第33話
再歴百四十六年、テイングのとある男爵家に双子の姉妹が産まれた。姉はアイラ、妹はマユラと名付けられた。姉妹は産まれた時に楕円形の暗い紫色をしたブローチを持っており、両親は勿論、周囲の人間も神に祝福された証と信じて疑わなかった。実際に何か好事に恵まれた訳ではないが、男爵家は平穏に過ごせる事を神に、そして自分たちの子供に感謝した。
しかし、姉妹に物心がつき始めると男爵家に異変が起きた。最初は男爵とその妻がそれぞれ、同じ日に怪我をした。怪我の程度も軽かったので、単なる偶然だろうと気にも留めていなかったが、一か月後に今度は使用人が数名同じ病気になった。流行病にでも罹ったかと思われたが医者は否定、薬を飲んで安静にしていれば直ぐに治ると判断し、使用人達は数日後には完治した。更に一か月後、今度は屋敷が暴徒に襲撃される。幸いにも近くに警官が居たため、窓ガラスが数枚割られたり壁に傷を付けられたりした程度で済み、怪我人も出なかった。だが、こうも立て続けに不幸が発生したことを不気味に思った男爵は教会に相談、聖術で土地を清めてもらった。その甲斐あってか、男爵家には再び平穏な日常が戻った。
時は流れ、姉妹は小学校に入学した。明るい性格のマユラは熱心に勉強し、友達もでき、充実した学校生活を送っていた。そんなある日、マユラがいつも肌身離さず持っていたブローチを家に忘れて登校し、友達と校庭で遊んでいた時の事だ。突然遊具が転倒し、中の良い友達が下敷きになって足の骨を折ってしまう。不慮の事故であったのだが、間近で見ていたマユラは責任を感じて入院中は毎日見舞いに行き、退院後の学校生活でも支障が無いようにと世話を焼いた。
更に一年後、クラス変えがありマユラと別々のクラスになったアイラは、その内気な性格が災いして少し浮いた存在となっていた。成績優秀、規則を守り、礼儀正しく生活する態度は教員からは良く見えるだろう。しかし、クラスの子供達からは不気味に見えた。
ある日の下校時間、アイラはうっかり鞄を落としてしまい、教室の床に教科書やプリントを撒き散らかしてしまう。それだけなら良かったのだが、鞄に入れてあったブローチが出たのがいけなかった。ブローチは床を滑って行き、運悪くクラスメイトに踏まれてしまう。足を滑らせて転んでしまうのではないかと危惧し、アイラは小さく声を漏らしたが、それは杞憂で済んだ。安心したアイラはブローチを取りにクラスメイトへ歩み寄る。するとクラスメイトは怪しく笑みを浮かべ、ブローチを高く掲げながらわざとらしい大声で勉強に必要な物なのか問い掛けてきた。アイラはブローチを取り返そうと手を伸ばすも、クラスメイトはブローチを自身の背に隠しながら、床に散らばった教科書等をを拾うようにと言い放ち、意地悪く笑った。アイラは少し躊躇った後、言われた通り教科書等を拾い集めて鞄に入れる。
クラスメイトの方に振り向くと、既に教室には誰も居らず、ブローチもどこかへ隠された様子だった。教室内を隈なく探すもブローチは見つけられず、教室の外を探そうとしたが教員に声を掛けられて慌てたアイラは逃げるようにして学校を出た。
翌日、アイラが登校すると、ブローチを隠したクラスメイトが死亡し、その他にも数名の怪我人が出たと連絡が入った。唖然とするアイラに、自然と周囲の目線が集まる。担任に何か知っているのかと聞かれたが、首を横に振って否定した。確かに昨日は少しからかわれたが、それだけで有らぬ疑いをかけられては堪らない。鼓動の早くなった胸を押さえながら授業の準備をしようと机に手を入れると、指先が金属のような物に触れる。何かと思って覗き込むと、そこには探していたブローチが有った。昨日見た時は確かに無く、今朝鞄から教科書を机に入れた時も気付かなかったのに、一体どういうことなのか。
不気味に思ったアイラは家に帰ると、家族に昨日から今朝に掛けての出来事を話した。しかし家族は少し不思議がるくらいで、それよりもクラスメイトの死で精神が疲れているのだと言われ、取り合ってもらえなかった。それからアイラはブローチを見る度に全身に悪寒が走る様な気がしたので、ブローチを箱に入れて自室の机の引き出しに仕舞った。
そして、厄災は拡散していく。
姉妹の住む上流居住区を始めとし、テイング全体に火災、落雷、列車脱線などの事故が多発し、いずれも多くの死傷者を出した。更には原因不明の疫病までもが発生し、人々は未曽有の危機に陥ったその時、一人の天使が舞い降りて疫病を消し去った。そして天使はこれまでの厄災の原因となっているものを記載した書物を教会に渡し、どこかへ消え去った。
