第2部・第7話:『マッスルマートの危機! 隣に「スーパー・ダーク・マート」がオープン!?』
それは、商店街の歴史が塗り替えられる朝だった。
『マッスルマート』の真向かい、昨日までは空き地だった場所に、突如として巨大な黒塗りの建造物がそびえ立っていた。
看板には、禍々しい紫のネオンで『スーパー・ダーク・マート』の文字。
「……な、なんだい、あれは……。私のマッスルマートより、圧倒的にデカくて、圧倒的に不吉だ……」
店長・松井が、愛用のトングを震わせながら呟いた。
「店長、落ち着いてください。……あ、でも見て。看板の横に『全品1円(※一部、魂を対価とする商品あり)』って書いてありますよ」
カズマがいつもの調子で指摘する。
「魂を対価にするな! そんなのコンビニじゃない、魔界だよ!!」
レオンが叫ぶが、街の人々は既にその「異常な安さ」に引き寄せられ、吸い込まれるように黒い自動ドアを潜っていた。
そこへ、店内から一人の男が歩み出てきた。
仕立てのいい黒いスーツに身を包み、長官と同じような銀縁の眼鏡をかけているが、その奥に宿る光は冷徹そのもの。
「……久しぶりだな、第92時空警察署・署長。……いや、今は『しがないコンビニの常連客』だったか?」
長官が、眉間に深い皺を寄せて前に出た。
「……貴様、暗黒レジ打ち師・クロウ。……未来の『最大効率市場』を独占しようとして、銀河系全ての零細商店を潰し回った男が、なぜこの時代に……」
「フフフ。……長官、君の管理するこの座標には、非常に興味深い『ノイズ』が溢れていると聞いてね。……特に、そこの無能そうな店員……君だ、佐藤カズマ。」
クロウは指先でカズマを指した。
「君の『お裾分け』という名の非効率なボランティア……。……私の『ダーク・マート』が提唱する『完全合理・1円経済』で、跡形もなく消し去ってあげよう。」
クロウがパチンと指を鳴らすと、ダーク・マートの壁から無数のドローンが飛び出し、商店街中に「反物質でコーティングされた、絶対に破れない(けれど中身が少しずつ消える)レジ袋」をバラ撒き始めた。
「佐藤さん、これ大変ですよ! 客足が完全に止まっちゃった!」
ハスハラが空っぽの店内を見て涙ぐむ。
店長・松井はついに膝をつき、「……私の……私の筋肉おでんが、……1円のレトルトに負けるなんて……」と絶望の淵に立たされていた。
「店長! しっかりしてください! ……クロウさんでしたっけ? 安いのはいい事ですけど、うちはうちのやり方でやりますから」
カズマは、クロウの威圧感を1ミリも感じていない様子で、店先に『本日のおすすめ:よし江の漬物(※食べると前世が見える)』のPOPを掲げた。
「……無知とは恐ろしいな、佐藤カズマ。……私の店の裏には、未来の『暗黒経済連盟』がついている。……どんなに良い商品だろうと、価格が0.001倍なら、客は私の店を選ぶのだ。」
クロウの冷笑が響く中、201号室の住人たちが黙っているはずもなかった。
「ヌンッ!! 価格の暴力など、筋肉の暴力……いや、筋肉の愛に比べれば微々たるもの!!」
大家・轟さんが、上半身を弾けさせて現れた。
「店長! 安心しろ!! 本日より、我がアパート住人総出で『マッスルマート・デリバリー』を開始する! 注文1件につき、私が全力で背筋を見せながら届けてやろう!!」
「……あ、大家さん、それは余計にお客さんが逃げる気がします……」
レオンのツッコミをスルーして、バブル・マネーも参戦した。
「クロウと言ったか。……貴殿の『1円セール』、面白い。……だが、市場独占は私の専売特許だ。……これより、マッスルマートの周囲3キロメートル全ての土地を私が買い占め、ダーク・マートの入り口を『世界一重い回転ドア』に改造してやる。」
「バブルさん、それただの嫌がらせです……」
「あら、楽しそうね! だったら私は、マッスルマートの全ての商品に『自動追尾機能』をつけるわ! お客さんが買いに来なくても、おにぎりの方がお客さんの口に飛び込んでいくのよ!」
白雪が、何やら物騒なナノマシンを噴霧し始めた。
「……全員、やめろ。……事態を悪化させるな。」
長官が止めるが、もはや現場は「コンビニ経営」という枠を飛び越え、次元を越えた「嫌がらせ合戦」へと突入していた。
その最中、クロウは押し入れから様子を窺っていたセツナに目を留めた。
「……ほう。静寂の暗殺者、セツナ。……君もあちら側に堕ちたか。……どうだ、私の店なら、君に『最高級の無機質プロテイン・タブレット』を一生分支給できるが?」
「……。……。……魅力的な、……提案。……けれど、……あっちには、……カズマの、……おじやが、……ある。……。……おじやの価値は、……1円では、……測れない。」
セツナは静かに、しかし決然と拒否した。
クロウの眼鏡が冷たく光る。
