第26話
上流居住区を抜け商業区に向かっている最中、アリナは肩を落としてがっくりと項垂れていた。
「はぁ、まさか天子様の前であのような醜態を晒してしまうとは……」
「大丈夫だって。そんなに気にしなくていいよ」
先程からこの調子で宥めているのだが、アリナの気分は一向に晴れないようだ。昨日話した時も権力とか義務とか言っていたし、責任感が強いのだろう。
「わたくし、身長の事になると本当に駄目なのですわ。直ぐに頭に血が上ってしまって、言葉遣いも汚くなってしまいますの」
「誰だって自分が気にしている事を他人に陰で言われたら怒るよ。無理に自分の気持ちを抑える必要はないと思うけど」
「そういう訳には参りませんわ。わたくしは上流市民ですから、もっと余裕を持った大人にならなければいけないのですわ」
無理に大人になる必要はないと思うんだけどなぁ。アリナと同い年のマルカなんて、まだまだ子供だし、大人ぶろうとすらしないぞ。しかし、このままでは空気が重いのでどうにか話題を変えなければ。
「そういえば、アリナはサムエル・フォーシェルンドって人のこと知ってる?」
政治家の父親を持つアリナならばサムエルの事を知っているかもしれない。尤も、サムエルが住んでいるのは上流居住区の反対にある森で、エルナの話しでは一部の政治家から不当な賄賂を受け取っているらしいから、廉直に義務を果たそうとしているアリナや父親とは関係が薄そうではある。
「天子様であり、最高裁判所長官ですが、その方がどうかなさいました?」
どうやら話しに興味を持ってくれたようで、先ほどまでアリナが纏っていた鬱屈とした雰囲気がどこかへ消え去った。俺は内心で胸を撫で下ろし、話しを続ける。
「風の噂なんだけど、一部の政治家と不当な取り引きをしているって聞いて、少し気になってね」
アリナが驚いた様に目を見開く。何か真相を知っているのだろうか。
「流石は天子様ですわ。情報を取り入れるのが早いですわね」
口振りからして取り引きが行われているのは事実なのだろう。しかし、天子であり裁判長官であるサムエルが何を目的に賄賂を受け取るのか。天子というだけで教会から支援金が貰えるし、元々裁判官として働いていたのなら経済的に困ることはなさそうなものだから、受け取っているのは金銭以外の希少な物品か。
「あまり外でお話しする内容ではございませんわね。続きはどこか、落ち着いて話せる所を見つけてからでも宜しいでしょうか?」
アリナの提案に頷き、一旦話しは保留にして街案内ついでに話しが出来そうな店を探す事にした。
落ち着いて話せる場所か、朝行ったばかりだが喫茶アッハラーノを一応の選択肢に入れておこう。
それから俺達は商業区を一通り周り、今は西へ少し外れた所にある喫茶店で腰を落ち着けていた。街を回って分かったのだが、意外にもアリナの事を知っている市民が多かった。父親が民衆向けの政策をいくつも立案しているのもあるが、何度かお忍びで遊びに来ている内にアリナと顔見知りになり、お転婆さを可愛がる老人が多かった。
「では、サムエル様についてお話ししましょうか」
注文した紅茶を一口飲み、アリナは真剣な眼差しを俺に向けた。
ちなみに、店内は昼間なのにやや薄暗く、客も疎らだ。カウンターにはマスターであろう初老の男が茶葉の補充等をしており、誠実そうな若いウエイターが客の注文を丁寧に取っている。服装は二人共フォーマルスーツに似た制服を着用している。やっぱり、喫茶店と言ったらこういう感じだよなぁ。
「サムエル様が現在の地位に就いたのは約一年前ですわ。当初は正しい秩序を守ろうとしており、お父様とも友好関係にあったのですが、二ヶ月ほど前から疎遠になり賄賂を受け取るようになったと聞いておりますわ」
「なるほど。どんな賄賂を受け取っていたかは分からないか?」
「毎回同じ物を受け取っているかは分かりませんが、現場を見たお父様が言うに金銭のようですわ」
どうにも解せないな。エルナも金銭を受け取っていると言っていたし、アリナの父親も金銭だと言っている。何かの大事を起こす資金を溜めているのだろうか。
「天子としては何か活動していないのか?」
「わたくしが見る限り、裁判長官としての職務以外は特になさっていないようですわ」
天使であるアーガの目的が何か分からないが、天子としての使命を果たしていないのならば教会からの支援金は大した額が貰えない筈だ。だが、手早く資金を集めたいなら多少手間が掛かっても天子としての使命を果たし、支援金を貰うのが確実な筈なのに、それをしていない。資金を集めているわけではない?でも、それならなんで当初の目的を放棄して賄賂を受け取っているんだ?