書物にはこれまでの厄災の原因となった悪魔と、それを宿す者の名前が記載されていた。アイラとマユラである。そして、対処法は二人を別々に聖術で作った檻に閉じ込めるというものだった。書物には檻の作り方も載っており、司教と修道士達は早急に檻を作製、二人を閉じ込めた。しかし、いくら天使から伝えられた対処法だとしても檻を作ったのは人だ。住人達はいつ檻が破壊され、再び厄災に巻き込まれるか不安を募らせた。これを受けた政府は、檻を作った司教と修道士に姉妹を別の町に幽閉し、監視する事を命じた。
姉妹が幽閉された町はテイングの西に連なるジィマ山脈を越えた麓に在るサンヤスクという小さな町だった。勿論、サンヤスクの住民には悪魔を幽閉することは伏せているが、そのお陰で騒ぎが起きる事もなく悪魔の移送は完了した。
これにて人々に平穏が訪れたかに思えたが、果たして絶対悪と称される悪魔を本当に人の力で抑える事が出来たのだろうか。
アリナに手紙を出して直ぐにカイムと合流出来たので、事情を話して旅立ちの準備をしてもらった。
列車に乗り込み、六時間程でテイングの南西に位置する小さな港町に着き、その日はそこで一泊することにした。列車で移動できるのはこの港町までであり、これより先ジィマ山脈を越えるまでは徒歩か馬車になる。ジィマ山脈は大陸を縦断するように伸びているが標高はさほど高くない。天候さえよければ朝に麓を出発して日が暮れる前には越えられるだろう。
翌日の朝、馬車に乗ってジィマ山脈の麓を目指し、出発から三日目の夕方にようやく麓の集落に着いた。野営なんて初めて体験したが、意外と嫌いじゃないな。テイングより西になんて来た事はなかったから、同じ夜空でも新鮮に見えた。ただ、馬車の中で長時間座りっぱなしだったので体が痛くなったのは辛かった。
集落には不釣り合いに見えるほど大きな宿が建っていた。ジィマ山脈を越えるほぼ全員が集落を通るので、必然的に宿泊客は多くなるのだろう。俺達が宿を取ろうとした時も七割近い部屋が既に利用中だった。ちなみに、この宿でもネイトは俺と同じ部屋にお供しますとか言ったけど速攻で却下した。
早い所、馬車で痛めた体を休めたいと思ったが、ルシルの提案でカイムに稽古を付けてもらうことになった。あまり気は乗らないが、これからも戦いは続くしやっておいて損は無いと自分に言い聞かせ、宿の裏の空き地で稽古を始めた。
最初はカイムが買って来た木刀を使って稽古をしていたのだが、どうも握りや間合いの詰め方が甘いようで、俺が木刀を振り切る前にカイムの木刀に弾き返されてしまう。元々剣術に関してはド素人なのだから仕方ないと思うが、あまりにも格好が付かないので段々恥ずかしくなってくる。
「おいエフィム、今のお前じゃどうやってもカイムに勝てないんだから、もっと遠慮なく掛かっていけよ」
わざわざ実体化して稽古を見物していたルシルが欠伸をしながら言った。勝てないどころか木刀を掠めることすら叶わないのは百も承知なのだが、敵でもないカイムへ攻撃するという事に抵抗がある。稽古を付けてくれる相手にこんな事を思うのは失礼なのだろうけど、どうしても集中力が散漫になってしまう。
「う~ん、攻撃より先に防御の稽古を頼んでも良いかな?」
自分の身を守る為ならば嫌でも集中できるだろう。剣の間合いに慣れる為にも、最初は自分ができそうだと思った事から熟していこう。
「分かった。最初は頭と左わき腹を交互に狙っていくとしよう。ゆっくりやるから落ち着いて防ぐんだ」
カイムは軽く木刀を振って攻撃の動きを見せてくれる。狙ってくる場所が分かっていれば、いくら剣に慣れていない俺でも防ぐ事は難しくないだろう。
「うん、わかった。始めてくれ」
この言葉を受け、カイムは木刀を振り上げて俺の頭を狙って来たので木刀を横に構えて防ぐ。次に俺の左わき腹へ木刀を振るって来たので木刀を縦に構えて防ぐ。これを何度か繰り返したところでカイムは木刀を下ろす。
「次はもう少し早くいくぞ」
そう言ってカイムは再び同じ部位を交互に狙ってくる。小気味の良い音を立てながらカイムの攻撃を受け続けていたのだが、段々と木刀を振るう速度が上がっていくではないか。そして、とうとう俺の腕が追いつかなくなり、木刀で頭を叩かれた。俺は思わず目を瞑ったのだが、数瞬後、頭に痛みを感じていないことに気づいて目を開けると、木刀は俺の頭に触れる直前で止められていた。
「長旅の疲れもあるだろうし、明日は山越えだ。今日はここまでにしよう」
カイムは僅かだが表情を緩めて木刀を下ろすと、宿の正面玄関の方に歩いて行った。やっと休めることに安堵すると同時に、もっと稽古を続けたかったとも思う。俺は木刀を握り締めて素振りをするが、馬車で痛めた腰が悲鳴を上げたので早々に宿へ戻る事にした。




