第11話
大通りから少し離れた閑静な住宅街を走る少女は目に涙を滲ませていた。
エフィムが天子になったのは嬉しい。天子としての義務を全うする為に旅立つのは寂しいが我慢できる。けれど命を落とす危険があるなら話しは別。エフィムが居たから私は目標を持てた。エフィムが居たから私は笑っていられた。エフィムが居たから私はマルカ・セルトサムという人間で生きてこれた。たとえこの世界の決まりであったとしても、エフィムに危険な旅をさせるわけにはいかない。だってエフィムは私の……。
無我夢中で走っていたマルカは、進行方向に修道服を着た女性がこちらに背を向けて立っている事に気付けず、勢い良く衝突してしまう。
「きゃあ!」
マルカは悲鳴を上げて女性の上に重なる形で倒れた。
「ご、ごめんなさい!怪我はありませんか!?」
女性の上から素早く退いて安否を尋ねると、女性はゆっくりと立ち上がってマルカに向き直る。身長はマルカよりも少し高く、ベールから覗く髪はパール・ブルーで全体的に短めであるがもみあげの部分だけが肩に掛かるぐらいまで伸ばされている。顔はあどけなさが残っているものの、こちらを見つめる半眼には何とも言えない威圧感があった。
「私は大丈夫です。あなたの方こそ怪我はありませんか?」
女性が優しく微笑みかけると俯いていたマルカは驚愕の表情を浮かべながら顔を上げた。どうやら半眼なのは機嫌を損ねたからではなく、彼女が持って生まれたもののようだ。
「え、あ、はい!私はなんともありません!」
お叱りの言葉を覚悟していたマルカは、女性から気遣いの言葉をかけられて困惑するものの何とか応えることができた。
「そうですか、安心しました」
「あ、あの……怒らないんですか?」
突然背後からぶつかられたにも関わらず、穏やかな態度でいる女性にマルカは恐る恐る尋ねると首を振って否定された。
「なにか急ぎの御用があってこの教会まで来られたのでしょう。悩める者の道を妨げるという失態を犯したのはこちらです。どうして私が怒れるのでしょうか」
マルカは唖然とした。自分とそう歳は変わらない筈なのに過ごす環境の違いでこんなにも考え方が変わってくるものなのか。だが驚いてばかりもいられない。自分が教会に来た理由を思い出す。
「あの、司祭さんとは今お話しできますか?」
「申し訳ありませんが今は儀式の準備で手が離せない状態です。もし良ければ私の方から用件だけでもお伝えしましょうか?」
儀式の準備とはほぼ間違いなくエフィムのための物だろう。なんとかして儀式を中止させなくてはとマルカは意を決して口を開いた。
「明日行われる天子の儀式の中止をお願いしに来ました」
この発言には女性も怪訝な表情を浮かべずにはいられなかった。直ぐに理由を聞こうと思ったが、まだ互いの素性も分からないまま込み入った話しをするべきではないと思い、最初に名乗る事にする。
「申し遅れましたが私はネイト・ティエドゥール、この教会のシスターです。失礼ですが、あなたは?」
「私はマルカ・セルトサム、今度天子の儀式を行うエフィム・セルトサムの妹です」
肉親が天子の儀式を止めに来た。ネイトの疑問は大きくなるばかりで思わず眉をひそめる。
「何か理由がお有りなのでしょう、こちらでお聞きします」
案内され、マルカは教会の脇に木で設けられたベンチに座り、ネイトも隣りに座った。そこでマルカは先ほど起きた襲撃と、エフィムがこれから天使と共に旅立つ事の危険性を訴えた。
「私だってエフィムが天子になって初めは嬉しいと思いました。私のせいで自分を責め続けるエフィムの事を、天使様が開放してくださるのだと。でも、天子になったその日に襲われるなんておかしいですよ!このまま旅に出るなんて絶対許せません!」
