第2部 第11話:『商店街が冬景色? 白雪の「お裾分け」!』
「あ、暑い……。カズマ、……もうダメ。……私の脳内ナノマシンがオーバーヒートして、……さっきから視界に『ペンギンの行進』が映ってるわ……」
真夏の午後。
マッスルマートの軒下で、白雪はアイスの空き棒を咥えたまま、まるで溶けかけた雪だるまのように崩れ落ちていた。
気温は38度。アスファルトからは陽炎が立ち上り、空気そのものが熱を持って揺れている。
そして、追い打ちをかけるように――
大家さんが立っているだけで、周囲の温度がさらに2度上昇していた。
「ヌンッ! 夏は筋肉が最も輝く季節! 私の大胸筋も、太陽に呼応して燃え上がっているぞ!」
「……だから暑いんだよ大家さん……」
カズマは額の汗を拭いながら、白雪にキュウリを差し出した。
「白雪さん、贅沢言わないで。ほら、この『よし江特製・冷やしキュウリ』食べて元気出して」
「……キュウリじゃ足りないわ。もっと抜本的な、……惑星規模のソリューションが必要よ!」
白雪はフラフラと立ち上がり、懐から銀色に輝く「銀河間通信デバイス」を取り出した。
その動きは、暑さで朦朧としているはずなのに、妙にキレがある。
「衛星第42号『ブリザード・メーカー』、ロック解除! 照射範囲を商店街全域に固定! 出力を……えーい、一番冷える設定でいいわ!」
「え、白雪さん!? 『一番冷える』って具体的に何度……」
カズマが問い終わる前に、空から真っ青な光の柱が降り注いだ。
――ピキィィィィィィィン!!
一瞬だった。
セミの鳴き声が物理的に凍りついて地面に落下し、
自動ドアのセンサーは霜で真っ白に曇り、
マッスルマートの駐車場は、瞬時にマイナス180度の「超低温地獄」へと変貌した。
「……あ。……やりすぎちゃった」
白雪の呟きさえも、吐いた瞬間に白い氷の粒となって足元に散らばった。
「……お、お、おにぃさん……。……は、はなみじゅが……」
レオンが震えながらカズマの裾を掴んだ。
その小さな手は氷のように冷たく、声は震え、息は白い。
見れば、彼の鼻先からはカチカチに凍りついた鼻水が、
月の光を反射するダイヤモンドのように美しく輝いていた。
「レオン君! 喋っちゃダメだ、肺が凍るよ! ……というか、大家さん!?」
カズマが振り向いた先――
駐車場のど真ん中で、大家・轟さんが“雪だるま”になっていた。
いや、正確には、
ポージングをしたまま全身に霜が降り、巨大な氷像と化している。
「ヌ、ヌヌ……ッ!
筋肉が……収縮しすぎて……超伝導……状態に……!!
私の……大胸筋が……磁気浮上……しているぞ……!!」
大家さんの肉体は、あまりの低温に物理法則を突破していた。
100kgを超える巨体が、地面から数センチ浮き上がり、
まるで“筋肉で浮遊する男”という新ジャンルを開拓している。
「大家さん、浮いてる……!? いや、浮くなよ!!」
カズマのツッコミも、凍てつく空気に吸い込まれていく。
そこへ、ガチガチと凍ったガウンを鳴らしながら、
バブル・マネーが現れた。
「白雪殿!!
これは何という不経済な寒さだ!!
私の黄金の懐時計が、収縮して銀色になってしまったではないか!!
価値が……価値が下がるぅぅ!!」
「……計算外。……マイナス180度。
……これでは、……暗殺の標的が、……凍って砕けてしまう。
……。……おでんも、……アイスバー状態。」
セツナは、カズマからもらったおでんの竹輪を
“氷の鈍器”として構え、虚空を睨んでいた。
その姿は、もはや暗殺者ではなく、
氷河期を生き抜くサバイバル戦士である。
商店街の住人たちは次々と「冷凍保存」されていった。
八百屋の店主は白菜を抱えたまま氷像になり、
パン屋の奥さんは焼きたてのメロンパンを持ったまま凍り、
自販機の中の飲み物でさえ、缶ごと凍りついていた。
そこへ、長官が顔を青くして(寒さのせいではない)駆け寄ってきた。
「佐藤! 早くこの科学者の暴挙を止めろ!
