断罪劇へカイル
「実態は、軍事裁判なんだよね」
元老院の会議場へ足を踏み入れる前、カイルは小さくそう呟いた。
隣にいたリュシアが、ほんのわずかに眉を動かす。
「裁判、ですか」
「そう。誰の勝ちにして、誰の負けにするかを決める場だ」
「……それを裁判と言うのは、なかなか不敬ですね」
「元老院らしいだろ?」
軽く肩をすくめると、カイルは、普段なら座るはずの議長席後方ではなく、中央に設けられた低い壇へ進んだ。
そこは演説にも、弁明にも、時には告発にも使われる場所だった。
床より一段高いだけの石造りの壇。
だが、その上に立つ者は、元老院全体から見られる。
つまり、逃げ場がない。
そんなことを思いながら、カイルは壇の中央で足を止め、両手を胸の前で合わせた。
元老院で用いられる古い礼だった。
前世であれば、宗教的な儀礼に見えたかもしれない。
だが、この世界では特に信仰の意味はないらしい。
旧共和国の市民が、攻撃の意思がないことを示すために両手を合わせて見せたのが始まりだとか。
執政官の前で、胸中に偽りがないことを示すためだとか。
由来はいくつもある。
たぶん、どれも後付けだ。
カイルは、そんなことを考えながら頭を垂れた。
曲がりなりにも、彼は今回の遠征軍の名目上の総司令官だった。
だから、中央に立つこと自体は不自然ではない。
……いや、名目上と見なすのは、あの戦場にいなかった者たちだけだ。
その下、壇から半歩ほど離れた位置に、リュシアが控えていた。
副官である彼女には、この時点で発言権はない。
ただし、誰の後ろに立つか。どの距離に控えるか。
それだけでも、元老院では意味を持つ。
嫌な場所だ。
カイルは、そう思った。
「此度の戦について聞こう」
議長席から、第一執政卿の声が落ちた。
低く、重い声だった。
会議場のざわめきが引く。
名目上は元老院の第一人者に過ぎない。だが、実態としては共和国における王に近い。
その彼が、正面からカイルを見ていた。
感情は読めない。
父としての顔も、元首としての顔も、そこには浮かんでいなかった。
ただ、元老院の議長が、遠征軍司令官の報告を求めている。
それだけだった。
少し離れた席から、一人の議員が立ち上がった。
元老院議員の正装をまとった男である。
片肩から白い外衣を垂らし、胸元の留め具には古い家門の印が刻まれていた。
男はカイルと同じ礼を取り、傍らに置かれていた薄い板を手に取る。
板には、今回の遠征に関する公式記録が記されている。
紙に書けば済むものを、わざわざ板に写し、式次第に従って読み上げる。
旧来の仕来りなのか、権威付けなのかは知らない。
ただ、面倒で非効率なことだけは確かだった。
「目的」
男が、古い言い回しで読み上げる。
「王国を名乗る叛徒が不法に占拠せし旧首都へ至る道を開き、軍事的補給路を確保すること」
いつ聞いても、大げさな言葉だとカイルは思う。
共和国にとって、王国とその属国勢力は、旧領を占拠する叛徒である。
それが事実か、正しいかなど、本当は誰も気にしていない。
使えるか、使えないか。聞いた者が頷くか、反発するか。
気にしているのは、せいぜいその程度だ。
議員は次の板を取った。
「結果」
会議場の空気が、わずかに固くなる。
「叛徒の隠るセレルナの砦に十分なる損害を与え、同地における敵補給および迎撃能力を、当面、著しく低下せしめた」
板を読み終えると、議員は一呼吸置いた。
カイルは、壇の上で黙っていた。
「異議あり」
その間に、別の席から声が上がった。
若い男だった。
身にまとう外衣は見事だが、動きが少し硬い。
議場慣れしていないのか。
それとも、あえて怒りを隠さないようにしているのか。
男は規定通りに立っていた。
声を上げる間も、発言の間も、申し分ない。
タイミングを考えても、これは出来レースだ。
