第27話
高鳴る胸を抑え、月明かりに照らされる森を進んで行く。簡単にだが道は均されており、道に沿うようにして点々と明かりも灯されているので迷う心配はないだろう。それでも罠がないか周囲を警戒しながらなので進む速度は些か遅い。
暫く歩くと、道が開けた草原の先に明かりの点いた洋館が見える。自分以外の天子と会うのはこれが初めてだと意識すると、心臓の鼓動が一層強くなる。石畳に変わった道を歩き洋館の前まで行くと、ふと背後に人の気配を感じて振り返る。そこには首に黒いチョーカーを着けた痩せ型で中背の男が立っていた。
「夜遅くに呼び出してすまないな。私がサムエル・フォーシェルンドだ」
サムエルの顔はガーター・ブルーの長く伸びた前髪で見えにくいが、垂れた細い目が印象的で、目の下には青いクマが出来ていた。服装はビジネススーツと思われるが、ネクタイは着けておらず、シャツの裾はズボンから出ている。だらしないと思う前に、倒れるのではないかと心配になるほどやつれている印象を受けた。
「ああ、名乗る必要はないよ。エフィムとネイトだよね。早速本題に入ろうか」
俺が口を開くより先に話しを進められる。洋館を背にした状態だと異様な圧迫感を感じたので、サムエルとの距離は保ちながらゆっくりと立ち位置を変える。
「私の事を調べているようだが、どういうつもりかな?」
サムエルは振り返ることなく、顔だけをこちらに向けて質問してきた。
「あなたの宿している天使が俺の天使の部下だと聞いて、どんな人が宿しているのか気になっただけです」
「アガリアレプトが?ということは奴の目的の天使を、君が宿しているわけか」
憑依しているアーガと話しをしているのか、サムエルは俺から視線を外して俯く。そして一つ頷くような動作をしたと思うと、体ごと俺の方に向き直った。
「なるほど、どうやら本当らしい。アガリアレプトは君の天使、ルシフ……」
「あー!前置きはいいんだよ。俺の部下を黙って返すか、殴られてから返すか答えろ!」
サムエルの言葉を盛大に遮り、ルシルが実体化する。
穏便に話し合いが進むと思ったのに、変に挑発するんじゃない。俺は顔を引きつらせつつ、サムエルの返答を待った。
「うーん、あと二ヶ月早かったら素直に引き渡せたんだけど残念。私の目的を果たす為に、天使は離せない」
怪しく笑いながら首のチョーカーを守るように手を添えるサムエルを見て、ルシルは顔をしかめた。
「ちっ、アーガ!そいつの意思は無視してこっちに来い!」
右手を突き出してアーガに呼びかけるが、サムエルに変化はない。いや、肩を揺らして笑っている。
おかしい、天使がその気になれば人の意思を押し退けて体の制御を奪える筈なのだが。
「くっくくく……残念ながらアガリアレプトは過労でお休みなんだ」
過労?そうか、いかに天使といえども力を酷使した後は休息が必要になる。ルシルだって同じだ。しかし、天使の力をそこまで使って何をしたのだろうか。
「そうかよ。なら殴ってから取り返すとするぜ!」
俺が問い掛けるより早く、ルシルは間合いを詰めてサムエルに殴り掛かる。しかし、拳がサムエルの顔面を捉える直前、何者かが割って入りルシルの拳を左手に持った片刃剣で受け止めた。
「くそっ!邪魔すんな!」
ルシルは乱入者に悪態を浴びせる。
乱入者はアメジスト・バイオレットの髪した細見だが筋肉質で、やや身長の高い男だった。前髪は視界の邪魔にならないように分けてあり、頭頂部や後ろの髪はハネたように立っている。服装は上下共に体のラインが出ない程度に細めの黒服で、深緑色の丈の長いジャケット羽織っていた。
「悪いが、こちらも仕事なのでな」