このままでは、この座標の歴史が
『氷河期の再来』として書き換えられてしまう!!」
「いや、そんな規模の話なのこれ!?」
長官の声は震えていたが、
それは寒さではなく、
“歴史改変の危機”という未来人特有の恐怖だった。
白雪はというと、
自分の吐息が氷の粒になって落ちるのを眺めながら、
ぼそりと呟いた。
「……ちょっと……冷やしすぎたかも……」
「ちょっとじゃないよ!!」
カズマの叫びが、凍りついた空気を震わせた。
「……仕方ないなぁ。白雪さん、停止ボタンは?」
カズマが凍りついた空気の中で声を張ると、
白雪は震える指でリモコンを掲げた。
しかし、その表面は霜で覆われ、内部からは小さな火花が散っている。
「……リモコンが、……結露でショートしちゃった。
……衛星が燃料切れになるまで、この冷却光線は止まらないわ……」
「そんな仕様にするなよ!!」
絶望的な状況。
商店街は氷の墓場と化し、
住人たちは次々と“冷凍食品”のように固まっていく。
しかし――
この極寒の中で、ただ一人だけ平然としている男がいた。
カズマだ。
彼の「スルー・パッシブ」は、
絶対零度さえも「ちょっと肌寒いな」程度に変換してしまう。
もはや常識の外側にいる。
「よし。……みんな、マッスルマートの店内に避難して。
……僕が、この寒さを『スルー』してくるから」
「佐藤……貴様、まさか……!」
長官が震える声で言うが、
カズマはいつもの柔らかい笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。こういう時は――
“熱いものを食べれば、寒さは相殺される”んです」
「誰の理論だそれ!?」
「お母さんです」
よし江理論、強すぎる。
カズマは店内のキッチンへ走り込み、
棚の奥から“発光する瓶”を取り出した。
『超高圧・激辛ハバネロ味噌』
蓋を開けた瞬間、
店内の空気が赤く揺らぎ、
遠くの棚に並んだカップ麺が勝手に湯気を上げ始めた。
「……カズマ、……そんなの食べたら、……内臓が爆発する……」
セツナが止めようとするが、
カズマは真剣な顔で味噌を鍋に投入した。
「大丈夫。お母さんが言ってたんです。
“熱い時は熱いものを食べれば、相殺されるのよ”って」
「相殺の意味が違う!!」
鍋の中では、
大家さんのプロテイン出汁とハバネロ味噌が混ざり合い、
赤黒い光を放ちながら沸騰していた。
――ゴボゴボゴボッ!!
鍋の縁からは、
まるでマグマのような熱波が吹き出している。
「よし……できた!」
カズマは、灼熱の鍋を抱えて外へ飛び出した。
「みんな! できたよ! これ、お裾分けです!!」
蓋を開けた瞬間――
マイナス180度の冷気と、
推定300度の“よし江の怨念”が激突した。
――ゴォォォォォォッ!!
爆発的な蒸気が発生し、
商店街を覆っていた氷が一瞬で昇華した。
氷像になっていた住人たちが、
「あちちちっ!」と叫びながら飛び起きる。
レオンの鼻水ダイヤモンドも砕け散り、
バブルの銀色懐時計も元の黄金色に戻った。
カズマの“お裾分け”という名の熱エネルギーが、
白雪のオーパーツ級冷却を正面からスルーし、
完全に中和してしまったのだ。
「……カズマ……あなた、何者なの……?」
白雪は震える声で呟いた。
カズマは笑って答えた。
「ただの、料理好きですよ?」
いや、絶対違う。
数分後。
衛星の青白い光はようやく消え、
商店街には“ちょうどいい涼しさ”の霧がふわりと立ち込めていた。
さっきまでマイナス180度だったとは思えないほど、
空気は柔らかく、心地よい。
凍りついていた看板も、ゆっくりと水滴を垂らし始めている。
白雪は、溶けかけた髪をかき上げながら、
カズマが作った“地獄おじや”を啜った。
「……ふぅ。……助かったわ。
……カズマのおじやがなかったら、
私、今頃『白雪のアイスキャンディー』として
未来の博物館に並ぶところだったわよ……」
「そんな展示あったら怖いよ……」
カズマは苦笑しながら、
白雪の器におじやをおかわりしてあげた。
その横では――
「ヌンッ!! このハバネロの刺激……!!
凍えていた毛細血管が、一気に拡張して火を吹いているようだ!!
これぞ、究極の『温冷交代浴』!!」
大家さんは、解凍された途端に湯気を上げながらベンチプレスを開始していた。
氷点下からの復活でテンションが上がっているのか、
いつもよりフォームがキレている。
レオンの鼻水ダイヤモンドも完全に溶け、
バブル・マネーの懐時計も元の黄金色に戻った。
「ふぅ……価値が戻った……。
白雪殿、次からは“経済的寒波”は控えてくれ……」
「……努力するわ……」
セツナは、氷の鈍器と化していた竹輪を見つめながら、
ぽつりと呟いた。
「……。……。……おでん……復活……。
……食べられる……」
カズマは笑って、温かいおじやをセツナの器に盛った。
商店街の住人たちも、
霧の中で「なんだか涼しくて気持ちいいね」と言いながら、
カズマのおじやを分け合って食べていた。
まるで夏祭りの後のような、
静かで、どこか幸せな空気が流れていた。
その時――
長官がレンズの曇りを拭きながら、
カズマの横に立った。
「……佐藤。
……貴様はついに、物理的な絶対温度すらも
『お裾分け』で書き換えたか。」
長官は手元の記録デバイスに、
『特例:温度変化への耐性あり』
と書き加えた。
「いや、そんな大層なものじゃ……」
カズマが照れたように笑うと、
彼の肩に乗った未来の俺(猫)が、
冷やしキュウリを齧りながらため息をついた。
『……ニャア。(カズマ。……お前、気づいてねぇだろ。
……お前のその「地獄おじや」の熱波が、
さっきの冷却衛星を逆流して、成層圏まで焼き尽くしたぞ。
……今、宇宙空間でいくつかの偵察衛星が
「いい出汁の匂い」をさせながら爆発してるぜ)』
「え? 何か言った?」
『ニャア。(なんでもねぇよ。……スルーしてろ)』
猫は、夜空の彼方で赤く光る衛星の残骸を見つめながら、
冷やしキュウリをポリポリと齧った。
猛暑も、極寒も、
カズマにとっては“お裾分け”のスパイスに過ぎない。
201号室の夜は、
適度な室温と、
少しピリ辛な平和に包まれて更けていくのだった。