カイルは、彼の顔を見て、心の中で溜息をついた。
第三王子派に属する議員、ではない。
おそらく、茶番に付き合わされているだけだ。
クラウディアンが出てくれば、まとまるものもまとまらなくなる。だから、派閥間の力学とは無関係の連中に言わせ、上手く遣り過ごそうとする。
そういうことを考える連中は、どこの国にもいる。
「砦は健在ではないのか」
声はよく通った。もともとそういう風に議事堂自体設計されていると言う事もあるが、彼の使う古風なしゃべり方も一役買っている。
議場の何人かが、待っていたように視線を動かす。
「セレルナの砦は落ちず、城壁も保たれている。ならば、十分なる損害とは何を指すのか」
よく言う。
カイルは、少しだけ目を細めた。
その問い自体は正しい。
だからこそ、使いやすい。
「お答えする」
別の席で、ラングレー将軍が立ち上がった。
年齢を重ねた武人らしい落ち着いた動作だった。
彼もまた、元老院式の礼を取り、会議場を見渡す。
カイルは知っている。
ここまでは筋書きがある。
完全な勝利ではない。
しかし、敗北でもない。
目的の一部は果たし、敵への損害は与え、王国主力の到着前に兵を保って退いた。
その形で押し通す。
そのための誘い水だ。
ラングレー将軍は、静かに口を開いた。
「確かに、セレルナの砦を奪還するには至らず、城壁の倒壊もございませぬ」
奪還、という言い方に、何人かが満足げな顔をした。
共和国から見れば、自分たちの土地を王国が勝手に使っている。
だから、攻め落とすのではなく、奪い返す。
言葉一つで、地図の色は変わる。
「されど、同地の食糧、人員、ならびに周辺領よりの支援余力に、深刻なる打撃を与えたことは事実にございます。砦が健在であっても、兵は腹を満たさねば戦えませぬ」
議場の一部が頷いた。
「さらに、王国軍の主力が現地へ到着したことも確認しております」
ラングレー将軍は、そこで一度言葉を切った。
「我が軍が、そのまま王国主力と相まみえ勝利したとしても、無傷とは参りませぬ。まして、得られる戦果は限られておりました。すでに敵の玄関口たるセレルナに打撃を与え、こちらの損害が敵への打撃を上回る前に退く。それが、遠征軍として最も理に適った判断であったと申し上げます」
うまい。
カイルは、内心でそう思った。
元老院では、こういう言い方が必要になる程度は、彼も理解している。
敵に打撃を与え、目的を一部達成し、損失が膨らむ前に退いた。
戦場を知らない者には物足りなく聞こえるだろうが、戦場を知る者には合理的に聞こえる。
「ならば」
先ほどとは違う議員が立ち上がった。
今度は明らかに違っている。
外衣の留め具。
腰帯の色。
席の位置。
隣に座る者たちの反応。
クラウディアンと呼ばれる一派の者であることを、隠すつもりもないらしい。その言動から、過激派《跳ねっ返り》の可能性が高かった。
「砦を落とせず、補給路を確保できず、王国主力を前に退いた。
言葉を整えれば撤退であろうが、実態は敗退ではないのか」
議場の空気が、わずかにざわついた。
席を立っての発言。
しかも、将軍の説明が終わった後の問いである。
ぶしつけではあっても、建前上は問題ない。
元老院の規約上、回答しないわけにはいかない。
ラングレー将軍が、わずかに顎を引いた。
その一瞬だった。
「その通りです」
カイルの声は、思っていたよりもよく響いた。
議場が止まる。
ラングレー将軍の眉が動いた。
クラウディアンの男は、口を開いたまま固まった。
数人の議員が、まるで聞き間違いを疑うように互いの顔を見た。
壇の下で、リュシアだけが、目を伏せた。
ああ。やはり。
彼女だけは、そう思っていた。
カイルは、胸の前で合わせていた手を下ろし、まっすぐクラウディアンの方を見た。
「そう。紛れもない負け戦ですよ」
次回8/10に投稿予定です。