乱入者は片刃剣でルシルの拳を押して体勢を崩すと、鋭い眼光を俺に向けると同時に右手に持っていた銃身の長い大口径の銃を俺に向けた。まずい、今の俺は貧弱なただの人間で、銃弾を避けるなど不可能だ。
「させるかよ!」
乱入者はトリガーに指を掛けたが、銃弾が発射されるより早く、ルシルが俺の体に憑依して防御の体勢を取ったので、乱入者はトリガーから指を話して銃を下ろす。
「天使相手に名乗らず戦うのは無礼に当たるか。私はカイム・ニエンテ。傭兵だ」
「そいつはご丁寧にどうも!」
ルシルは右手から小さな三つの光弾を放つ。二つはカイムへ、一つはサムエルに向けて飛んで行く。カイムは片刃剣を振るって光弾を二つ掻き消すが、サムエルには光弾が直撃した。
「おいおい、今のは三つとも撃ち落とせただろう?なんでわざわざ手の内を見せなくてはいけないんだ?」
光弾はサムエルに当たる直前で見えない壁に弾かれていた。
「相手も直ぐに分かる事だ。隠す必要がないと判断したにすぎない」
「それもそうか。じゃあ、頑張って天使様の相手をしてやりたまえ」
サムエルは不敵にも俺達に背を向けて歩いて行き、洋館のドアの前に座り込んだ。これから起きる戦いを観戦するつもりだろう。
「ルシル様、今の攻撃を防いだのは恐らく従者が掛けた聖術です」
「ああ、だろうな。しっかし、従者のくせに天子の傍にいないとは変な奴だな」
ルシルが空へ向かって光弾を放って少しすると光弾は弾け、一瞬だが辺りを明るく照らした。その一瞬でルシルは従者らしき者の姿を捉える。
「ネイト、従者の方は任せる。洋館の奥の森だ!」
「分かりました。ルシル様もお気をつけて」
ネイトは棍を握り締め、カイムとサムエルを警戒しながら洋館の裏に回って行った。
「随分と素直に行かせたじゃねぇか。術しか能のない臆病者だから奥に隠してると思ったが、違ったか?」
「天使様の言う通りです。出来ることならそちらの従者に気合いを入れ直してもらいたいものです」
サムエルは肩を竦めながら両手をあげてふざけた笑みを浮かべている。真実か、罠か、どちらにせよ従者の相手はネイトに任せた事だ。それに、援護に向かおうにもカイムが立ちはだかる事は必至である。ならば俺達がやるべきことは一つ。
「そんな余裕、直ぐに無くしてやるぜ!」
全身に白い光りを纏わせたルシルはカイムとの間合いを一瞬で詰め、拳で連撃を放つ。しかし、それらは全てをカイムは片刃剣で捌き切る。
拳と剣が正面からぶつかり合っているのは奇妙な光景だが、驚くべきはカイムの剣捌きである。並大抵の剣士では初撃を防ぐことも難しい筈の高速の連撃を、顔色一つ変えずに裁いたのだ。相当の手練れと思って良いだろう。
「やるじゃねぇか!」
ルシルは回し蹴りを放ってから後退すると右手を突き出して細い光線を撃つが、カイムは臆する事なく片刃剣を構えて光線を斬り裂きながら突撃してきた。ルシルが迎撃しようと拳を構えたが、こちらの攻撃範囲に入る数歩手前でカイムは足を滑らせて減速し、右手の銃を構えてトリガーを引いた。炸裂音と共にいくつもの銃弾がルシルの身を襲う。カイムの持っていた銃は散弾銃だったのだ。
咄嗟に防御の構えを取るも、近距離で受けた銃弾の衝撃を完全に殺す事はできずに仰け反ってしまう。そこに再び加速したカイムの剣撃が襲い掛かる。
袈裟斬り、薙ぎ払い、突きと連続で剣撃を喰らってしまうが、体に纏わせている白い光りのお陰で無傷で済むが、剣を伝って来る重い衝撃によって体力は確実に削られている。
「流石に堅いな。ならば!」
「うっ!」
