第2部・第10話:『恐怖の健康診断! 大家さんの筋肉が!?』
市民センターの健康診断会場。
普段なら、地域の人々がのんびり列を作り、「今年も来たねぇ」なんて言いながら血圧を測る、
あの平和な空間である。
――しかし今日は違った。
201号室の住人たちが来ただけで、空気がピリつく。
受付の看護師さんは、
「なんか……嫌な予感がする……」
と、まだ何も起きていないのに肩を震わせていた。
そんな中、大家さんは問診票と向き合っていた。
「えーっと、名前は……轟。……職業は『大家(及び筋肉の守護者)』、と。
……最近気になる症状……『上腕三頭筋が夜中に喜びの歌を歌うこと』。
……これ、正直に書いて大丈夫かな」
その顔は真剣そのもの。
筋肉の歌を“症状”として扱うかどうかで悩む男は、世界でも彼だけだろう。
カズマは隣でそれを見て、そっと目を逸らした。
(……スルーしなければ、この時点で検診が中止になるレベルだ……)
一方その頃、未来の科学者・白雪は、身長測定の機械を前にしていた。
もちろん、普通に測る気などない。
「ちょっとカズマ! この機械、誤差が0.1ミリもあるわよ!
私が今、重力波干渉式の超精密センサーに付け替えてあげるから、じっとしてて!」
「白雪さん、やめて!
それじゃみんなの身長が“原子レベル”で測定されちゃうでしょ!」
カズマが止める間もなく、白雪は手際よくパネルを外し、謎の青白い装置を内部にねじ込んだ。
次の瞬間――
ピシャァァァァッ!!
身長計から青白いレーザーが照射され、測定されたおじいさんの身長は、
「165.000000004センチ」という、
無駄に高精度なデジタル表示を叩き出した。
「な、なんだこの桁数……?
わし、そんなに細かい存在だったのか……?」
おじいさんは震え、
看護師さんは顔を引き攣らせる。
「え、えっと……これは……誤差……?いや、誤差って何……?」
現場の医療スタッフの脳が、すでに限界を迎えつつあった。
その横では、長官が問診票を提出していた。
「……あの、お客様。この『前回の検診場所』の欄にある
『西暦3025年・火星第一病院』というのは……書き間違いですよね?」
「……。……。……ああ、忘れてくれ。……ただの“未来への希望”だ」
長官は冷や汗を流しながら眼鏡をクイッと上げ、視力検査のコーナーへ逃げ込んだ。
しかし、彼の瞳はナノマシンで強化されている。
「……一番下、右。……その裏に書かれた……検品担当者の名前は……田中だ」
「ええっ!? そんなの書いてないわよ!?ていうか裏って何!?」
現代医療という名の“普通の物差し”が、201号室の住人たちの前で、次々とバキバキに折れていく音が聞こえた。
健康診断会場の空気は、すでに限界ギリギリだった。
看護師さんたちは互いに目を合わせ、
「今日……無事に終われるのかな……」
と、まだ午前中だというのに疲労の色を浮かべている。
だが、ここからが本当の地獄の始まりだった。
「次は血圧ですね。……はい、轟さん。腕をこの装置の中に入れてください」
白髪のベテラン医師が、“普通の患者”に向けるような穏やかな声で促す。
しかし、彼は知らなかった。
目の前の男が“普通”という概念から最も遠い存在であることを。
大家さんの右腕は、もはや“腕”ではない。
丸太の彫刻のように密度が詰まり、皮膚の下で筋繊維が生き物のように蠢いている。
「ヌンッ!! いざ、測定!!」
大家さんが腕を突っ込んだ瞬間――
血圧計のカフが、まるで悲鳴を上げるように震えた。
――バチバチッ! メキメキッ!
「お、おい! 何をしている!
加圧に抗って、上腕二頭筋を膨らませるんじゃない!!」
医師が叫ぶが、大家さんは“筋肉の本能”に従ってしまっていた。
「む……?