話している間に感情が昂ってしまい、最後の方は声を荒げながら涙ぐんでしまう。そんなマルカにネイトはハンカチを差し出し、背中を優しく摩るがマルカは袖で涙を拭うと言葉を繋いだ。
「エフィムには、もう他人に縛られる生き方をしてほしくないんです……!」
溢れ出した涙は一度拭っただけでは止められない。再び眼から涙が零れ落ちるとマルカは本格的に泣き出してしまった。ネイトは優しくマルカを抱き寄せて、彼女が落ち着くまで言葉を発しようとはしなかった。
そんな二人を見つめる人物が教会の屋根に立っていた。
「ほんっとに愛されてんなぁ、あの馬鹿兄貴は」
ルシルだ。霊体化しているのでネイト達に気付かれることはないのだが、流石に堂々と見すぎである。
「そろそろエフィムに知らせに戻るか、ついでに昔の事も聞きたいし」
ついでとは言ったが、ルシルの中では後者の方の優先度が高くなっていた。どんな面白い話しが聞けるのか、昂揚感を隠そうともせず口角を上げた。
当てもなく街中を走り続けるのは自分の体力を消耗するだけでなく精神をも削っていく。初めはマルカの心配をしていたものの、疲労で足が重くなっていくに連れて、心配は苛立ちへと変わっていった。
「はぁっ……はっ……くそっ!」
とうとう俺は足を止め、激しく乱れる息を整えようとするが、マルカを見付け出せない自分が不甲斐なくなって拳をきつく握って壁を殴り付けた。マルカが行きそうな場所の検討すら立たないとは……。まぁ、当然か、ここ数年は意図的にマルカを避けていたわけだし。
自嘲的な笑みを浮かべつつ周りを見渡すと、いつの間にか俺が通っていた中学校まで来ていた。中学校は中心街から少し離れた丘の上に建っている。こんな所にマルカが来るはずがないのに、俺は何をやっているんだか。息が落ち着いてくるにつれて頭に上っていた血が下がっていったのか、些か自暴自棄になりつつ夕日に染まる空を見上げる。すると、空を翔る一筋の光りがこちらに向かってくるではないか。
「よう!」
俺が光りの正体に気付くより早く、光りは俺の目の前に着弾し人の形を形成していく。光りの正体、ルシルは俺の前で実態化すると軽く手を上げて見せた。マルカを見付けて来たのだろうか、表情は明るい。しかし、どういう事か変な胸騒ぎを感じた。
「マルカは見つかったのか?」
「ああ、けどもう一つ面白いものが見付かったぜ」
面白いものとは一体何だろうか、興味はあるが今はマルカを優先したい。だが、その思いに反してルシルが笑顔で俺の肩に腕を回した。
「お前だよ、昔に妹と何があったんだ?」
「う……」
胸騒ぎがしたのはこの質問が来る事を心のどこかで感じ取っていたからか。俺が声を詰まらせてルシルと視線を合わせないようにすると、ルシルは悪戯っぽく笑って顔を覗き込んで来る。勘弁してくれよ。
「ちなみに妹は教会でシスターと話してたぜ。見た感じだとまだ暫くはあそこに居そうだったから安心しろ」
マルカは教会か、俺は真反対の方に走っていたのか。今思えば俺が天子になる事に反対して飛び出して行ったのだから、教会に行く可能性は大いにあった。そんな簡単な事に気付かないとは、俺も相当焦っていたのだろうか。何はともあれ居場所が分かったのだ、早速迎えに行こう。ルシルを無視して走り出そうとするが、天使に対してそのような蛮行が許されるわけがなかった。ルシルの腕は俺の首を絞めるように絡み付いて離さない。
「お前に憑依して無理矢理に記憶を掘り返しても良いんだぜ?」
これが天使の言う言葉なのか、天使がこのような邪悪な笑みを浮かべるのか。俺は数秒の躊躇いの後、観念して溜め息を吐いた。
「分かったよ。話せば良いんだろ」
どんな因果か、今から話す内容は俺が中学生の時の話しだ。夕日に照らされる校舎を見ていると感傷的になってくるので、閉じられた校門を背もたれ代わりにして俺は昔話を始めた。




