第17話
有罪、有罪、無罪、有罪、有罪、有罪、有罪、有罪……懲役、懲役、死刑、罰金、懲役、名誉刑、懲役……
最高裁判所長官サムエル・フォーシェルンドは日々、憂鬱としながら裁きの宣告を下していた。
彼にとってはどんな難航した裁判でも、有罪か無罪かなどは十分もあれば分かることだった。事件当時の状況を視認し、犯人の精神状態までも分かるのなだら、後は法令に基づいて刑罰を与えれば良い。しかし、現実はそんな簡単にはいかない。被告人に弁護人に検察官、自分以外の裁判官の話しを公平に聞き分け、その上で判決を下さねば独裁者と呼ばれかねない。
ただでさえ彼は二十八歳という若さで最高裁判所長官となったのだ、出過ぎた真似をすれば年嵩の裁判官からの批難は必至だろう。勿論、表立ってサムエルの事を批難すれば次に法廷で会った時に刑罰を言い渡される事になるのだが。
サムエルが今の地位に就いた理由は彼が首に付けている黒いチョーカーである。このチョーカーは神器であり、アガリアレプトという天使を宿していた。
アガリアレプトは読心術と時を操る能力を持ち、目的はとある天使を待つ事と人間観察だった。なのでサムエルは旅に出る事もなくテイングの裁判所に勤めている。
天子になって裁判長に任命された時は自分の幸運に雀躍したくなるほどで、職務にも誠実に熟した。しかし三ヶ月もするとサムエルは懐疑の念を抱くようになった。
元々、人間の国エウメプは王制国家で各都市を貴族が治めていたのだが、天使の出現に伴い王制が廃止された。貴族達は領地を剥奪されると、首都で政治家として活動するようになった。爵位も一度は剥奪されたものの、政治家としての地位を示す際に爵位を使用することにした。そこまでは良かったのだが、彼らは度々、裁判所に足を運んでは判決の内容を賭け事にして遊んでいた。
貴族だった時の名残りなのか知らないが、今の政治家どもは一般市民の愚行が晒され、裁かれるのを愉悦の一種として捉えているようだった。サムエルも立場上そういった手合いと会食する機会があり、何度か派閥に取り込まれそうになったが全て突っ撥ねた。サムエルにはそれだけの権力があったし、甘言に乗せられるほど堕落もしていなかった。裁判を起こしてやろうとも思ったが、流石の天子といえども一人で政治家を相手にするのは難しかった。
裁くべき相手がいるのに裁くことができない。天使と法の力を以ってしても秩序を守ることができない。
始めは改善しようと躍起になって協力者を募っていたが誰が好き好んで政治家と対立したいと思うだろう。それに賭け事をしている政治家どもは何かに実害を与えている訳ではない。自分達が楽しむ手段として裁判を見に来ているだけだ。
一年もするとサムエルの政治家へ対する不満は消えさったが、同時に裁判長としての誇りも消えていった。毎日法廷に現れる罪人に刑罰を言い渡すだけの生活を受け入れ始めていた。
朝早く起こされた俺たち一家は教会で朝食をご馳走になり、ついでに朝の礼拝とかいうのにも参加した後、家に帰って旅立ちの準備をすることにした。
ネイトは既に荷造りが終わっていたようで、手荷物と身の丈ほどもある杖のような物を持って付いて来た。地味に服装も変わっており、ベールを被らずに白いケープを着用しており、修道服は腰部を白い帯で留め、背中で蝶結びにしている。服の丈も少し短くなっている気がする。
家に着いて直ぐに部屋へ行き、紺色のリュックに荷物を詰める。母さんやマルカがあれこれ余計な物を持って来るが無視し、父さんは仕事で地質調査に行く機会が多いからか、手際よく荷造りを手伝ってくれた。
荷造りが終わり、出発しようと思ったらルシルが服装を変えろと言ってきた。俺は儀式の時の礼装でもよかったのだが、周囲に天子だと気づかれたくないようだったので着替えることにした。着替えと聞いて母さんとマルカは眼の色を変えて俺に迫ってきたが、全力で拒否する。父さんに協力して二人を部屋から追い出し、やっとの思いで一人になれた部屋で着替えを始めた。
「お待たせ」
支度を済ませ、皆が待つリビングへ顔を出す。
服装は薄い青色のシャツの上に黒いパーカーを羽織り、灰色のズボンを履いている。特に目立つ訳でもない、普通の恰好だと思う。
マルカは俺の恰好を見て少し悩んだ後に俺へ近付き、パーカーのボタンを一番上から下二つを残した所まで留めた。
「これでよし!」
よく分からないがマルカが納得したようなので良しとしよう。俺よりマルカの方がファッションとかには詳しそうだし。
「エフィム、もう行くの?」
母さんが俺の肩に手を置いて尋ねてくる。
「うん。あんまり長居すると気持ちが揺らぎそうだし」
応えて、家族の顔を一人一人しっかりと眼に焼き付けた。そういえばネイトが居ない、外で待っているのか?
