第22話
カーテンの隙間から朝日が差し込んでくると同時に俺は目覚めた。アリナとの約束の時間までに教会で調べ事を済ませる為だ。急ぎ過ぎかもしれないが、情報が無くては今後の行動予定を立てることも出来ない。
宿は駅の南西に在った木造二階建てのこぢんまりとした所に泊まった。特に理由も無く選んだ宿だったが、宿泊設備の殆どが木で出来ており、部屋に入ると微かに木材の匂いがして落ち着いた雰囲気がして俺としては好印象だった。慣れない旅に、いつ襲撃されるか分からない恐怖心で良く寝付けなかったのが悔やまれる。
昼間や、宿でネイトと話したり、徽章を通じて家族と話している時は気にならなかったが、一人になった途端に嫌でも襲撃を警戒せざるを得なかった。ルシルは余裕そうにしていたが、俺はそこまで神経が太くはない。こんな不安がこれからも続くと思うと早くも気が滅入ってしまう。
「(そんなに一人が怖いならネイトと一緒に寝ればいいじゃねぇか。ネイトのことだ、二つ返事で引き受けてくれるだろうぜ)」
「(それは別の意味で寝付けなくなるから却下)」
「(じゃあ俺が実体化してやろうか?)」
「(ベッドから叩き落されそうだから却下)」
ふざけた会話をしながら支度を済ませ、ネイトを呼びに行こうと部屋を出ようとした時、ふと思い出す。
「(そういえばルシルは俺に憑依している時、食欲とか睡眠欲は俺の体と繋がっているんだよな?)」
「(ああ、そうだ)」
「(じゃあなんで最初会った時、俺は起きているのにルシルだけ寝ていたんだ?)」
「(そりゃあ、天使と人間が一つの体を共有するんだ、馴染むまでに多少の時間はかかるだろ)」
そういうものか。考えてみればそんなに重要なことでもないので、ルシルの言葉に素直に納得し、部屋のドアを開けた。
「おはようございます」
「わ!びっくりした……」
ドアを開けたら直ぐ正面にネイトが立っており、俺の姿を見た瞬間に挨拶をしてくる。
「何か驚かせるようなことをしてしまいましたか?」
「いや、何でもないよ。おはよう」
正面にいるとは思わなかったが、ルシルとの会話に気を取られていたのが驚く原因となったのは間違いない。今後は気を付けよう。
俺とネイトは宿を後にし、朝食を摂るにもまだ店はどこも開いていない。我慢できない空腹感でもなかったので真っ直ぐ教会を目指した。
ちなみにネイトは教会で暮らしていた時、朝の礼拝を終えてから朝食を摂る生活をしていたので特に意義を唱えることなくついて来てくれている。本人が言うに、起きてから何か行動しないと、落ち着いて食事が摂れないらしい。
朝日に照らされる街並みを見ていると何だか気持ちが晴れやかになってくる。涼しげな風も心地いい。今日も天気は晴れだな。
商店街を抜けて住宅街を進んで行くと、家々から生活音が漏れて聞こえて来る。眠たそうに通勤する社会人や、気怠そうに通学する学生を見て平和を実感する。それと同時に自分が一般的な生活から離れている事に気付き、右腕に着いている腕輪を一瞥した。
現実から、マルカから逃げたくて非日常を望む事も沢山あったが、叶わぬ望みだと理解していた。しかしルシルと会って、天子になって、俺の日常は急変した。ルシルによって現実に向き直され、マルカと和解できた。今では平穏な日常に戻りたいと思うのに、天子という立場がそれを許してくれない。人生、思った通りにはいかないな。
天子になってまだ三日目というのに何を感慨に耽っているのだろうか、これからもっと多くの出来事を体験していくのだから気合いを入れよう。
そんな事を考えていると道が開けていき、教会に辿り着く。リュンリグネの教会も中々に大きかったが、目の前に建つ本堂はその倍、いや三倍もの大きさだった。白に近いベージュ色の外装に、綺麗に舗装された道、形が整えられた木々と、まるで宮殿のようだ。
「ネイトはここに来たことあるのか?」
呆気にとられた表情で教会を見上げつつ聞くと、ネイトは小さく頷いた。
「はい。小さい頃にツァピン司祭と他のシスターと共に一度だけ」
小さい頃か、じゃあ司教がどんな人物か聞いてもあまり参考にはならなそうだな。俺は上がりっぱなしだった顔を両手で正面に戻し、一呼吸置いてから教会の扉を開けようとしたのだが……
「おーい!朝早くから邪魔するぞー」
ルシルがいつの間にか実体化して勝手に中へ入って行った。俺とネイトは慌てて後を追う。
朝の礼拝が終わったところだったのか、堂内には多くのシスターや礼拝に参加した市民、主に老人が居たが祈りを捧げている様子はなく、隣人と会話している者もいた。だが、皆ルシルの姿を見るなり目を見開き、次の瞬間にはルシルに向かって跪くなり、手を合わせるなりして祈りを捧げていた。
「おお、こんな朝早くに天使様を拝めるとは……ありがたや、ありがたや」
「今朝は随分と腰の調子が良いと思ったのは、天使様にお会いできる予兆だったのじゃな」
