『揺らぐスルーと、白い少女』**
陽だまり町の朝は、いつもと同じはずだった。
アパートの外では、大家・轟さんのスクワットが地鳴りのように響き、 白雪のガントレットが「起動完了」と軽快な電子音を鳴らし、 レオンが「おにぃさん、朝ごはんできたよー」と元気に呼ぶ。
――その全部が、カズマには“やけにうるさく”聞こえた。
「……あれ。なんか今日、音が……近い?」
耳栓――スルー・パッシブをつけているのに、 大家の筋肉音が普通に聞こえる。 白雪のガントレットの電子音も、レオンの声も、 全部、耳の奥に刺さるように響く。
白雪が眉をひそめた。
「佐藤さん。……スルーの波形、乱れてるわよ?」
「え、壊れた?」
「壊れたというより……“揺れてる”。 あなたの心がまだ安定してないみたいに」
カズマは苦笑した。
「まあ、いいか」
その瞬間――
耳栓が「バチッ」と火花を散らした。
白雪が叫ぶ。
「よくないわよ!!」
通学中の学生の悩みが聞こえる。
「今日、告白しようかな……いや無理だよな……」
八百屋の店主の愚痴が聞こえる。
「レタスが高いんだよ、まったく……」
未来人の小声の通信が聞こえる。
『第42区画、時空ゆらぎ0.02……』
宇宙人のテレパシーが聞こえる。
『地球の重力、今日ちょっと重い……』
セツナの心の声まで聞こえる。
「……おじや……食べたい……」
白雪の心の声まで聞こえる。
「佐藤さんの脳波……今日かわいい……」
レオンの心の声まで聞こえる。
「おにぃさん今日も好き……」
全部、聞こえる。
「……情報量、多すぎる……」
カズマは頭を押さえた。
白雪が真剣な顔で言う。
「佐藤さん。 あなた、今“普通の人間より弱い”状態よ」
「え、僕って普通の人間じゃなかったの?」
「違うわよ。あなたは“スルー能力者”。 その力が揺らぐと……心がむき出しになるの」
セツナが静かに言う。
「……カズマ。……危険。……守る。」
レオンも涙目で言う。
「おにぃさん……無理しないで……」
カズマは笑った。
「大丈夫だよ。みんながいるし……まあ、いいか」
白雪が叫ぶ。
「だから“まあいいか”で済ませないで!!」
店長が、珍しく真顔で言った。
「佐藤君……今日、なんか雰囲気違わないか?」
「え、そうですか?」
「うむ。なんというか……“スルーしてない佐藤君”というか…… 筋肉で例えるなら、いつもは“脱力の極み”
なのに、今日は“力み”がある」
白雪が補足する。
「つまり、佐藤さんの脳が“全部の情報を拾ってる”状態なのよ。 普通の人間なら一日で倒れるレベル」
「え、そんなに?」
「そんなに」
カズマは苦笑した。
「まあ、いいか」
白雪が机を叩いた。
「よくないって言ってるでしょ!!」
自動ドアが、ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは―― 見覚えのない少女。
白いワンピース。 無表情。 年齢はレオンより少し上くらい。
ただ、彼女の瞳だけが、 カズマを“知っている”ように揺れていた。
少女はカズマを見つめ、静かに言った。
「……あなたの“スルー”、壊れかけてるよ」
白雪が警戒する。
「あなた……誰?」
少女は首を傾げた。
「私は……“あなたの未来の選択肢”。 ――カズマ。 あなたが“スルーを失った未来”から来た」
カズマは息を呑んだ。
「……未来の……僕?」
少女は静かに頷いた。
「うん。 あなたが“スルーを失った時”、 陽だまり町は――」
言葉が途切れた瞬間、 店内の照明が一斉に揺れた。
白雪が叫ぶ。
「精神波動!? いや……違う……これは――」
少女が続けた。
「――“あなたの心”が壊れた未来だよ」
カズマの胸が、強く痛んだ。
「カズマ。 あなたの“スルー”は、もう限界に近い。 このままだと――」
白雪が割って入る。
「待ちなさい! 佐藤さんをどこに連れていく気!?」
少女は静かに言った。
「……“心の奥”だよ。 彼が壊れないように」
カズマは少女の手を見つめた。
その手は冷たくて、 でもどこか懐かしい温度があった。
「……僕は……壊れかけてるの?」
少女は小さく頷いた。
「うん。でも―― “壊れる前に気づけた”のは、あなたの強さだよ」
白雪が叫ぶ。
「佐藤さん!! 手を離して!!」
レオンも泣きそうな声で叫ぶ。