「エフィムは意志の強い子だものね、あんまり引き止めちゃ悪いわね」
そう言って母さんは俺の肩から手を離し、両頬を優しく包み込んだ。
「無理はしないでね。テイングになら母さんが居るから、いつでも甘えにいらっしゃい。あと、ネイトちゃんのことも大事にするのよ」
「うん、わかったよ」
頷くと母さんは名残惜しそうに手を離し、一歩後ろに下がると今度は父さんが俺の前に立って両肩に手を乗せた。
「エフィム、お前は一人で抱え込みがちだからな。大きな使命を課せられたんだ、先ずは自分を大事にするんだぞ」
「うん、気を付けるよ」
奔放主義の父さんがこんな風に言ってくるのは珍しいな。母さんやマルカが強すぎて気付かなかったけど、父さんもかなり心配してくれているんだ。
父さんは一瞬強く俺の肩を押してから下がり、泣いている母さんの肩を抱いた。
「お兄ちゃん……ぐすっ、ぇっぐ……」
マルカは泣きながら抱き着いて来て、顔を上げて何か言おうとしているものの嗚咽が漏れるだけである。俺は微笑んでマルカの頭を撫でてやる。
この泣きっぷりだと、やはりまだ俺が旅に出ることに納得していないのだろう。嗚咽が言葉を邪魔しているのかと思ったが、もしかしたら俺を引き止めようとする言葉を必死に堪えているのかもしれない。
「我慢しなくていいんだぞ」
俺の言葉にマルカは首を横に振る。ああ……涙と鼻水で顔がグシャグシャじゃないか。
「ほら、これやるから。こまめに通話かけるからそんなに泣くなって」
ポケットから地徽章を取り出し、マルカに渡そうとするが、抱き着いたままで中々受け取ってくれない。
「約束したろ?絶対無事に帰ってくるって。俺を信じろ」
漸くマルカは俺から離れ、地徽章を受け取ると大事そうに両手で握り締めた。
「約束……だよっ!」
「ああ、約束だ」
マルカは母さんに抱かれると本格的に声を上げて泣き始めた。俺だってやっと仲直りできたマルカと離れるのは辛いが、ここでそれを表に出す訳にはいかない。
「マルカの事は私たちに任せて、いってらっしゃい」
「気を付けてな」
「ありがとう、いってきます!」
せめてマルカが泣き止むまでは一緒に居たかったが、そこまで居たら決心が揺らいでしまう気がしたので俺は心の中でマルカに謝り、出発することにした。
玄関を開けた先にはネイトが待っていた。
「もう、よろしいのですか?」
「ああ、大丈夫だ」
玄関を閉めてもマルカの泣き声が聞こえてきたので俺は思わず苦笑した。
俺とネイトは最初の目的地、首都テイングを目指すべく駅に向かって歩き出す。
リュンリグネはエウメプ国東部最大の街なので、列車の運行数も多く、少し値段は高いがテイングへの特急列車も通っている。教会から十分すぎるほど支援金を貰ったので遠慮なく使わせてもらおう。
歩きながら頭の中でルシルを呼び、今朝ツァピン司祭に言われた事について考える。
————朝の礼拝を済ませると俺はツァピン司祭に連れられて小部屋へ入った。そこで支援金を受け取ると同時に、ツァピン司祭は俺にだけ聞こえる程度の声で話す。
「昨晩、教会内部と周囲に聖術以外の術の痕跡がないか調べましたところ、異常は発見できませんでした」
