第28話
ルシルとカイムが戦闘を繰り広げている最中、ネイトは天然の障害を掻い潜りながら森の中を走っていた。足に自信があるわけではないが、前を走る人影との距離はみるみる縮まっていく。
「きゃ!」
前の人影が小さな悲鳴を上げて何かに躓いたように倒れる。思いの外早く追い駆けっこは終わりを迎えた。ネイトは棍を強く握り直して起き上がろうとしている人影に迫った。
「観念してください」
「ひぃ!します、します!観念しますから殴らないでくださいぃ」
棍を突き付けると人影はこちらに振り返り、腰を抜かした。人影の正体は丸眼鏡をかけた小柄なシスターだった。
「今すぐ、天子サムエルに施した聖術を解きなさい」
「は、はいぃ。神の尊き慈悲、奉謝致します」
涙目になりながらシスターは頭を下げて祈りを捧げる。これで任務は完了なのだが、ネイトは棍でシスターの頭を小突く。
「痛い!」
「なんですか、その祈り方は。きちんと手を合わせなさい」
「そ、そうしたいのですが、腰が抜けてしまって、手を付いていないと倒れっ痛い!」
「腰を抜かした状態で神に祈りを捧げたのですか?なんて不届き者でしょう、そこに直りなさい」
最初は軽く小突く程度だったのだが、次第に攻撃と呼べる突きに変わっていき、シスターは堪らず倒れて両腕で身を守ろうとする。
「……倒れている者を叩く趣味はありません」
ネイトが棍を下げたのを見て、シスターは安堵の溜め息を吐くが、そんな安息は一瞬で掻き消されることになる。
「ですが、シスターとしての所作がなっていない者を放置できるほど寛容でもありません。早く立ちなさい。」
「ひ、ひぃぃ!!ゆ、許してくださいぃ!」
無表情で見下ろしながら淡々と言い放つネイトを見て、シスターはとうとう泣き出してしまった。
ルシルは強気に構えているものの、受けているダメージは決して小さいものではない。対してカイムは無傷、片刃剣と散弾銃を構えているのに攻めて来ないのは、まだ視界がはっきりとしていないからだろう。
「(さて、退かないのは俺も大賛成なんだが、何か手はないか?)」
珍しくルシルが俺に意見を求めてきた。だが、戦闘経験がほとんどない俺には現状を打開する策など思いつきもしない。始めからルシルも期待はしていなかったのだろう、俺が黙っていても特に落胆を示すことはなかった。悔しいな、間接的にもルシルを助ける事が出来ないなんて。
「(そう落ち込むな。俺だって正直辛いんだ。速度で押し切れないなら火力で押し潰そうと思ったんだが、派手に魔術を喰らってそうもいかなくなった)」
「(それじゃあもう勝ち目ないじゃないか)」
退けないとか言っておいて早々、逃げたくなってきた。
「……ダメか」
ルシルが右手に白い光りを集めて何かやろうとしているが、上手くいかない様だ。
「(なぁ、エフィム……)」
「(なんだ?)」
「(いや、なんでもねぇ)」
これはまた珍しい。ルシルが言い掛けてやめるなんて、余計に気になるじゃないか。
「(らしくないな。ただでさえ不利な状況なんだ、思いついた事を試していこう)」
「(じゃあ言うぞ。エフィム、あいつと戦え)」
「(流石に無理)」
ルシルが押されるような相手に一般人の俺が戦えるものか。戦いに慣れるため、とか言い出したら殴ってやるぞ。
「(落ち着け、何もあいつに勝てと言ってるんじゃない。俺がもう一度あいつの視覚を封じるから大声でも出してあいつの気を引いてくれればいい)」
「(まぁ、それぐらいならできるかな)」
注意を引いた瞬間に散弾銃を撃たれたら終わりだけど、さっきの戦いを見るに、カイムはそんな適当な戦いをしないだろう。
「(その間に俺はアーガを取り戻す。ネイトが術者を倒してくれていれば楽なんだが、確認している時間はない。全力であの野郎をぶん殴って神器だかをぶっ壊す)」
「(なるほど。わかった)」
俺達の目的は何もカイムやサムエルを倒す訳ではない。ルシルの部下である天使アーガを取り戻す事なのだ。アーガさえ手に入れればこんな戦闘に付き合う必要はない。てっきり負けず嫌いでカイムとの戦いに向きになってしまうと思ったが、目先の勝負よりも目的を優先するルシルを少し意外だと思った。
「(アーガを取り戻したらあいつもぶん殴る!良いな!)」
訂正、やっぱり向きになっていた。だが、目的を達成した後のことだし、好きにさせてやろう。
「さぁて、そろそろ目は大丈夫か?」
「まだやると言うのか」
挑発的に笑みを浮かべるルシルとは対照的にカイムは顔をしかめる。
「当たり前だ!俺達に勝てると思うなよ!」
強く言い放つルシルの意思に応えるかの如く、右手に白い光りが集中していく。何か強力な攻撃がくると誰もが思うだろう。事実、カイムも片刃剣を前に出し、ルシルの様子を窺っていた。そして、ルシルは溜めた力を全力で地面に放った。狙いはルシルとカイムの丁度中間地点。地面が爆散し、大量の砂煙が舞い上がる。同時に俺の全身に焼けたような痛みと後頭部に鈍痛を感じた。ルシルが憑依を解いて、俺に体の制御が戻ったからだ。