考えても考えても答えは出ないばかりか逆に疑問が増えていく。俺は一旦思考を止めてコーヒーを飲んだ。ちらりとネイトの方へ視線を向けると、いつもの半眼でこちらを見ているだけで、口を出してくる様子はない。俺は小さく息を吐いた後にアリナの方へ顔を向け、笑顔を作った。
「ごめんね、街案内する予定だったのにこんな話しになって」
「い、いえ、わたくしは大丈夫ですわ。天子様と共に街を歩けただけで十分ですわ!」
「ありがとう。でも、折角だからもう少し街を回ってみようか。どこか行きたい場所はある?」
俺の問い掛けに、アリナは頬に片手を当てて考え込む。
「そんなに慌てて考えなくても良いよ。この喫茶店でゆっくり休んでから行こう」
「お気遣い感謝しますわ」
アリナは軽く頭を下げ、紅茶を口に含む。
それから小一時間、他愛のない雑談を交えて過ごした後、喫茶店を後にする。
「天子様、わたくし行きたい場所があるのですが、よろしいでしょうか?」
「うん、どこ?」
「少し遠いのですが、歴史研究所に行ってみたいのですわ」
歴史研究所はテイングの南端に建てられている。少し歩くが、アリナが行きたいと言うのなら喜んで付き合おう。俺は快諾し、歴史研究所へ向かって歩き出した。
国立歴史研究所本部、石材で作られた門の上に刻まれた名称を確認し、中へ入ると警備員が声を掛けてきた。
「紹介状か招待状、または関係者であることを証明出来る物はお持ちですか?」
「えっと、これじゃ駄目ですか?」
天徽章を見せると、警備員は目を見開いて驚く。
「こ、これは天子様でしたか!失礼しました。どうぞお通り下さい」
「どうも」
警備員は建物の入り口の方を手で指し示し、深く頭を下げた。
敷地内にはいくつもの建物が存在し、高層ビルから横長の建物に円形の講堂のような建物、果ては巨大な三角の建物まで様々だ。警備員に通された所は、奇天烈な建物の中で不自然なほど普通な建物だった。中は事務室的な感じで、受付に見学を希望する。ここでも身分証の提示を要求されたので天徽章を見せ、先ほどの警備員と同じ反応をさせる。
程なくして現れた研究員に連れられ、研究所を案内してもらう。
「何か気になる物でもあるのか?」
研究所内、今は地質学の研究施設を歩きながらアリナに尋ねる。展示されている地層の画像や岩石を物珍しそうに見ていたアリナは、尋ねられた事に少し驚きながらも応えてくれた。
「考古学の研究に興味があったのですが、こちらはこちらで大変面白い物が沢山ありますわ」
考古学か、母さんが研究している分野だな。父さんも母さんも自分たちから仕事の内容を話す事はしないので、詳しくは知らない。
「確かにね、旧世界が滅んで数十億年経っていると言われているけど、各地の遺跡で多くのデータが見つかっているし、文献だって残っているのは不思議だね。まるで……」
「神様がわたくしたちに過去の事を伝えるために残してくださったようですわ」
アリナに俺の言おうとした事を先に言われてしまう。アリナが悪戯っぽく笑みを浮かべるので、俺も微笑んで応える。普段なら天子の言葉を遮るような事はしないのだろうが、周りの遺物に知識欲を掻き立てられて興奮しているのだろう。
一通り見学し終えると、次の研究所へ案内される。アリナの本命である考古学の研究所のようだ。
「歴史について調べるのが好きなのか?」
「はい!旧世界から学べることは星の数ほどありますわ!これから、わたくしたち人間がどう生きていくべきなのか、将来人の上に立つ者として考えなくてはなりませんから!」
そう言うアリナの目はこの上なく輝いていた。少女の穢れなき夢を前に、俺は思わず目を逸らしてしまう。
「天子様?」
直ぐに視線を戻したが、アリナには気づかれてしまっていた。小首を傾げて尋ねられ、一瞬どもるが、ここは素直に白状しておくか。