「おにぃさん!! 行かないで!!」
セツナは刃を構えた。
「……敵……?」
少女は首を振った。
「敵じゃないよ。 ただ――“未来のあなた”を守りに来ただけ」
カズマは、ゆっくりと息を吸った。
「……まあ、いいか」
白雪が絶叫した。
「よくないって言ってるでしょおおおお!!」
少女は微笑んだ。
「その“まあいいか”が、あなたを救う時もある。 でも――壊す時もあるんだよ」
カズマの胸が、また痛んだ。
マッスルマートの店内は、 白い少女の言葉を境に、空気が変わった。
白雪はカズマの腕を掴んだまま、 少女を鋭く睨みつける。
「“未来の選択肢”って……どういう意味よ」
少女は首を傾げた。
「そのままの意味だよ。 私は――“カズマが選ばなかった未来”。 だから、あなたたちには見覚えがない」
レオンが震える声で言う。
「おにぃさんの……未来……?」
少女はレオンを見て、 ほんの一瞬だけ、悲しそうに目を伏せた。
「うん。 あなたは……私の未来にはいなかった」
レオンの肩がびくりと震えた。
白雪が前に出る。
「佐藤さんの未来に……レオン君がいない? どういうことよ、それ」
少女は静かに言った。
「カズマが“スルーを失った未来”では、 陽だまり町は――壊れたの」
店内の空気が、ひやりと冷えた。
「……僕のせいで……?」
少女は首を振る。
「違うよ。 あなたの“せい”じゃない。 ただ――“選ばなかった結果”が、そうなっただけ」
白雪が叫ぶ。
「曖昧な言い方しないで!! 未来が壊れるって、どういうことなの!?」
少女は少しだけ困ったように笑った。
「未来のことを全部話すと、 “選択肢”が変わっちゃうからね。 私は……“ヒント”を渡しに来ただけ」
セツナが静かに刃を構える。
「……敵……じゃない……?」
少女はセツナを見て、 まるで“懐かしい人”を見るような目をした。
「あなたは……どの未来でも強いね。 でも――“守れなかった未来”もある」
セツナの瞳が揺れた。
「……守れ……なかった……?」
少女はそれ以上言わなかった。
突然、カズマの胸が強く脈打った。
「……っ……!」
白雪が駆け寄る。
「佐藤さん!? どうしたの!」
カズマは胸を押さえたまま、 息を荒くして言った。
「……なんか……頭の中が……ざわざわする……」
その瞬間――
店内に、カズマの“心の声”が漏れた。
『……また……みんなを巻き込むのか……?』
白雪が息を呑む。
「佐藤さん……今の……」
『……僕が壊れたら……また……』
レオンが震える声で言う。
「おにぃさん……そんなこと思ってたの……?」
カズマは顔を覆った。
「……ごめん……僕……」
少女がそっと言った。
「それが“揺らぎ”だよ。 あなたのスルーが不安定になると、 心の奥が……外に漏れちゃうの」
白雪がカズマの手を握る。
「佐藤さん。 あなたが壊れたら困るのは……私たちよ。 巻き込まれてるんじゃない。 “一緒にいる”の」
レオンも涙をこぼしながら言う。
「おにぃさんがいない未来なんて……嫌だよ……」
セツナは短く言った。
「……カズマ。……守る。」
店長は拳を握った。
「佐藤君。君は一人じゃないぞ!」
少女は静かに微笑んだ。
「……そう。 それが“あなたの未来を変える力”。 私には……なかったもの」
「カズマ。 あなたの心は、まだ“揺れてる”。 でも――揺れてるうちに気づけたなら、 未来は変えられる」
カズマは少女の瞳を見つめた。
「……僕は……どうすればいい?」
少女は答えた。
「“スルーしないで”。 あなたの心の奥にあるものを、 一度だけ……ちゃんと見て」
白雪が叫ぶ。
「佐藤さん!! 行かないで!!」
レオンも泣きながら手を伸ばす。
「おにぃさん!!」
セツナは刃を構えたまま震えている。
少女は言った。
「大丈夫。 私は“敵”じゃない。 ただ――あなたの“未来の影”」
カズマは深く息を吸った。
「……行くよ。 僕の心が……揺れてるなら…… ちゃんと見ないと」
白雪が叫ぶ。
「佐藤さん!!」
少女はカズマの手を引いた。
「じゃあ――行こう。 “あなたの心の底”へ」
店内の空気が歪み、 白い光がカズマを包んだ。
白雪の叫びも、 レオンの泣き声も、 セツナの刃の音も、 全部、遠ざかっていく。
そして――
カズマは再び、 “白い空間”へと落ちていった。