これは……私を試しているのか……?
ならば応えねばなるまい!!」
ブワッ!!
筋肉が膨張した。
次の瞬間――
ドォォォォォン!!
血圧計は爆発四散した。
千切れたカフが、輪ゴムのように大家さんの腕に巻き付いている。
「……ふぅ。いい負荷だった。
現代の医療機器も、なかなか私を“追い込んで”くれるではないか」
「追い込まれてるのは機械の方ですよ!!」
カズマのツッコミは、爆発音にかき消された。
その隣では、セツナが採血に挑んでいた。
しかし、彼女の身体は“暗殺者の本能”により、外部からの異物(針)を細胞レベルで拒絶していた。
「……無駄。……私の皮膚は、意思を持って……針を弾く」
「お客様! お願いですから力を抜いてください!針が三本も曲がっちゃいましたよ!!」
看護師さんは半泣きである。
セツナは淡々とした声で続けた。
「……。……。……敵の刃を通さない身体。……それが……私の……生存戦略」
「ここ病院だからね!? 戦場じゃないからね!?」
ついには白雪が、未来の「非接触型採血器」を取り出した。
「大丈夫よ! これは皮膚に触れずに血液を吸い上げる最新式だから!」
「白雪さん、それ絶対ろくなことにならないやつ!!」
案の定――
ボンッ!!
採血器は火を吹いた。
「ぎゃああああああ!!」
看護師さんが逃げ惑い、会場は混乱の極致へ。
長官は額に手を当て、深いため息をついた。
「……佐藤、逃げるぞ。これ以上ここにいると、機動隊が来る」
「なんで健康診断で機動隊が来るんですか!?」
「未来の医療基準では、これは“災害レベル3”だ」
「未来どうなってんの!!」
尿検査コーナーでは、
バブル・マネーが黄金色の液体をコップに注ぎながら、
医師に語りかけていた。
「ドクター。
この私の“黄金の聖杯”を解析すれば、不老長寿の薬が作れるぞ。
ライセンス料は一滴につき1万バブル・クレジットだ」
「いいから普通に提出してください!!」
医師の悲鳴が会場に響く。
その時――
会場の奥から警報音が鳴り響いた。
――ビィ。ビィ。ビィ。
白雪が勝手に魔改造したレントゲン車が、
暴走を始めたのだ。
白雪がレントゲン車にしがみつきながら叫んでいた。
「カズマ! 大家さんの骨密度が高すぎて、ナノマシンが“鉱山”だと勘違いしてるのよ!止まらないの!!」
「だから大家さんの骨を掘り起こさないで!!」
レオンは震えながらカズマの背中に隠れる。
「おにぃさん……ここ、病院じゃなくて……戦場だよ……」
セツナは、曲がった注射針を見つめながら呟いた。
「……。……。……医療とは……戦い……」
「違うよセツナちゃん!!」
長官は額を押さえながら、カズマの袖を引いた。
「……佐藤、そろそろ限界だ。
これ以上ここにいると、未来の医療ギルドが介入してくる」
「未来の医療ギルドって何!?」
「“異常者の健康診断”を専門にする組織だ。
ここは……彼らの管轄外だ」
「未来どうなってんの!!」
白雪の魔改造レントゲン車は暴走し、
採血器は火を吹き、
血圧計は爆発し、
尿検査は黄金色に輝き、
看護師さんたちは半泣きで逃げ惑う。
医療スタッフの誰もが、
「今日の出来事は夢であってほしい」
と心の底から願っていた。
そんな中――
唯一、模範的な患者として淡々と検査を終えていたのが、カズマだった。
「佐藤さん、次はレントゲンです。こちらへどうぞ」
「はい、お願いします」
カズマは普通に歩き、普通に座り、普通に撮影を終えた。
その“普通”が、逆に恐ろしい。
レントゲン車の暴走を止めようと白雪が格闘している横で、
カズマだけが静かに検査を終えていく光景は、
まるで嵐の中で一人だけ無風地帯にいるようだった。
医師たちは、カズマの検査結果を見て震え上がった。
「……信じられん。……何なんだ、この数値は」
医師がレントゲン写真と血液検査の結果を交互に見て、
頭を抱える。
「先生、何か悪いところでもありましたか?」
カズマが心配そうに尋ねると、
医師は叫んだ。
「悪いどころか、良すぎるんだよ!!」
医師は震える指で結果を指し示す。
「ストレス値が“完全なゼロ”!?現代社会で、そんなことがあり得るか!?