「……いいだろう。ならば、武力ではなく『商売』で、完膚なきまでに叩き潰してやろう。」
戦いは熾烈を極めた。 ダーク・マートは、ついには「商品を買うとお金がもらえる」という、経済学を無視した究極のバラ撒きを開始。
商店街の住人たちは、もはや「お金の奴隷」と化し、ダーク・マートの前に数キロに及ぶ行列を作っていた。
「……おにぃさん。あんなの勝てっこないよ。……みんな、目が『1円』の形になってる……」
レオンが肩を落とす。
しかし、カズマは一人、ダーク・マートから出てきた客の様子を観察していた。
「……変だなぁ。……みんな、お得な買い物をしたはずなのに、なんだか寂しそうな顔をしてるね」
『……ニャア。(カズマ、お前も気づいたか。……あのクロウって奴の「1円袋」、中身は確かに本物だが、……客の「満足感」という感情エネルギーを、袋の底から吸い取ってやがるんだ。……あれは商売じゃねぇ。……「心の略奪」だ)』
猫――未来の俺は、空になったマッスルマートの棚で爪を研ぎながら、クロウの狙いを見抜いていた。
クロウは、未来で禁止された「感情収穫型経済」をこの時代で実験しようとしていたのだ。
カズマは、店長が泣きながら並べていた、少し形の悪い「手作りおにぎり」を一つ手に取った。
「店長。……これ、僕にください。……お返しに、僕の『お裾分け』、ちょっと強めに使ってもいいですか?」
「……佐藤君……。……好きにしたまえ。……私はもう、レジ袋を数える気力もないよ……」
カズマは、おにぎりを片手に、ダーク・マートの入り口へ向かった。 そこには、列を整理する冷徹なクロウが立っている。
「……降参のサインか、佐藤カズマ。」
「ううん。……クロウさん、あなたもお腹空いてるでしょ? ……これ、食べてみてください。……うちの店長が、寝る間も惜しんで握ったおにぎりです。」
「……愚かな。……そんな非合理な手作りの塊など、私の『分子構成・完璧おにぎり(0.1円)』に勝てるはずが……」
カズマは、クロウの言葉を「スルー」して、強引におにぎりを彼の口に押し込んだ。 ――ガブリ。
その瞬間、クロウの脳内に、冷徹な未来のラボではなく、懐かしい「おばあちゃんが握ってくれた、塩辛すぎるおにぎり」の記憶が、濁流のように流れ込んできた。
「…………なっ…………!? ……この、……不規則な米の並び。……適当すぎる塩加減。……。……計算、不能……。……なぜ、……心拍数が上がる……!?」
「……クロウ。貴様は忘れているのだ。」
カズマの後ろから、長官がゆっくりと歩いてきた。
「商売とは、効率ではない。……『余計なこと』をどれだけ積み重ね、それを他者へ渡すかだ。……佐藤の『お裾分け』は、貴様の『1円』では決して買えない、宇宙で最も非効率で、最も強力なノイズなのだよ。」
「……くっ、……黙れ! ……こんなもの、……バグだ! ……一時的なエラーに過ぎない!」
クロウは叫ぶが、おにぎりの「温かさ」は、彼の冷徹な論理回路を確実に焼き切っていた。
その時、カズマが首元の『スルー・パッシブ』をクロウの耳に差し込んだ。
「……クロウさん。……少し、静かにしたほうがいいですよ。……自分の心の声、聞こえてますか?」
耳栓をされたクロウの視界から、ダーク・マートの紫色のネオンが消え、商店街の柔らかな夕日が差し込んだ。
そこには、1円を求めて殺気立っていたはずの客たちが、カズマのおにぎりの匂いに誘われ、一人、また一人とマッスルマートの方を振り向く姿があった。
「……ああ、……なんだろう。……1円の安さより、……あの店長の暑苦しい笑顔が見たくなってきたわ……」
主婦の一人が、1円の袋を捨てて呟いた。
「ヌンッ!! 筋肉の呼び声に応えよ!! 今ならおにぎり一つにつき、スクワット一回の指導を無料でお裾分けだ!!」 大家さんの叫び声が、呪縛を解くファンファーレのように響いた。
――ドォォォォォン!!
クロウの論理崩壊と共に、ダーク・マートの建物が実体を保てなくなり、煙のように霧散していった。
残されたのは、駐車場に呆然と立ち尽くすクロウと、彼を囲む201号室の住人たち。
「……負けた、のか。……私の、……完全合理主義が……」
「負けじゃないですよ。……あ、クロウさん、よかったらうちでバイトしませんか? ……ちょうど、レジの打ち方が丁寧な人を探してたんです」
「……。……。……時給は、……いくらだ。」
「……おじや、三食付き。……あとは、……大家さんの筋肉を眺める権利。」
セツナが、おにぎりを頬張りながら付け加えた。
こうして、マッスルマート最大の危機は、カズマの「おにぎりスルー」によって回避された。
クロウは、なぜかマッスルマートの「夜勤担当」として採用され、長官に脅されながら、日々「接客の非効率さ」に頭を抱えることになるのであった。




