第35話
地下の広間に俺の叫びが響き渡ると、住民達は一斉にこちらへ振り向いた。妙に脱力した姿勢と生気を失った顔色から、正気を失っているのは明らかだが俺にとっては少女の安否の方が気掛かりだ。
「ハンフィ司祭!これは一体どういうことですか!?」
住民達の向こう側、広間の一番奥に立っているハンフィ司祭に怒りをぶつけるように尋ねた。するとハンフィ司祭は口角の両端を気味が悪いぐらい上げた。
「おやおや、まさかこんなに早くここを見付けてしまうとは……まぁいいでしょう、この少女こそ君たちがこの町に来て感じた異様な空気の正体ですよ」
十字架に張り付けられている少女を見るが、あの肌に張り付く違和感や胸騒ぎを感じることはできない。今の俺はそんな事よりも、洗脳されたように少女を傷付ける住民達とそれを笑って見ているハンフィ司祭の方が異常に感じる。もう敬語で話すのも面倒だ。
「ふざけるな!どんな理由があっても、こんな暴虐な行為は許されない!」
「いえいえ、この行為は少女が……正確に言えば少女の中に宿る悪魔が引き起こしている事なのです。敢えて言うなら許されないのは少女の方です」
「悪魔?」
世界が創造される時に天使と共に地上へ現れたそうだが、今までその存在は確認されてこなかった。その悪魔をこの少女が宿している?予想外の出来事に頭に上っていた血が少しだけ下がり、その分だけ冷静になる。
「四年ほど前、テイングが厄災に見舞われたのは知っていますか?」
「ああ、事故や疫病が発生したやつだろ?」
首都で多数の犠牲者が出続けたのだ、エウメプに住む人間なら知らない者はいないだろう。しかし、ハンフィ司祭はいつまで気持ち悪い笑みを浮かべ続ける気なのだろうか。下がったばかりの血が再び上ってきそうになるのを必死に抑え、ハンフィ司祭の話しに耳を貸す。
「そうです。厄災は止まる事なく人々を襲い、絶望に嘆いていた時でした。天界から天使様が現れて疫病を治し、悪魔を封じ込める術を教えてくださいました。そして、天界に帰った天使様に代わり悪魔を封じ込めたのは、当時司教だったこの私です」
自分の胸に手を当てて誇らしげに語る姿を見て、俺は心底どうでもいいと思った。
自慢話しは無視するとしても、天界から天使が現れたなんて初耳だな。どうせなら天界に帰る時、地上に残った天使も連れ帰ってくれればよかったのに。まぁ、今はそんなことを言っている場合ではない。俺はハンフィ司祭を睨み付けた。
「悪魔を封じ込めたのに、どうしてこんな事になっている?」
「暫くは問題無かったのですが、徐々に悪魔の力が強くなったのか完全に抑える事が出来なくなってしまいました。一年ほど前、この町でもテイングと似た様な厄災が起き始めたと同時に声が聞こえたのですよ。“悪に侵されたくなくば悪しき心を悪の根源へと還せ”とね」
悪魔に浸食された心を、暴力という名の悪行に変え少女にぶつけることで浸食を抑えているとでも言うのか。随分と無理矢理な解釈だし、聞こえた声の主が天使なのか悪魔なのか分からない。ハンフィ司祭の様子を見るに悪魔に浸食された時に声が聞こえたと考える方が妥当か。だとしたら悪魔に従っていることになるし、やはりこんな暴虐は今すぐ止めよう。
「(ルシル!頼む、起きてくれ!)」
数秒待つが返答はない。いつもなら面白がって出てくる筈なのに、今日は一体どうしたのか。疑問は残るが今は考えている時ではない。こうなったらルシル抜きでやるしかないと決意して戦闘態勢に入った途端、頭上から細い光線が降ってきた。
「くっ!」
松明によって周囲が見渡せるとは言ってもここは地下だ、死角からの攻撃でも光線ならば周囲が明るくなるのである程度は反応できる。俺は咄嗟に横へ跳んで躱すが、体勢が良くなかったのか着地した際に足が縺れてよろけてしまう。
