムにルシルがゆっくりと近付く。その表情は中の良い友人に話しかけるかのように柔らかい。
「ずっと気になっていたんだがよ、お前本当にただの人間か?どうも纏ってる空気みたいなのが他の人間と違うんだよな」
「……長い間戦場で生きてきたからな、他人と雰囲気が違くても仕方あるまい」
カイムは極めて平静に答えるが、ルシルは目を細めて怪しむ。
「そういうんじゃねぇ、もっと根本的な……言っちまえばこの世界の人間じゃねぇ気がするんだ」
ルシルに詰め寄られてもカイムは眉一つ動かすことなかったが、少し間を置くと体を反転させて小さく息を吐いた。
「秘密の一つぐらい誰にでもあるだろう。人間にも、天使にも、な」
天使という単語を強調すると、ルシルは一瞬驚くが直ぐに何かを悟り、片方の口端を上げた。
「そうかい、そっちも俺が普通の天使じゃないことに感付いてんのか」
「さぁな。何れにせよ私はお前たちの邪魔をする気はないし、レゲネラツィを追っていることに偽りはない。それと、最終的な目的は恐らくお前と同じだ」
そう言い残し、カイムは部屋を出て行く。
静寂が訪れた部屋で、ルシルは右手で顔を隠しつつ静かに笑う。
「ふっ、ふふふ……カイムが何者かは知らねぇが、思ってるより楽しい神殺しができそうだ」
空いた左手で拳を作り、エフィムが黒い繭へ突入した場面を思い出すと、湧き出た昂揚感がルシルの心を躍らせた。
「エフィムにも俺の力が馴染み始めているし、このまま俺が力を取り戻せば今度こそ!」
ルシルは高笑いしそうになるのを必死に抑えている所為で口元が歪な笑みを浮かべていたが、その様子を知る人間はいなかった。




