第2部・第2話:『翻訳機が乙女ゲーム化して、猫が人格崩壊した日』
「佐藤さん! 猫ちゃんの『心の声』が聞きたくない? 翻訳機持ってきたわよ!」
白雪が勢いよく部屋に飛び込んできた。
手にしているのは、未来の最新ペットガジェット――
『アニマル・エモーション・デコーダー:ワンニャン・テレパス』。
名前は可愛いのに、見た目は完全にサイバー兵器。
猫の眉間に貼り付けるタイプのステッカーで、中央には不気味に光る“第3の目”のようなレンズがついている。
「白雪さん、それ大丈夫? また猫ちゃんが犬になったりしない?」
「失礼ね! 今度は完璧よ。脳波を0.01秒で言語化して、このスピーカーから出力するんだから!」
白雪は胸を張るが、未来の俺(猫)はすでに警戒して後ずさっていた。
「ニャッ……!(やめろ! 絶対ロクなことにならん!)」
「はい捕まえた〜!」
白雪は猫をひょいっと抱え上げ、嫌がる未来の俺を羽交い締めにして、
ステッカーをペタッと眉間に貼り付けた。
その瞬間、
スピーカーから機械的な合成音声が流れ始めた。
『――……カズマ。愛している。君のその、少し頼りない背中を、僕は永遠に守り続けたいんだ……。……今夜は、おじやじゃなくて、君という名のメインディッシュを……』
「…………えっ?」
カズマは、おたまを持ったまま固まった。
未来の俺(猫)は、全身の毛を逆立ててスピーカーに向かって威嚇する。
『ワンッ!?(おいふざけるな!! 今“煮干し寄越せ、この天然ボケ!”って言ったんだぞ!? なんだその深夜の乙女ゲームみたいな翻訳は!!)』
「……犬語になってるよね?」
「わぁ……猫ちゃん、おにぃさんのこと、そんなにディープに愛してたんだね……。引くわー……」
「レオン、違うからね!? 絶対違うからね!?」
レオンはドン引きしながら、そっとカズマから距離を取った。
しかし、デコーダーは容赦なく“愛の告白”を続ける。
『――……恥ずかしがるなよ、子猫ちゃん。僕の爪は、君を傷つけるためじゃなく、君を離さないためにあるんだ……』
「いやいやいやいや!! そんな猫おらんやろ!!」
カズマが叫ぶ横で、大家が筋肉を震わせて感動していた。
「ヌンッ!! 種族を越えた愛……! 素晴らしい、猫よ!
私も貴様の情熱に応え、今日からスクワットのパートナーに認めてやろう!!」
「いや、大家さん、それは違うと思う……!」
未来の俺は、羞恥と怒りで部屋中を走り回る。
『ニャアアアアアア!!(やめろぉぉぉ!!)』
白雪は「あ、ごめん!」と慌てて設定画面を開いた。
「これ、『ロマンチック・フィルタ』が最大設定になってたわ! そりゃ乙女ゲームになるわよね〜」
「そんなフィルタいらないよ!!」
「じゃあ次は……『ハードボイルド・モード』ね!」
「いや、白雪さん!? それも違うと思う!!」
しかし、白雪は迷いなくボタンを押した。
次の瞬間、スピーカーから低く渋い声が響く。
『――……カズマ。地獄へ行く時は一緒だ。
この煮干し、弾丸の味がしやがるぜ……。
いいか、お前はレジで笑ってろ。汚れ仕事は俺が引き受ける……』
「……。……。なんか、それはそれでカッコいいけど……猫ちゃんだよね?」
レオンがぽつりと呟く。
「おにぃさん……猫ちゃん、急に“裏社会の相棒”みたいになってるよ……?」
「白雪さん、早く直してあげてよ! 猫ちゃん、さっきから人格が迷子だよ!」
白雪は「えーっと、次は……」と設定をスクロールし始める。
「『ツンデレ・モード』、『ヤンデレ・モード』、『シニカル・モード』……あ、これ面白そう!」
「面白そうで選ばないで!!」
未来の俺は、ステッカーを引き剥がそうと必死に頭を床に擦りつけていた。
『ニャアアア!!(やめろ! 俺の人格が崩壊する!!)』
しかし白雪は楽しそうに笑っている。
「だって猫ちゃん、普段クールだから、こういうのもギャップ萌えでしょ?」
「萌えじゃないよ!!」
部屋の空気は、
猫の羞恥、白雪のテンション、レオンの困惑、大家の筋肉愛が混ざり合い、
完全にカオスの渦と化していた。
未来の俺(猫)は、羞恥と怒りで部屋中を暴走していた。
翻訳ステッカーを剥がそうと、壁に頭をゴンゴンぶつけ、床を転がり、カーテンに飛びつき、もはや“猫の動き”ではなく“野生の魂の叫び”だった。
『シャーーーッ!!(翻訳機を壊せ! 今すぐ壊せ! 長官、お前の権限でこの恥ずかしいログを消去しろ!!)』
長官はタブレットを見ながら、まるで株価でも確認するような冷静さで答えた。
「無理だ。すでにクラウドにバックアップされている。
未来本局のAIが“恋愛データ”として永久保存した」
『ニャアアアアアア!!(やめろぉぉぉ!!)』
「長官さん!? なんでそんなことするの!?」
「佐藤、未来では“ペットの恋愛感情”は重要な研究データだ。
特に君の猫は、時空を超える存在だからな」
「そんな研究いらないよ!!」
白雪は「えーっと……」と設定画面をスクロールしながら、
完全に楽しんでいる。
「次は……『ツンデレ・モード』、『ヤンデレ・モード』、『シニカル・モード』……あ、これ面白そう!」
「白雪さん!? 面白そうで選ばないで!!」
しかし、白雪の指は迷いなく“ヤンデレ・モード”をタップした。
スピーカーから、低く震える声が響く。
『……カズマ。逃げても無駄だよ……?