「さぁ皆さん、儀式の邪魔をする悪しき少年を生贄に捧げるのです。そうすればきっと、神はあなた方の罪を許し悪を取り払ってくれるでしょう」
ハンフィ司祭の言葉に住民達は呻き声に近い返事をすると、こちらへ向かって一斉に襲い掛かって来た。脱力した見た目からは想像もできない機敏さに面食らい、俺はあっという間に広間の隅へ追い詰められる。
「くそ、ルシル!!」
俺にはもうルシルに縋るしかないのだが、相変わらず返答はない。俺に実戦経験を積ませたくてわざと無反応でいるのではなく、何かしらの理由があって反応できないのだ。追い詰められ、覚醒し切っている脳が答えを出すが、そんな情報は何の役にも立たない。寧ろ自分自身に絶望を突き付ける要因にしかならない。
やっぱり地下に入る手前で帰っておけば良かった。そもそも一人で尾行なんてしなければ良かった。脳は既に諦めが付いており、次々と後悔の言葉が出てくるが本能はまだ生きる事を諦めていない。どうにか突破しようと拳をきつく握り締めて住民達を睨むが、多勢に無勢ではどうしようもない。先頭の住民が手にしていた包丁を振り上げたと同時に、握り締めた拳は呆気なく死への恐怖に脅えた物に変わり、死を覚悟して目を瞑る。
「天に召します神よ御身の恵愛を以って彼の者に守勢の加護を与え賜え、アンジリアリィ・ディフェンス!」
聞き覚えのある声が耳に入って来るのとほぼ同時に、金属が弾かれる音が聞こえた。まさかと思い、恐る恐る目を開けると俺の周囲を球状で半透明の青い壁が覆っていた。
「エフィム!無事ですか!?」
住民達の向こう側からネイトの焦った声が聞こえる。何故ネイトがここにいるのか分からないが、とにかく助かった。
「ありがとう、助かったよ!」
「今そちらへ行きます。もう少しだけ待ってください」
ネイトが俺を住民の群れから救出しようと棍を構えた時、ハンフィ司祭がヒステリックな叫び声を上げた。
「あああぁぁぁぁぁっ!!どうしてこうも邪魔が入るのですか!?しかも、シスターの身でありながら信仰深き住民に手を上げようとする始末!許されない悪行!皆さん、少年よりもそこのシスターを生贄に捧げるのです!」
住民達は低い呻き声を上げながら一斉にネイトの方へ振り返る。まずい、こんな数で一斉に襲われてはどうしようもないのは俺が身を以って知っている。俺は慌てて住民達の注意を引こうと掴みかかるが、一向にこちらを向く気配はない。
「逃げろネイト!」
恐らくネイトは広間の入り口付近に居るのだろうから、囲まれる前に脱出することも可能な筈だ。住民達は妙に機敏だが、洞窟は細い一本道なので棍のリーチを生かし、退きながら戦えばどうにかやりすごせるだろう。だが、俺の心配とは裏腹に、ネイトは棍を地面に強く打ち付けて静かに口を開いた。
「テイングのシスターといい、ここの司教といい、どうしてこうも愚かな人間が教会に仕えているのですか!」
声を荒げる事は無かったが、明らかな怒気を感じた。これは完全に頭に血が上っていて俺の声は聞こえていないな。状況が不利な上に怒りで冷静さを欠いては助かるものも助からない。どうにかしてネイトを落ち着かせようと言葉を探すが、先に発言したのはネイトの方だった。
「エフィム、ここは私に任せて逃げてください」
そんなことできるわけない。そう口にしようとした矢先、ネイトは出入り口を開けるように広間を走り出した。住民達は一つの塊となってネイトを追い、俺の周りには誰一人居なくなった。こうなったら早く脱出してしまおう。そうすればネイトもここに残る必要は無くなり、退いてくれるだろう。しかし、俺とてただ逃げるわけにはいかない。あの少女を助け出さねば、再びこの怪しい儀式の被害に遭う。悪魔を宿しているからと言って放っておく訳にはいかない。
