第2部・第3話:『暗殺者は甘いものがお好き? コンビニおでんの衝撃。』 ――影に落ちた暗殺者と、だし染みすぎ大根の邂逅。**
アパートの廊下の隅。
昼間でも薄暗いその影の中に、ひとりの少女が倒れ込むように潜んでいた。
セツナ――未来警察が「最重要危険人物」としてマークしている暗殺者。
その存在は、まるで空気のように気配が薄く、影と同化しているかのようだった。
そんな彼女の前に、突然、湯気の立つプラスチックカップが差し出された。
「――あ、やっぱりそこにいたんだ。はい、これ。お近づきの印に」
差し出したのはカズマだった。
彼はセツナが暗殺者であることも、影に潜んでいる理由も、まるで「日向ぼっこしている猫を見つけた」程度の気軽さで受け止めている。
セツナは、わずかに眉をひそめた。
「……何、これ。毒? それとも、私の感覚を麻痺させるナノマシン?」
「ううん。マッスルマートの『だし染みすぎ大根』だよ。大家さんが“筋肉にいいから”って、カツオ出汁を三倍濃縮してくれたんだ。熱いから気をつけてね」
セツナは警戒しながらも、ふわりと漂う香りに、暗殺者としての冷静さが一瞬だけ揺らいだ。
――ハフッ、ジュワッ。
口に入れた瞬間、彼女の肩がビクリと震えた。
「……ッ!?……この、暴力的なまでの『旨味』……。……ノイズ・キャンセラーで消せない……ダイレクトな幸福の波動……。……殺意が、溶ける……」
セツナは呆然としたまま、大根を咀嚼し続けた。
その表情は、これまで誰にも見せたことのない“無防備”そのものだった。
そんな彼女の背後の壁が、突然「ガラッ」と音を立てて開いた。
「ヌンッ!! 娘さん、いい食べっぷりだ!」
壁の穴から現れたのは、アパートの大家さん。巨大な鍋を肩に担ぎ、湯気をもうもうと立ち上らせている。
「これこそ私の新ビジネス、『筋肉おでん・マッスル煮込み』だ!具材はすべて高タンパク!ちくわの穴には特製プロテインペーストを詰め込んであるぞ!!」
「……ちくわの穴に、プロテイン……?……非論理的。……でも……弾力がすごい……」
セツナは無意識のうちに、手にしていた暗殺用デバイスを床に置き、夢中でちくわを頬張り始めた。
その横で、バブル・マネーが電卓を叩いている。
「大家殿。この『筋肉おでん』の出汁一杯につき、10マッスル・クレジットの課金を提案する。これは未来の健康市場を独占できるぞ!」
「バブルさん、ご飯の時までお金の話は無しだよ」
カズマが優しくスルーすると、不動産王は「……フム。そうだな」と箸を取った。
影に潜んでいた暗殺者は、気づけば“ただの食卓の一員”になっていた。
セツナは、暗殺者としての冷徹な思考と、人間としての“食欲”の間で揺れながら、次々と具材を口に運んでいく。
その姿を見て、カズマは嬉しそうに笑った。
「セツナちゃん、これも食べる? 白滝。大家さんが“筋肉の滑走路”って呼んでるやつ」
「……筋肉の……滑走路……? ……意味不明……でも……食べる」
セツナは白滝を一口すすると、 その細い目がほんの少しだけ柔らかくなった。
「……この食感……。 ……敵の動きを読む時の“集中状態”に似ている……。
……無駄がなく……静かで……心が整う……」
「それ褒めてるのかな……?」
カズマが苦笑すると、 猫――未来のカズマは、セツナの膝に飛び乗った。
『……ニャア。(おいカズマ。こいつ暗殺者なんだろ? なんで普通に馴染んでるんだよ)』
セツナは猫の柔らかい体温に触れ、 ピクリと肩を震わせた。
「
……猫……。……温かい……。……ターゲットのペットまで、私を無力化してくる……。
……この“佐藤カズマ”という男……やはり全宇宙で最も危険な『癒やし兵器』……」
「ええっ、兵器なんて心外だなぁ。ただのお裾分けだよ」
カズマは笑いながら、セツナのカップにそっとからしを追加した。
「セツナちゃん、からし多めが好きなんだよね?」
「……。……。……好き。……辛味は……心を研ぎ澄ませる……。
……でも……この出汁……研ぎ澄ませる前に……溶かしてくる……」
セツナは、からしの刺激と出汁の旨味に翻弄されながら、完全に“戦闘モード”を失っていた。
そこへ、長官が腕を組んで現れた。
「……まったく。 未来警察の最重要指名手配犯が、 大根一個で骨抜きとはな。
佐藤、貴様の“お裾分け外交”…… もはや惑星規模の脅威だぞ」
「そんな大げさな……」
『……ニャア。(いや大げさじゃねぇよ。 未来でも現在でも、カズマの“食べ物外交”は 戦争を止めるレベルなんだよ……)』
セツナは猫を撫でながら、 静かに、しかし確実に“心の壁”を崩されていった。
「……食事……。 ……こんなに……温かいものだった……?
