第10話
ドアが開けっ放しになっていた自室に入ろうとすると、二人分の足音が聞こえた。俺は部屋に入るのを止め、足音の主が来るのを待った。
「エフィム!お待たせ!」
「無事か!?何があった!?」
救急箱を持ったマルカと父さんが慌ただしく階段を駆け上がって来た。ルシルと話している間に父さんも買い物から帰ってきたのだろう。丁度良い、早めにこれからの予定について話しておこう。
「俺は大丈夫だけど、家が……ごめん」
壁に開いた大きな穴を見ながら謝ると、父さんは少し大げさに首を横に振った。
「エフィムが無事なら良いんだ。それで、どうしたんだ?」
「その前に傷の手当をさせてよ。エフィム、ほら部屋に入って」
父さんが出掛けてから今に至るまでの成り行きを説明しようと口を開いたが、マルカに体を押されて阻まれた。
俺をベッドに座らせるとマルカも横に座って救急箱からガーゼや消毒液等を出す。父さんが椅子に座り、こちらに向き直ったのを見て俺は先ほど起きた出来事と、家に帰る時にも一度襲撃された事を話した。
話し終える頃には怪我の治療も終わっており、頬には止血用にガーゼが貼り付けられている。
「なんてことだ。まさか天子の命を狙う者がいるなんて……」
「エフィム……」
父さんは頭を抱え、マルカは泣きそうな顔をこちらに向けて来る。予想していた反応ではあったが、重くなった空気の所為で自分の決意が鈍ってしまいそうになる。けれど、ここで尻込みするわけにはいかない。静かに深呼吸して心を落ち着け、意を決して口を開いた。
「儀式は明日にやる予定だったけど、今日、母さんが帰ってきたら直ぐにやろうと思う」
「そうか……」
「ダメだよ!そんな事したらまた襲われちゃうよ!」
静かに頷く父さんとは対照的にマルカは俺の腕に抱き着いて声を荒らげた。
「嫌だよ……エフィムが危険な目に遭うなんて絶対に嫌!」
「マルカ、儀式をして正式に天子と認められれば教会から護衛を付けてもらえる。今のままでいる方がよっぽど危険なんだ」
父さんはマルカの頭を撫でて宥めようとするが、マルカは首を振って聞き入れない。
「護衛が付いても危険な事には変わりないよ!天子になんかなったら駄目!」
「マルカ!」
父さんが声を強くするとマルカは体を強張らせ、目に溜めていた涙を零した。それを見た父さんは一旦間を置いてから口調を落ち着けて話しを続けた。
「天使に選ばれた者は天子として義務を全うしなければならない。これは絶対で、義務を放棄することは許されない。エフィムだってそれを理解しているから、逃げずに天子としてやるべき事をやろうとしているんだ」
「……っ!」
マルカは袖で乱暴に涙を拭うと部屋を飛び出して行ってしまう。父さんが追い掛けようとしたが咄嗟に腕を掴んで止める。
「俺が行くよ」
「エフィム……」
どうして自分がこの行動を選んだかは分からない。普段の俺なら「一人になって気が済んだら帰って来るだろう」と放っておくことを選んだ筈なのだが。
「分かった。父さんは母さんが帰って来るかもしれないから家で待っているよ」
「うん」
頷きを返してから部屋を出ようとしたところで父さんに呼び止められる。
「エフィム、気をつけるんだぞ」
「分かってるよ。行ってきます」
階段を下りると玄関のドアが空けっ放しになっており、身を乗り出して外の様子を窺うとマルカが大通りの方に走って行くのが見えた。
急いで靴を履いてマルカの後を追うも、大通りまで来たところで見失ってしまう。
「はぁ、はぁ……くそ、どこだ」
息を切らせながら辺りを見渡すがマルカの姿は見当たらない。見晴しの良い大通りだが、今は運悪く学生の下校時間らしく、制服姿のマルカを探すのは難しいだろう。
「(しょうがねぇな。霊体化して探すの手伝ってやるよ)」
「ああ、頼む」
焦りから思わず口に出して応えてしまうが今は気にしている場合ではない。しかしルシルの笑い声が脳内に響いて足止めをくらう羽目になった。
「(フッハハ……!エフィムってよ、なんだかんだで妹のこと凄い大事に思ってんだろ?)」
俺は急いでる時に茶化されても機嫌を損ねないような出来た人間ではない。不快さを隠さず、思念をルシルへ送る。
「(なんだよこんな時に、早く探して来いよ)」
「(まぁ落ち着け。そんなんじゃ妹を見つけても説得するのは難しいと思うぜ)」
確かに少し焦りすぎたかもしれない。一度落ち着くためにもルシルの話しに付き合うとするか。
「(大事っていうか、嫌なんだよ……夢や才能のある奴が俺のせいで躓いてしまうのが)」
「(ふーん……でもエフィムが知ってる夢って、本当に妹が願っている事なのか?)」
「(どういうことだ?)」
マルカが嘘を吐いているとでも言うのか。でも何のために?自分の夢を偽ってマルカに何の得があるのだろう。
「(夢ってのは案外、他人の何気ない一言でも見れちまう物でさ。そのくせ一度見たら中々覚めない上に夢の中にいると自分自身の本心がぼやけてしまうってのもあると思うけどな)」
「(マルカがそうだって言うのか?)」
「(さぁな、そこまでは分からねぇよ。けど妹はエフィムが思ってるよりずっと単純な人間だと思うぜ。本当に夢を邪魔したくないって思うなら、一度妹の事をよく思い出してみた方が良いかもな)」
意味深なことを言い残し、ルシルは霊体化させた体で空に昇って行った。
マルカは考古学者になるために勉強に励んでいる事は確かであって、それを苦にしている様子もない。本当の夢かどうかは定かではないが、少なくてもやりたくない事ではないだろう。というよりマルカが何かをする事を嫌がる所はあまり見たことが無い。何に対しても積極的で、楽しそうで、今回みたいに感情的になって飛び出して行く事なんて有り得なかった。そうだ、俺なんかの為に無駄な心配をかけている場合ではない。
当てはないが動かなくては見つかるものも見つからない。俺は学生が多くなって幾分走り難くなった大通りを駆け出した。