カイムに銃口を押し付けられ、反射的に後ろに跳んで距離を取る。それでも散弾銃の射程距離内だったが、銃弾は発射される事はなかった。それどころかカイムも後ろに下がって銃を腰の後ろに仕舞い、代わりにジャケットの内から赤く細長い宝石のような物を取り出した。
「燃え盛る炎に呑まれよ。インジェネリメント!」
唱えながら宝石を二つに割ると宝石は燃えたように消える。直後、ルシルの足元が赤く染まり、熱気が立ち込める。
「まずい!」
危険を察知して急いでその場を離れようとしたが、間に合わない。逆巻く巨大な炎が立ち上り、ルシルの体を呑み込んだ。
「ぐあぁぁぁぁぁ!」
「(うわぁぁぁ!)」
俺は直接熱を感じている訳ではないが、自分の身を焦がす炎を見て熱を錯覚し、目を瞑って悲鳴を上げてしまう。
「やってくれるじゃねぇか!」
ルシルの声に、俺は漸く目を開く事ができ、炎が収まったと認識した。実際の時間にして十秒程度だったのだろうが、体感では数分もの間、炎に焼かれていた気分だ。
俺の体は白い光りが守り切ったのだろう。焦げた跡すら見当たらない。だが、白い光りが随分と弱々しくなっている。カイムに向かって走っているこの瞬間にも消えてしまいそうだ。
カイムの右手は既に散弾銃を構えており、次の瞬間にはトリガーを引くだろう。ルシルは速度を落とさず、カイムの左を駆け抜けるような軌道を取った。だが、ルシルの視界が捉えたのはマズルフラッシュする銃口でも、カイムの横顔でもなかった。胴 を薙ぎ払うように振るわれた片刃剣だった。
散弾銃を撃つ体勢から一瞬にして剣撃の体勢に移ったというのか?違う、始めから散弾銃を撃つ気はなく、剣撃を狙っていたのだろう。
意表を突かれた攻撃に、跳んで避ける事も、下を潜り抜ける事も叶わない。ルシルは左手に白い光りを集中させ、片刃剣を弾き返すも、続いて来た散弾銃による殴打には反応出来なかった。思い切り後頭部を殴られ、前につんのめる。
「クソが!」
カイムに右手を向け、強く発光させる。これにはカイムも意表を突かれたのか、後ろに跳び退いた。この隙をルシルが逃す筈はない。再度接近するか、光線を放って攻めに転じるだろう。しかし、俺の予想はあまりにも短絡で、楽観過ぎた。
「あー、気持ちわりぃ……」
ルシルは肩で息をしながら片膝を付いていた。後頭部を殴られたダメージが予想以上に大きかったのだろうか。
「あれで倒れないとはな。頑丈なのか、まだ底に力が残っているのか」
カイムは立っていたが、目元を手で押さえており、何か仕掛けてくる気配はない。
「少し経てば私の視力は戻るだろうが、そちらの体力はどうだ?無理をして大怪我をする必要はない。私は撤退を提案するが、どうだろう?」
「そうそう。私達は君を傷付けるつもりなんてないのさ。だから、どうか私の目的が達成されるまで、関わらないでくれないか?」
ルシルを圧倒する傭兵カイムに、何かを企んでいる裁判所長官サムエル。武力も権力もあるこの二人を、このままにしておいては何が起きるか分からない。もし、サムエルの企みが善行だったとしてもその先は分からない。自身の力を過信し、暴走する可能性だってある。これは完全に俺の主観だが、サムエルの雰囲気からは狂気へ足を踏み入れつつあるような感じがする。サムエルを止める為にも、天使を取り戻す為にも、ここは退けない。
「少し休んでみれば言いたいこと言いやがって……」
両足に力を入れて立ち上がるも、ふらついて数歩たたらを踏んでしまう。なんとか踏み止まり、深く息を吐くとカイムへ視線を投げ付ける。
「俺の連れは全く退く気がないようなんでね。まだまだ相手してもらうぜ!」
右手を突き出して構える。体に纏っている白い光りは風が吹けば消えてしまいそうな程に儚く揺れているが、確かに光りはある。まだ、消えてはいない。




