第13話
夕日はすっかり西の空に沈み切り、辺りは暗い夜の景色へと変わっていた。過去を話し切った俺は自嘲の笑みを浮かべながら、校門にもたれ掛かっていた背を離す。
「こんな感じだ。満足したなら早くマルカを連れ戻しに行くぞ」
ゆっくりと歩きだし、ルシルの横を通り過ぎようとした瞬間に胸倉を掴まれる。
「最高の昔話をありがとうな、クソッタレ!」
「うわっ!」
ルシルに鋭く睨まれ、胸倉を掴まれたまま体を持ち上げられたと思った次の瞬間には、校舎に向けて投げられた。俺の体は校門を軽々と越え、地面に叩き付けられた後に数回転してやっと止まった。痛みよりも三半規管の揺れによる眩暈の方が不快だ。目を閉じてゆっくりと立ち上がると、今度は左頬に強い衝撃を受けて倒れる。何事かと思って目を開けると、ルシルに再び胸倉を掴まれ無理矢理立たせられる。
「なーに自分一人で責任感じて勝手に塞ぎ込んでんだ!」
「がはっ!」
地面に叩き付けられ、強く咳き込む俺の右頬にルシルの左ストレートが刺さる。
「誰にも咎められなかったから自分がどうして良いか分からなくなっただぁ?それなら俺が今ここでお前が無駄に過ごしてきた四年分しっかり咎めてやるよ!」
腹を蹴られて転げ、のたうち回る俺だったが、ルシルは容赦なく蹴り続ける。四回ほど蹴られた俺は仰向きになると、胸を踏みつけられる。
「入院中の妹を連れ出して祭りに行ったならお前に非があるだろうが、病院で検査受けて退院した後のことだろ。お前は何を責められたかったんだ?」
「ぐっ……!」
無視を決め込もうとしたが、ルシルは俺の胸を踏む足に力を入れて答えを急かす。軟弱な俺は目の前の苦しみから逃れようと口を開く。
「俺が、こんな所で帝柱を見ようとしなければ、もっと人の多い所に居れば、マルカはあんなに苦しまずに済んだ筈だ。両親にだって、あんなに心配をかける事はなかった」
口の中が切れていて喋るたびに痛みと血の味が広がる上に、胸を踏まれている所為で息をするのも苦しい。
「馬鹿だろ、お前。最高に悪い意味で」
俺が馬鹿なのは知っている。馬鹿でなかったら今こうして蹴られ、倒れてはいない。ルシルは俺に冷やかな目を向けながら足を退け、首を掴んで俺を持ち上げる。息ができず、もがく俺を見てルシルは冷徹にも笑みを浮かべた。
「ほら、どうした?もっと抵抗しないと窒息するぞ」
強く首を絞められ、命の危険を察した俺の体はルシルの顔に向かって蹴りを放っていた。蹴りは簡単に避けられてしまうが、首はルシルの手から解放される。着地したものの、今の俺に立っていられるほどの体力は残っておらず、よろめくように後退ったところで片膝を着く。そんな俺の姿を見てルシルは歯を見せて笑った。
「どうした、今の蹴りで終わりか?」
終わりに決まってるだろ。ルシルと殴り合う気も体力もあるわけがない。俺が向かって来ないと分かるとルシルの顔から笑みは消え、ゆっくりと俺に近付き、しゃがんで真っ直ぐに俺の目を見つめた。俺は何だか都合が悪いことが起きる気がして咄嗟に顔ごと目を反らすが、ルシルに顔を掴まれ強制的に目を合わせられる。
「お前の言ってることは後悔ですらない、ただの結果論だ。起きたことを認めて後で自分の誤りを悔やむならまだ良い、悔やんだところで時間の無駄でしかないが、先には進んでいる。だがお前は起きた事を認めようともせず、自分の気に入らなかった結果に対していつまでも立ち止まって駄々をこねてるだけだ!」
後悔だろうと結果論だろうと何だっていい。あの日、俺と一緒に居たマルカが生死を彷徨ったのは事実だし、俺が傍に居なくてもマルカは立派に成長した。結局、マルカにとって俺の存在は無価値なものだったんだ。俺は“病気の妹を支えている兄”という勝手な自意識に酔ってただけなんだ。今の何もない俺こそが本当に俺のあるべき姿なんだ。だから、こんな無駄な暴力は早く終わってくれ。
「エフィム!!」
今までで一番大きな声で叫ばれ、一番重い右ストレートが俺の左頬を殴り飛ばした。数メートルは吹き飛んだだろう。しかし意識ってのは朦朧するばかりで意外と気絶しないんだな。ああ、ルシル、すげぇ怒ってるな。さっき考えた事、読まれたのかな。あれ、なんか、意識が、遠の・・・く。
「逃がさねぇよ!」
「ぐあっ!」
意識を失いかけたが、腹にルシルの拳が叩き込まれて無理矢理に起こされる。が、不思議と痛みは感じなかった。殴られすぎて感覚が鈍ったかと思ったが、よく見るとルシルの手が白く発光しているではないか。治癒術とかそんな類いのものだろう。
「卑屈になるのもいい加減にしろよ!くだらねぇ事ばかり言って、現実から逃げて、そんなのは人が生きてやる事じゃねぇ!」
「ならいっそ地獄にでも落ちた方が過ごしやすいかもな」
「気絶しようが地獄の果てに逃げようが俺からは逃げられねぇからな。どこに居たって必ず照らし出してやるよ」
そう言うとルシルは手の発光をやめ、拳を俺の眼前に突き出した。先ほどまで散々殴ってきたのに、今になって寸止めで脅されても何も怖くない。それなのに、俺は何故か心の中に有った抵抗のようなものが外れた気がした。恐らく、ずっとルシルからは暴力と言葉をぶつけられていたのに、今は拳を止めて俺の言葉を聞き入れようと待ってくれている。殴られ、否定されて壊れかけた心に一縷の優しさが流し込まれた気分だった。俺の瞳からは自然と涙が流れた。
「じゃあ教えてくれよ。俺はどうすれば良い?どうすれば四年前、マルカに辛い思いをさせた事を償えば良い?」
俺が両目を腕で覆い隠すと、ルシルは拳を引き下げて俺の体を抱き起した。
「やっと本音が出たな、この引き籠もり野郎。けどな、質問する相手が違うぜ」
「ああ、そうだな。行こう、マルカの所へ」
涙と共に今まで心に懸かっていた靄のようなものが流れ出た気がした。体はボロボロだが、心は久しく感じる事を忘れていたぐらい晴れやかだった。全身に走る痛みに少しだけ顔を歪めつつも立ち上がる俺を見て、ルシルは満足そうに笑みを浮かべた。