「そうなると、やっぱり教会内部の人間が怪しいな」
ルシルが実態化して話しに入ってくる。っていうか折角ツァピン司祭が盗聴を気にして小声で話してるのに堂々としすぎだろ。
「残念ながら、そのようですね」
「目ぼしい奴の見当はついているのか?」
「ええ、諜報用の聖術は一部の人間にしか教える事を許されておりませんので」
ルシルは黙してツァピン司祭の意見を待つ。
「先ずは各地区の司祭です。そしてテイングの本堂に仕える司教は定期的に地方の教会へ出向く事になっているので、聖術を施す事も難しくはないでしょう」
怪しい、けど本堂の司教になるような人間が天子を売るような真似をするだろうか。もしそんな事が発覚したら教会全体を敵に回す事になるのだし……教会の上層部、教皇とかと共犯だったら話しは別かもしれないが。
「次に天子様に付き添う修道士達です。修道士達には旅に出る際に諜報用の聖術を教えるようになっています。こちらも各地方の教会を回る機会はありますが、天使様や司祭の目を盗んで教会全体に聖術を施すのは困難かと思います」
うーん……じゃあ、やっぱり本堂の司教とやらが怪しいのか?
「もし、天使だと思っていた奴が悪魔で、天子と修道士が悪魔に操られているっていう可能性は?」
ルシルが意地の悪い笑みを浮かべてツァピン司祭を凝視する。
悪魔か、そういえば再創世の時に天使と共に地上に現れたとか言われてるけど本当にいるのかな。いるのだとしたらとっくに人を乗っ取って天使と戦争でもしてそうだけど。
「可能性が無いとは言い切れませんが、なにぶん悪魔についての記述が少なく、曖昧な物が多いので何を以って悪魔と言い示して良いか分かりかねます。それとも……」
ツァピン司祭が微笑むが、いつもの優しさは感じられない。寧ろルシルを訝る気持ちを全面に出している。
「天使様は悪魔について詳細をご存じで?」
ツァピン司祭の問いにルシルは表情を険しくさせた。張り詰めた空気がその場を支配し、数秒が数十秒にも数分にも感じられる。やがてルシルが小さく息を吐いて表情を柔らかくすると、緊張が解ける。
「さてな、俺も悪魔共がどこで何やってるかさっぱりだ」
「そうでしたか。天使様、我が無礼をどうかお許しください」
ツァピン司祭の微笑みにいつもの優しさが戻り、ルシルへ深々と頭を下げる。ルシルは気にしていない様子で手をヒラヒラと振って実態化を解いた————
「(ルシルはどう思う?)」
「(さあ?)」
「(さあ?って、元々ルシルが気にしてた話しだろ)」
「(悪魔が関わっているなら俺も何か動きを見せてやろうと思ったが、今の状況じゃ何も判断できねぇよ)」
「(ん……まぁ、そうだけど。命を狙われたり監視されている可能性があったりじゃ気が休まらないな)」
「(俺が一緒に居るんだからそんなに臆病になるなって。その辺の芝生で大の字になって昼寝するぐらいの余裕を持てよ)」
「(命を狙われてなくてもそんな事はしない)」
結局、襲撃者については何の見当もつけられないまま、俺たちはテイング直行の特急列車に乗り込んだ。