血液もさらさらすぎて、もはや“聖水”の領域だ。
骨密度は正常なのに、衝撃吸収率が異常に高い……。
君、本当にこの化け物みたいな連中と一緒に住んでいるのか?」
「ええ、まあ。……毎日が賑やかで、楽しいですよ?」
カズマのその笑顔こそが、医師にとって最大の怪奇現象だった。
「……この男……精神が……強すぎる……」
医師は震えながらカルテを閉じた。
会場は、現代医療の限界を超え、もはや“災害現場”と化していた。
会場は、もはや“健康診断”という言葉の意味を完全に失っていた。
爆発した血圧計の破片が床に散らばり、
曲がった注射針が無数に転がり、
白雪の魔改造レントゲン車は壁に突き刺さったまま、
「発掘モード継続中……」と不気味に呟いている。
看護師さんたちは、
「今日は……帰ったら絶対ビール飲む……」
と、魂の抜けた声でつぶやいていた。
そんな地獄絵図の中、
白衣の医師が市民センターの入り口で膝を抱えていた。
「もう……めちゃくちゃだ……。
私の30年の医者人生は、一体何だったんだ……」
その姿は、
まるで世界の全てを失った哲学者のようだった。
周囲には、
なぜか“マッスルポーズ”で固まった大家さんのレントゲン写真が散乱している。
筋肉の陰影が妙にリアルで、逆に怖い。
そこへ、静かに歩み寄る影があった。
セツナだ。
彼女は、カズマからもらっていた“よし江の梅干し”を一粒取り出し、
無言で医師の口に放り込んだ。
――パクッ。
――キュゥゥゥゥン!!
「…………はっ!!」
医師の瞳に、突然輝きが戻った。
「酸っぱい……!」
「いや、この酸味の奥にある“ま、いいか”という圧倒的な肯定感……!
……そうだ、数値なんてどうでもいいんだ……
みんなが笑って、筋肉を弾けさせていれば、それが健康なんだ……!!」
医師は立ち上がり、拳を握りしめた。
「私は……新しい医療を始める!
名付けて――“マッスル・クリニック”!!」
「ヌンッ!! よくぞ気づいたな、医師よ!!
筋肉こそ、生命の源!!」
大家さんと医師は、
まるで戦友のように固い握手を交わした。
その光景を見て、カズマは苦笑しながら言った。
「よかったね、先生。……さて、みんな。
お腹も空いたし、帰っておじやにしようか。
今日は“胃に優しい特製おでん出汁おじや”だよ」
「ヌンッ!! 健康診断の後のメシは、細胞が歓喜するぞ!!」
「……おじや。……おかわり、三回まで可」
レオンはすでに涎を垂らしている。
その時、カズマの肩に乗った未来の俺(猫)が、小さくため息をついた。
『……ニャア。(カズマ。
……お前、気づいてねぇだろ。
お前の健康診断の結果、“人類の進化の最終形態”として、
未来の医療ギルドに極秘送信されたぞ。
明日から、お前の血液を狙う“未来の製薬会社”が刺客を送ってくるかもな)』
「え? 何か言った?」
『ニャア。(なんでもねぇよ。……スルーしてろ)』
猫は、健康診断でもらった“よくできましたシール”をペロリと舐めた。
異常が日常。
不健康が超健康。
災害が平和。
201号室の住人たちは、今日も現代医療の基準を軽々とスルーしながら、騒がしくも健やかに生きていくのだった。