……任務以外で……誰かと食べるなんて……」
その声は、 暗殺者のものではなく、 ただの“少女”のものだった。
―暗殺者、ついに“家族の席”へ。**
セツナが白滝を静かに噛みしめていると、 大家さんは鍋の蓋を開け、さらに湯気を立ち上らせた。
「さぁ、次は“がんもどき”だ! これは高タンパク豆腐を三日三晩、筋肉の鼓動で揺らし続けて作った特製品だ!」
「……筋肉で……揺らす……? ……調理法として……成立しているの……?」
「ヌンッ!! 成立するとも! 筋肉はすべてを解決する!!」
セツナは一瞬だけ目を細めたが、 次の瞬間にはがんもどきを口に運んでいた。
「……ふわ……。……この柔らかさ……。 ……敵の急所を突く時の“無音の衝撃”に似ている……。 ……でも……優しい……」
「褒めてるのかどうか分からないなぁ……」
カズマは苦笑しながら、 セツナのカップにそっと追加の出汁を注いだ。
「はい、追い出汁。 これ、大家さんが“筋肉の涙”って呼んでるやつ」
「……筋肉の……涙……?……意味不明……でも……美味しい……」
セツナは、出汁の香りに包まれながら、 完全に“戦闘モード”を解除していた。
その時、バブル・マネーが電卓を叩きながら言った。
「佐藤殿。この“筋肉おでん”……未来の健康市場に投入すれば、年間売上は最低でも三億マッスル・クレジット……」
「バブルさん、ご飯の時はお金の話しないって言ったよね?」
「……フム。そうだったな。では、この大根の資産価値を噛み締めるとしよう」
不動産王は真剣な顔で大根を噛み締めた。その横で、猫――未来のカズマは、セツナの膝の上で丸くなっている。
『……ニャア。(おいカズマ。こいつ暗殺者なんだろ?なんで普通に馴染んでるんだよ)』
「えへへ……おでんってすごいよね」
「……すごいのは……おでんじゃない……。……あなた……佐藤カズマ……。 ……あなたの“無害な気配”…… ……暗殺者の警戒心を……溶かす……」
セツナは猫を撫でながら、 静かに、しかし確実に心を開いていく。
「……こんなに……温かい食事……。……任務以外で……誰かと食べるなんて…… ……いつ以来……?」
の声は、暗殺者のものではなく、ただの“少女”のものだった。
セツナは、からしをつけた白滝を口に運びながら、 ぽつりと呟いた。
「……私……。 ……この場所……嫌いじゃない……」
その言葉に、 カズマはふわりと笑った。
「よかった。 まだ、がんもどきあるよ」
「……うん。……お願い……」
暗殺者の声とは思えないほど、 柔らかい返事だった。
がんもどきを食べ終えたセツナは、 ゆっくりと息を吐いた。 その表情は、戦闘の緊張ではなく、 “満腹の幸福”に近いものだった。
「
……こんなに……心が……静かになるなんて……。 ……食事……恐るべし……」
その呟きに、大家さんが豪快に笑った。
「ヌンッ!! それが“筋肉おでん”の力だ! 筋肉は心を強くし、出汁は心を温める! つまり、筋肉と出汁が合わされば――無敵だ!!」
「……無敵……。 ……その理論……雑すぎる……。 ……でも……否定できない……」
セツナは、まだ膝の上にいる猫をそっと撫でた。 猫は喉を鳴らしながら、未来の俺として冷静に分析する。
『……ニャア。(セツナ。 お前、完全に“食卓の魔力”にやられてるぞ。 暗殺者の威厳どこ行ったんだよ)』
「……威厳……? ……そんなもの……大根の前では……無力……」
「そんなに気に入ってくれたなら嬉しいなぁ」
カズマは笑いながら、 セツナの空になったカップを回収していく。
「はい、これ。最後に“筋肉こんにゃく”。 大家さんが“噛むたびに筋肉が目覚める”って言ってたよ」
「……筋肉……目覚める……? ……意味不明……でも……食べる」
セツナはこんにゃくを噛みしめ、 その弾力に目を細めた。
「……この反発力……。 ……敵の攻撃を受け流す時の“衝撃吸収”に似ている……。 ……でも……優しい……」
「セツナちゃん、例えが全部物騒なんだよね……」
食事が終わると、 セツナは静かに立ち上がり、 カズマの部屋の押し入れの前に歩いていった。
「……ここ。 ……私、ここに住む」
「えっ、押し入れに?」
「……監視。 ……あなたの行動……常に把握する……。 ……次の“がんもどき”が煮えるまで……命は預けてあげる」
「うん、分かった。 じゃあ布団敷くね」
カズマは慣れた手つきで押し入れを整え、 セツナ用の小さな布団を敷いた。
セツナはその布団に腰を下ろし、 猫を抱えたまま、静かに押し入れの中に収まった。
「……ここ……落ち着く……。 ……影に似ている……。 ……でも……温かい……」
『……ニャア。(押し入れで落ち着く暗殺者ってどうなんだよ……)』
長官はその様子を見て、 深いため息をついた。
「……やれやれ。 未来警察の最重要指名手配犯が、 四畳半の押し入れで“家族入り”とはな……。 佐藤、貴様の影響力……本当に危険だぞ」
「えへへ……そんなことないよ。 ただのお裾分けだよ」
「……ただの……お裾分け……。 ……でも……それが……一番危険……」
セツナは押し入れの中で、 猫を抱きしめながら目を閉じた。
「……明日……白雪が……“光るはんぺん”持ってくる……? ……興味深い……。 ……記録(味見)しなければ……」
「うん、楽しみにしててね」
こうして、 暗殺者セツナは“監視”という名目で押し入れに住み着き、 四畳半のアパートはさらに人口密度(と筋肉密度)を増しながら、 宇宙で一番騒がしくて、一番平和な場所へと進化していくのだった。




