第31話
宿に戻るとネイトは既に俺の背中で寝息を立てていたので、そのまま部屋までおぶって行き、ベッドに寝かせた。
静かに寝息を立てるネイトを見て、無事に帰って来れた事を実感し深く息を吐いた。直接戦ったわけではないが、体は酷く疲労しているので俺も早く休もう。
自分の部屋に戻ると明かりも点けず、ベッドへ横になった。そのまま目を閉じるが、体の疲労に反して脳は活性化しており、中々寝付けない。目蓋の裏に今回の戦闘の光景が焼き付いている。
まさかルシルがあそこまで苦戦するとは思わなかったな。カイムが特別強かったのかもしれないが、今後も手強い相手と戦うかもしれないな。眼帯の男も捕らえる事が出来なかったし、またいつ襲われるか分からない上に、どんな術を使ってくるかも分からない。前回は風で、今回は土、しかも追い詰めた時に突然吹き荒れた風もある。眼帯の男と同時に仲間もどうにかしないと捕らえる事は難しいだろう。
そういえば、アーガを取り戻してルシルの力が上がった気がするけど、その辺はどういうことなのだろうか。頭の中でルシルを呼ぼうとしたところで睡魔に襲われる。詳しいことは明日、カイムから話しを聞いた後にでも話そう。
翌日、俺は昼前になってネイトに起こされた。どうやらカイムが尋ねて来たらしいので、俺は急いで身なりを整える。
「エフィム、昨日は勝手に寝てしまい申し訳ありませんでした」
「いいよ、いいよ。そんなこと謝らなくて。それより、よく眠れた?」
「はい。お陰様で」
支度を終えた俺はネイトと会話をしながらカイムの元へ向かう。ちなみに、ネイトはいつも通り早起きして朝の礼拝をしていたらしい。
受け付けに行くとカイムが待っており、軽く挨拶を交わした後に談話所の椅子に座った。
「早速だが、レゲネラツィについて話しても構わないか?」
俺とネイトに異論は無いので頷いて承認した。
「レゲネラツィという組織は現存する天使を天界から追放された堕天使と捉え、地上の生物を支配する悪と称している連中が集まっている」
ああ、だからルシルのことを堕天使と呼んでいたのか。特別、ルシルが何かやったわけではないことが分かったので少し安心した。
「愚かな。何を以って追放されたなどと決めつけているのですか?」
ネイトが不快感を隠さずにカイムへ尋ねた。幼いころから教会の教えを言い聞かされてきた身としては、この上ないふざけた組織だと思うだろう。
「そこまでは私にも分からん。だが、レゲネラツィに所属している者は皆、天使によって何か大切な物を奪われたと聞く」
「それって、天使の仕業なのか?力を持った天子が舞い上がって事故を起こしたとかじゃないのか?」
天使が人に危害を加えるなんて聞いたことが無い。寧ろ天使のお陰で平和な世の中が保たれていると言っても過言ではない。更に、天使は宿主になる天子を見付けないと実体化できない筈だから、仮に天使が何か問題を起こした場合は確実に天子も関わっている事になる。
「さあな。個人の事情までは調べられんが、実際レゲネラツィには天使に恨みを持った者が集まっている。全てが偽りだということでもないと思うが?」
確かに、眼帯の男がルシルを睨む目には確かな憎悪を感じた。意図的ではないかもしれないが、天使が人に危害を加えてしまった可能性も十分に有りえる。
俺は同意の言葉を口にしようと思ったが、ネイトが半眼を細めてカイムを睨むので、思うだけに留め、話しを進めることにした。
「どうしてカイムはレゲネラツィについて詳しいんだ?」
天使至上主義の世の中に反する組織だ。表立った行動を控えている秘密結社の情報をどこで仕入れたのか気になる。これで元レゲネラツィの構成員とか言ったらネイトが攻撃しかねないな。
「レゲネラツィのリーダー、名前はシュバルツと言うのだが、そいつと浅からぬ因縁があってな、奴を探す為に傭兵をして各地を回って情報を集めている。組織に居た訳ではないから、そう睨まないでくれ」
カイムも俺と同じ不安を感じていたのか、ネイトに対して表情を崩して見せた。
「……失礼しました」
ネイトは素直に頭を下げ、事なきを得た。
「天使を恨んでいる連中が集まっていると言ったが、シュバルツ自身は天使に対して特にそういった感情は持ち合わせていない」
「どういうこと?」
「奴の真の目的は旧世界の再生だ。その為に現世界の秩序を守る天使を排除する必要があるそうだ」
なるほど、見たこともない旧世界の再生のために天使を倒そうと言うより、堕天使だの悪だの言った方がこの世界の人々には受け入れやすい理由になる。
「旧世界か、確かに一度は見てみたい気がするけどね」
旧世界は科学が発達して大層便利な世の中だったらしいし、自分達が滅びると分かったら、再び現れる人類のために技術を記録して残してくれた。旧世界が滅んでから途方もない年月が経過している筈だが、記録を問題なく読み取れるように残している時点で旧世界の技術力には舌を巻くしかない。尤も、旧世界の奇跡なんていう地上と天界を繋げる代物を開発してしまう世界だったのだ、記録を永遠に残すなんて簡単な事だったのかもしれない。
普及率は低いが、列車や電話などは旧世界の技術を元に復元された物だ。西の大陸には旧世界の技術を研究する中立の国家なんてのもあるし、そこではもっと高度な技術で作られた物が流通しているらしい。
「それは思うだけにしておけ。エフィムは自分が産まれたこの世界で生活していくんだ」
「あ、ああ……」