「アリナが眩しくて、つい視線を外してしまったんだ。ごめん」
俺の謝罪を聞くと、アリナの顔がみるみる赤くなっていく。
「も、申し訳ありません。わたくし、思わずはしゃいでしまいましたわ」
アリナが顔を隠すように俯いて謝る。まずい、俺の言い方が悪くて気を遣わせたようだ。普段から上流市民として立ち振る舞いに注意しているのだから、今日、俺と一緒にいる時ぐらいは歳相応の女の子として楽しんでもらうよう、俺がもっと気を付けるべきだった。
今からでも遅くはない、どうにか立て直さなくては。俺は意を決してアリナの頭へ手を伸ばす。
「身分なんて気にする必要はない。今……というか俺と一緒にいる間は上流市民としてでなく、一人の女の子として、自分に素直になって楽しんでくれて良いよ。その方が俺も嬉しいからさ」
ゆっくりとアリナの頭を撫でるのだが、撫でる度にアリナの顔がどんどん赤くなっていく。まさか、頭を撫でられるのが嫌いだったのだろうか。よく考えてみれば、身長の事を気にしているようだったから、自分の頭上で何かをされて良い気分になるわけないな。
「アリナ?」
手を離し、様子を窺おうと顔を近付けた途端、アリナは両手で顔を覆って案内してくれる研究員の隣りまで走って行ってしまった。
「なにやってんだろ、俺」
俺が落胆して肩を落とし、項垂れているとネイトが隣に歩み寄って来る。
「あのような事は、歩きながら言うものではないと思います」
「はい。反省します」
その後アリナの相手はネイトに任せ、俺は出来るだけ研究資料を見る事に集中して話しかけないようにした。といっても、話しかけても顔を背けられてしまった気を紛らわせるのに必死で、どんな資料を見たか殆ど覚えていない。
研究所全てを見学し終えた頃にはすっかり日が暮れていたので、少し焦りながらアリナを家に送り届けた。いつの間にかアリナの機嫌も直っていたのは幸いと言えるだろう。
「天子様、本日はお付き合い頂き、誠にありがとうございました」
「こちらこそ、色々と聞けて楽しかったよ」
玄関前で別れの挨拶を交わす。勿論、アリナの後ろには使用人が勢揃いで頭を下げている。人目を引くからやめてほしいんだけどな。
「あの、天子様、もしよろしければ……また一緒にお出掛けして頂けませんか?」
アリナが頬を赤く染めて、それでも視線は外さずに訪ねてくる。研究所の一件で距離を置かれると思っていたので、この申し出はありがたい。
「もちろん。また一緒に街を回ろう」
「ありがとうございます!」
俺が笑顔で快諾すると、アリナも目一杯に笑みを浮かべて応えてくれた。数人の使用人が頭を下げながら顔を見合わせ、ニヤニヤと笑っているが気にしないでおこう。
再度、今日の事に感謝の言葉を述べられ、俺とネイトは屋敷を後にした。食事にも誘われたが、やはり一時的とはいえ、アリナに距離を置かれた身としては甘えるべきではないと判断し、断った。
途中で夕食を摂って宿屋に戻ると、女将さんに呼び止められ、一通の封筒を渡された。差出人はサムエル・フォーシェルンド。俺とネイトは急いで部屋へ入り、封を開ける。中には書状が一枚だけ入っており、手紙には『今夜十時、西の森で待つ』とだけ書かれていた。
「良いタイミングだ。暇すぎて死にそうだったんだよ」
ルシルが実体化して体を伸ばしている。
十時というと、あと一時間強といったところか。随分と急な展開に、俺の心臓は強く脈を打った。話し合いで事が済めば良いが、その可能性は限りなく零に近い。何故かは分からないが、この胸のざわつきが俺に確信めいたものを伝えている気がする。
幸いな事に、まだ一息入れる時間はある。心を落ち着けてからサムエルの元へ向かうとしよう。