見た目には異常がないので大丈夫だと思っていたが、どうやら魔術を完全には防げていなかったようだ。全身の痛みがそれを証明している。しかし、そんなものを気にしている暇はない。カイムの注意を引かなくては、ルシルがサムエルを狙っていると感付かれてしまう。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
出せる声量を限界まで出して叫んだ。何もしないで叫び声だけ出すというのも変な感じだが、気にしている場合ではない。カイム、こっちに来てくれ。いや、来てほしくないからこっちを警戒だけしてくれ。
俺の願い虚しく、こちらに何者かが近付いて来る気配を感じた。方向的にカイムだと判断し、後退する。俺が感じた気配はもしかしたら、注意を引きたいという思いと、カイムへの恐怖心が混ざって錯覚したのかもしれない。それでも俺が後退したのは正解だった。数瞬後、俺が元居た場所に刃が地面と水平に薙ぎ払われていたのだ。一瞬にして背筋が凍った。直ぐ目の前にカイムがいるというのに足が竦んでしまう。それほどまでに今の薙ぎ払いは鋭かった。ルシルが戦闘している所を見てはいたが、直接視覚するとこうまで違うのか。
砂埃から片刃剣と共にカイムが現れ、切っ先が俺の首筋に当てられる。
「ぐあぁぁぁ!」
もう駄目だと思った瞬間、砂埃の先でサムエルの悲鳴が聞こえた。ルシルがやったのだろう。だが、片刃剣は今も俺の首筋を捉えており、一ミリも安心は出来ない。カイムは鋭い目付きで俺を睨んでいたが、ふとその表情が和らぐ。
「俺達、か」
そう呟くとカイムは片刃剣を下げ、散弾銃と共に地面に掘り投げた。
砂煙が晴れていき、俺とカイムは揃ってサムエルの方へ視線を向ける。そこにはドアに体を預けて力無く伏しているサムエルと、こちらに向かって白く発光している剣を右手で構えているルシルの姿があった。
「アーガも取り返した事だし、さっきの続きといこうぜ!」
意気軒昂といった様子のルシルに反してカイムは両手を上げて答える。
「護衛対象を喪失した私に、君たちと戦う理由はない」
「はぁ?何言ってんだ?このままじゃ俺がお前に負けたみたいだろうが!」
ルシルは肩を怒らせてこちらに歩いてくるが、カイムは全く動じない。
「あの状況ではまだ五分だったろう。その状況から君たちは目的を達成させた。そちらの勝利だ」
いやぁ、十分こっちが不利だったと思うし、カイムが躊躇なく俺を殺していれば目的も達成できなかったんだよな。
「ふざけんな!俺が納得してないんだ、いいから武器を取れ!」
なんて自分勝手な理由だ。その辺のチンピラとぶつかっても、もっとマシな言い掛かりを付けてくると思うぞ。
俺が呆れていると、洋館の陰からネイトがこちらに歩いて来ているのが見えた。半ば引き摺るようにして誰かを連れているので、その人がサムエルの従者なのだろう。
「ご無事ですか?」
ネイトが声を掛けて来て漸く、ルシルのカイムへ対するチンピラ紛いの絡みは終息した。
「ああ、なんとかね」
応えつつ、俺はネイトの後ろにいるシスターへ視線を向ける。
「うっ……うっ……争い事が嫌だからシスターになったのに、どうして……」
「まだ泣き言を言いますか」
「ひぃぃぃぃ!お願いですからもう許してくださいぃ!」
ネイトが棍を振り上げて見せると、シスターは戦闘時のルシルに負けずとも劣らない速度で俺の背後に移動し、泣き出した。
「な、何があったか知らないけど、もうやめよう。戦いは終わったんだ」
後ろで泣いているシスターが不憫に思えたので、ネイトを宥めて棍を下ろさせる。
「分かりました」
素直に聞き入れてくれたようで内心胸を撫で下ろす。
「じゃあ、もう帰ろう。疲れたよ」
サムエルの目的と言うものが何か気になるが、あの調子では暫く起きないだろう。天使の力も無いし、明日改めて訪問するとしよう。
俺の背中にへばり付くシスターを引き剥がしてカイムに預け、森の出口へ足を進めた瞬間だった。
「上だ!」
カイムが声を張ると同時に俺の上空を片刃剣で薙いだ。何事かと思って見上げると、細かく砕かれた石が顔に振って来た。
「うわっ!なんだ?」
顔にかかった石を手で払っていると、洋館の方から声が聞こえてきた。
「よぉ、戦いたりねぇなら俺に殺されねぇか?」
声の主は洋館の屋根に座ってこちらを見下ろしていた。茶色のマントを羽織い、ブラウンの短髪に切れ長の目、左目に黒い眼帯をしているが、俺はこの男に見覚えがあった。忘れる筈はない、俺がルシルと出会ったその日に襲撃してきた男なのだから。