君の匂いは全部覚えてるから……。
煮干しより、君の方が……好き……』
「やめてぇぇぇぇぇ!!」
カズマは頭を抱えた。
レオンは震えながらカズマの背中に隠れる。
「おにぃさん……猫ちゃん、なんか……怖い……。」
「白雪さん!! 早く止めて!!」
「えー? でもこれ、人気モードなんだけどな〜。
未来の女子はみんな“ヤンデレ猫”に癒やされてるのよ?」
「未来どうなってんの!?」
大家は筋肉を震わせながら感動していた。
「ヌンッ!! 愛の重さは筋肉の重さに比例する!
猫よ、その執着……素晴らしい!!」
「いや、大家さんは黙ってて!!」
未来の俺は、ついに限界を迎えた。
ステッカーを引き剥がそうと、
壁に頭突きを繰り返し――
バキィィィン!!
壁が割れた。
「えっ……?」
割れた壁の隙間から、
黒いノイズをまとった少女――
静寂の暗殺者が、ひっそりと部屋を覗いていた。
彼女は、
“世界の音を消す”ノイズキャンセラーを構えたまま、
完全に固まっていた。
「……何、この地獄のようなノイズ……。
……猫が、カズマを口説いている……?
……これが、現代の精神攻撃……。
……恐ろしい男……」
「いや違うから!! これは誤解だから!!」
しかし少女は、
カズマの部屋の“異常な空気”に圧倒され、
攻撃のタイミングを完全に失っていた。
ニャアアア!!(やめろ! 俺の人格が崩壊する!!)』
「猫ちゃん、落ち着いて! ほら、煮干しあげるから!」
「佐藤さん、煮干しじゃ解決しないわよ。
これは“心の傷”だから」
「白雪さんがつけた傷だよね!?」
レオンはカズマの背中に隠れながら震えている。
「おにぃさん……猫ちゃんの声が……
なんか……魂の叫びみたいになってる……」
大家は筋肉を震わせながら感動していた。
「ヌンッ!! 魂の叫び……!
それこそが真の筋肉語だ!!
猫よ、貴様は今日から“筋肉の弟子”だ!!」
「いや、大家さんは黙ってて!!」
未来の俺は、
ついにステッカーを自力で引き剥がし、
勢いよく投げ捨てた。
ポチャン。
それは、
大家のプロテインシェイカーの中に沈んだ。
「……あっ」
「……あ」
「……あああああああああああああああ!!
私の“筋肉増強・超濃縮プロテイン”がぁぁぁ!!」
大家が膝から崩れ落ちた。
その様子を見て、
静寂の暗殺者の少女はさらに震えた。
「……この男……“騒音の中心”なのに……なぜか……平和……?」
こうして、
カズマの日常にまた一つ、
“誤解”という名の平和なノイズが積み重なっていった。
壁の向こうから覗いていた静寂の暗殺者の少女は、
部屋の中の“騒音の渦”に完全に飲まれていた。
白雪の暴走ガジェット、
レオンの悲鳴、
大家の筋肉の雄叫び、
長官の冷静すぎるコメント、
そして猫の人格崩壊。
彼女のノイズキャンセラーが、
この部屋の“情報量”に追いついていない。
「……こんな……こんなノイズ……聞いたことがない……。
……精神攻撃……? これは……新手の拷問……?」
少女は震えながら、
ノイズキャンセラーを耳に押し当てた。
しかし、
カズマの部屋の“騒音”は、彼女の静寂を軽々と突破してくる。
「ち、違うよ。これは…… ご・か・い・だ・か・ら・ねーーーー!」