「悪魔は渡しませんよ」
俺が少女の元へ走り出すと、懐から展開式の槍を取り出したハンフィ司祭が行く手を阻んだ。ルシルの力が使えなくてもせめて木刀があれば戦いようはあったのに。槍の切っ先を向けられて固まってしまう自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えると、一人の住民が吹き飛ばされて来てハンフィ司祭を巻き込んで倒れた。勿論、ネイトの援護だったのだが、大人の男を軽々と吹き飛ばす程の力を持っていたとは恐ろ……いや、頼もしい限りだ。
「そこの司祭も私が相手します。エフィムは自分の成す事に集中してください」
怒られた訳ではないのだが、ネイトの怒りを含んだ闘気に当てられた俺は無意識に背筋を伸ばして頷いていた。
ネイトは迫りくる住民達から距離を取りつつ棍で足払いや突き等、体勢を崩させる事を重視した戦いを繰り広げていた。それでも時折、突出してくる住民がいるので、そういった者には根を思い切り振り下ろして倒れていてもらう。しかし困ったことに住民達には痛覚や疲労といった感覚が失われているのか、倒しても倒しても起き上がって来るので一向に数は減らない。
「暴力はいけませんよ!暴力はぁぁぁ!」
起き上がったハンフィ司祭は狂った様に叫びながらネイトの背に槍を突き刺さんとするが、身を翻されて躱される。標的を失った槍は、逆走して来る形となった住民の腹に深く突き刺さった。
「あなたが言える台詞ですか!」
ネイトは一瞬、信じられない物を見たと言いたげな表情を浮かべたが、直ぐに怒りを露わにしてハンフィ司祭の背に棍を打ち付けた。
「ぐあっ!おのれ、私の手を汚させるとはなんて卑劣な!」
もはや話が通じる相手ではない。そう判断したネイトはハンフィ司祭の言葉に反応せず、追撃を試みるも先に住民達が群がって来たので退かざるを得なくなった。
「天に召します神よ御身の恩愛を以って彼の者の罪を裁き、聖なる剣によって悪しき物から守り賜え、アトーメント!」
ハンフィ司祭が唱えると光りの剣が出現し、縦に高速回転しながらネイトを斬り裂かんと迫る。避けるには十分な距離があったが、なんと剣は住民達も容赦なく斬り刻んで来るではないか。血しぶきや肉片を撒き散らせながら襲い掛かる剣に、ネイトは思わず怯んでしまい僅かだが回避が遅れてしまい、浅くだが右肩を斬られてしまう。剣はネイトの横を通り過ぎると消えるが、畳み掛けるようにハンフィ司祭が槍を突き出して来た。
「愛しき民の命を犠牲にしても尚仕留められぬとは、君はどれだけ罪を重ねれば気が済むんだぁぁぁ!」
躱せないと判断したネイトは棍で槍を受け止めようとするが、棍は木製であり槍の刃を受け止めるには些か強度が足りない。ネイトは極限まで視力を集中させ、槍を受け止める瞬間に棍を捻った。槍は鋭い衝突音を立ててネイトの胸に突き刺さる一歩手前で、棍の中から出てきた鎖に受け止められていた。棍は三等分に分かれ、それぞれを短い鎖が繋いでいる、所謂三節根に変わっていた。
「な、なんと!」
槍を突き出したまま、間抜けな声を上げて目を見開くハンフィ司祭は誰が見ても隙だらけだった。ネイトは透かさず三節根を槍に巻き付けて思い切り引っ張る。
武器を取られると察したハンフィ司祭は反射的に槍を引こうとするが、三節根が巻き付いた状態で両側から思い切り引っ張られた展開式の槍は簡単にへし折れた。
「自らの愚かさを懺悔なさい!」
槍を破壊され放心状態になったハンフィ司祭の脳天に、十分に遠心力をつけた三節棍が叩き込まれる。
「がっ……これでは、住民が、悪に染ま……」
最後まで言葉を言う前にハンフィ司祭は意識を失い、崩れ落ちた。