教会の人間なら兎も角、一般人が一目見ただけでルシルを天使と見抜けるのか。こんな朝早くから礼拝に来るような信心深い老人だから分かったのかもしれないな。
祈りを捧げる人々を特に気にせず、俺たちは長い身廊を真っ直ぐ歩いて行く。目的は祭壇の前で跪いている司教だ。
「よう、お前が司教か?俺はルシル。で、この二人がエフィムとネイトだ」
「はい。私がティエドゥール教会本堂に仕える司教、マルセル・ブレーンスと申します。天使ルシル様、本日はようこそ御出でくださいました」
ブレーンス司教は跪いたまま、はっきりとした口調で名乗った。
「いくつか聞きたい事があってな、敬意は十分伝わったから立ってくれ」
「はい。それでは失礼します」
断りを入れてから立ち上がるブレーンス司教の背はルシルよりも若干高く、鋭い目付きと彫りの深い顔からは厳格さが感じられた。
「此度はどのような御用件でしょうか?」
「この街に居る天使について聞きたい。できるだけ詳しく」
「はい。現在、テイングには天使ルシル様を含め、五名の天使様が居られます。上流居住区に二名、歴史研究所の奥に一名、西の森に一名、教会で提供させて頂いている邸宅にお住まいで御座います。天使様の名前や使命等は私程度の者が口にする事は畏れ多きに御座いますのでどうかご容赦願います」
随分と堅い物言いだな。ルシルも同じことを思っているのだろう、少しだけ眉間を詰めて嫌そうにしている。
それにしても、教会から邸宅が提供されるなんて初耳だな。ツァピン司祭は何も言っていなかったし、リュンリグネには無かったんだな。俺たちも申請すればテイングの邸宅を貰えるのか?いや、そんなに長く滞在する気もないし必要ないか。
「その邸宅に天使が住んでいるってのは一般的に知られているのか?」
「はい。教会の方で明言している訳では御座いませんが、何分、天子様用に建てられた邸宅ですので民衆にも知られている事でしょう」
ブレーンス司教の返答を聞いてルシルは少し考えた後、次の質問へ移った。
「最近、天使が術みたいな物を使う奴に襲撃されたって報告はあるか?」
この質問にブレーンス司教は怪訝な表情を浮かべる。
「そのような報告は受けておりませんが、そのような不届き者が居るのですか?」
見た感じ、本当に知らなそうだな。簡単にボロを出すような人間にはとは思えないから、まだ信用するつもりはないけど。
「一昨日、俺がエフィムと出会って、教会に儀式の準備を頼んだ後にな」
「なんと愚かな。直ぐに各教会へ伝達し、天使様への警護を強化致します。安全の為、天使ルシル様も邸宅でお過ごしください」
「いや、俺は自由に生きていたいんでね、遠慮させてもらう。それに……」
ルシルはブレーンス司教に一歩詰め寄り、睨み上げるようにして言葉を突き付けた。
「今のところお前が一番怪しいんでな。警護する振りして増援でも呼ばれたら面倒だ」
ブレーンス司教は一瞬だけ驚くものの、直ぐに平静を取り戻して跪いて頭を下げた。
「天使ルシル様が私を怪しいとお思いでしたら、どうぞ私に裁きをお与え下さい」
「こっちを見ろ。弁解とか理由を聞くことはしないのか?」
「無用です。私は天に仕える身。天からの使者である天使ルシル様に疑われているのならば、その事実を受け入れ、裁きを受ける以外に私が選ぶ道はありません」
心の底から神を、天使を崇拝していると思うと同時に、何があったらそこまで崇めることが出来るのかという疑念を抱いた。どちらにせよ、ここまで言えるのなら襲撃とは関係なさそうだ。
ブレーンス司教は真っ直ぐにルシルの目を見据えていた。数秒間の静寂の後、ルシルがゆっくりと口を開く。
「その強すぎる信仰が、時に自分や周囲の人間を苦しめることを忘れるなよ」
「ありがたきお言葉、しかと肝に銘じておきます」
「一応、疑った理由を話しておくか」
ルシルはブレーンス司教を疑う理由となったツァピン司祭との会話を掻い摘んで話した。
ツァピン司祭の名前が出た途端、ブレーンス司教の表情は険しくなり、話が終わる頃には怒り感情が滲み出ていた。
「天使様、ツァピンの言葉を信じてはなりませぬ。奴こそ疑われるべき、裁かれるべき者。大司教としての務めを放棄した横着者です!」
「ふーん、あいつがねぇ」
大司教って、教会国家ゴードヴィッドにある大聖堂に仕え、世界中の教会をまとめる役職だったはず。元とはいえ、それほど偉い人だったとは予想もしなかった。しかし、務めを放棄とは何か複雑な事情がありそうだ。
横目でネイトを見るが、表情等には特に変化が見られない。既に知っていたことなのだろう。
「……これは失礼しました。天使ルシル様の前で私情に駆られる愚行、どうかお許しください」
「大丈夫だ、気にするな」
「天使ルシル様の寛大なる御心、痛み入ります」
「さーて、面白い事も聞けたし、そろそろ出ようぜ」
ルシルは振り返ると俺とネイトの肩を軽く叩いて出口へ歩いて行く。俺は直ぐにルシルの後を追い、一歩遅れるようにしてネイトも付いて来た。