軽い好奇心で口にしたのに、妙に神妙な面持ちで注意されてしまったな。俺が敵方の理想に賛同したようなものだから、良い思いをするはずもないし、当然の対応かもしれないが、カイムは表情を変える事なく次の話題に移った。
「紋章魔術についても話しておかねばならないな」
「眼帯の男が使っていた術の名前か?」
俺の問いにカイムは頷いて肯定する。
数日前まで術の存在すらしらなかったのだが、いつの間にかこの世に実在する物だと自然に受け入れていた。まぁ、眼帯の男とは二度も戦ったし、聖術だってあるのだ。嫌でも受け入れなければならない。
「文字通り紋章に籠められた魔力を引き出して使う魔術なのだが、これを編み出したのはシュバルツとその腹心だ。つまり、紋章魔術を使える人間はレゲネラツィに限定される」
「なるほどね。でもなんでわざわざ紋章に魔力を籠める必要があるんだ?普通の……がよく分からないんだけど、もっと別の魔術はないのか?」
「魔術というのは本来、一部の人間にしか使えなかったのだが、百年ほど前に天使が行った魔術師狩りで多くの魔術師が死んでしまった」
「多くの、ということはまだこの世界のどこかに魔術師が居るのですか?私は魔術師は絶滅したと教えられましたが」
ネイトが小首を傾げながら質問する。どうやら教会では天使の手によって魔術師は完全に滅ぼされたと伝えられているらしいが、実際にはどうなのだろうか。
「生き残りは、いる。教会の人間としては気になるかもしれないが、今は紋章魔術について説明させてくれ」
「すみません、余計な事を聞いてしまいました」
「いや、私は構わないのだが」
まさか頭を下げられるとは思っていなかったのだろう、カイムは少し困惑した様子で俺に目配せしてくる。
「ネイト、そんなに気にするなって」
「はい。申し訳ありません」
俺が声を掛けるとネイトは俯きがちだが顔を上げたので、カイムに話しを続けてもらう。
「なんでも、ある法則で紋章を刻む事で大気中に存在している魔力を引き寄せるらしく、その紋章のお陰で本来魔術を使うことが出来ない人間でも魔術を使うことが出来るらしい」
大気中に魔力なんてあるのか。俺も魔術を使ってみたいと思ったが、この感じだと適正は無さそうだな。
「あれ、そういえばカイムは魔術を使っていたけど、あれが本家の魔術?」
「半分はそうと言えるな。私が使っているのは水晶魔術というものだ」
カイムは言いながら、ジャケットの内ポケットから手の平サイズの細長い赤の水晶を取り出して見せた。
「この水晶は特殊でな、魔力を閉じ込めておけるのだ。私はこの中にある魔力を借りて術を使っているのだ」
「へー、術にも色々あるんだな」
「ああ。この水晶魔術はある魔女が、誰でも魔術を使えるようにと考えて作りだした物なのだ」
誰でもって事は、俺でも使えるのだろうか。カイムに聞こうと思ったが、ネイトが不満そうにしている気がした。表情はまったく変わっていないが、さっきの話しから察するに教会は魔術の事を良く思っていないのだろう。信仰心の強いネイトの事だ、俺が魔術を使いたい等と言ったら反対すると思うし、ここは黙っておこう。
「尤も、この水晶が希少でな、魔女の願いが叶う事はないだろうな」
カイムが水晶を仕舞い、一度会話が途切れる。
聞いた情報をまとめよう。俺を狙っているのはレゲネラツィという組織で、リーダーの名前はシュバルツ。目的は旧世界の再生の為に邪魔な天使を排除すること。レゲネラツィ構成員は共通して紋章魔術という術を使う。カイムはシュバルツを追っていて、水晶魔術を使っている。あとは、この世界には魔術師の生き残りがまだ居るってくらいかな。
「カイム、ありがとう。助かったよ。これだけの情報を貰ったんだし、なにかお礼をさせて欲しいな」
俺の申し出にカイムは顎に手を当てて少し考えると、真っ直ぐに俺の目を見て口を開いた。
「ならば、私もエフィム達の旅に同行させてもらいたい。レゲネラツィと接触できる可能性が高そうだからな」
確かに、俺と一緒にいれば間違いなくレゲネラツィと関われるだろう。しかし、カイムが仲間になるなんて、こっちからお願いしたいぐらいだ。
「俺は全然大丈夫だけど、ネイトはどう?」
「私はエフィムの意思に従います」
うん。予想した通りの答えが返ってきたな。あとはルシルの許可があればめでたく仲間に加えることが出来る。俺は頭の中でルシルに呼びかける。
「(ルシルはカイムを仲間にするの賛成か?)」
「(ああ、良いんじゃねぇの?戦闘訓練でもしてもらえよ)」
思いの外あっさりと賛成してくれた。負かされかかった相手を仲間にするのは反対するかもと思ったが、そんな小さい事は気にしないようだ。
「(当たり前だろ。馬鹿にしてんのか?)」
「(確かに俺の考えが浅かったね、ごめん)」
「(分かったら話しを進めろ。俺はアーガの面倒を見ないとなんだ)」
そう言い残し、ルシルは俺の意思が届かない所に去ってしまった。本当に部下想いの良い奴だな、と思った途端に何だか微笑ましくなってしまい、くすっと笑ってしまう。
「エフィム?」
ネイトが不思議そうにこちらを見つめる。それもそうだ、周りからみたら俺が突然笑い出したのだから不思議に思うだろう。
「ああ、大丈夫。ルシルも賛成してくれたし、これからよろしく、カイム」
俺が立ち上がって右手を差し出すと、カイムも立ち上がって俺の手を握ってくれた。
「こちらこそ、よろしく頼む」




