元老院へカイル
「正装、嫌なんだよね。仰々しくて」
カイルはそうぼやくと、肩に掛けた白い外衣の位置を指先で直した。
共和国貴族が着る準正装は、王国の正装と大きく変わらない。
袖の形や襟の合わせ、飾り紐の結び方に違いはあるが、要するに上衣と下衣を合わせた、動きやすい服である。
カイルの、前世での服装とそんなに変わらない。
だが、元老院へ出る時の正装だけは違った。
古代共和国の伝統を受け継ぐ、とされる一枚布の外衣を身に纏う必要があった。
片肩から胸元を覆い、腕の動きを微妙に邪魔し、歩くたびに裾が気になる。
着る者に威厳を与えるというより、着る者を権威の一部として取り込んでいるような感じ、そう身に纏うと言うよりも搦め捕られているのに近い。
カイルは、それが好きではなかった。
「例の、憧れの軍師様と同じですか?」
隣を歩くリュシアが、涼しい顔で言う。
「そういや、あの人も正装は嫌いそうだったな。着たとしても、絶対に着崩していたと思う」
「そのわりに、カイル様もかなり崩していますが」
「これは機能性の確保だよ」
「儀礼係が聞いたら卒倒しますね」
「卒倒するほど繊細なら、元老院の儀礼係なんてやっていないよ」
「……否定出来無いのが嫌らしいですね」
そんなことを言いながら、二人は元老院と呼ばれる建物へ入っていく。
古代共和国の伝統を継ぐ、という建前で建てられたその建造物は、今では失われた旧首都に存在したとされる大議事堂を模していた。
石造りの柱が連なり、壁面には古い執政官や将軍たちの浮彫が並ぶ。
天井の中央は大きく開かれ、太陽の光がまっすぐ中庭へ落ちている。そこから反射した光が、通路の白い石を明るく照らしていた。
昼間であれば、灯火はいらない。
そのかわり、雨の日は陰気で、夏は暑く、冬は寒い。
魔法と恒常性のおかげで外気よりはましといえ、それでも暑いものは暑いし、寒いものは寒い。
それに、風雨や氷雪は魔法や恒常性ではどうにも出来ない。
伝統とは、だいたい不便さと抱き合わせで残るものらしい。
「で?」
カイルが短く尋ねた。
「で、とは?」
「ほら、弟派閥の連中。騒いでるだろ?」
リュシアの歩調が、ほんの少しだけ硬くなった。
「ああ、クラウディオ様は今回は参加されません」
その答えを聞いて、カイルは小さく息を吐いた。
「助かる。正直、やりにくいんだよね、どうしても」
「それは向こうもだと思いますよ」
「だろうね」
「特に派閥の方々は、カイル様がどんな奇策を思いつくかと冷や冷やしているでしょうから」
「失礼だな。私はそんな奇抜な作戦は使わないよ」
「そうでしょうか」
「本当だって。
君の言う『憧れの軍師様』と同じで、意外と作戦そのものはオーソドックスなんだよ」
カイルは外衣の裾を直しながら、少しだけ笑った。
「兵を動かす。
補給を見る。
敵のやりたいことを潰す。
味方が崩れないようにする。
基本はそれだけだ」
「その基本を、人の心理の隙間に差し込むのが上手いだけですね」
「心外だな。そんな人聞きの悪い事なんてした事ないよ」
「普通は食糧を戦争前からどうにかするなんて思い付きません」
「そんな、事前調略以前から補給を検討するなんて、命婦じゃあるまいし」
言ってから、カイルは嫌そうな顔をして黙った。
リュシアが横目で見る。
「……多分、命婦殿も同じことを思っていますよ?」
「やめてくれ。あの人と同じ分類に入れられるのは、かなり不本意だ」
「向こうも同じことを言いそうです」
「腹立つな」
「お互い様でしょう」
二人の前に、明るく輝く空間が現れた。
元老院の会議場である。
円形に近い広間の中央には、床より少し低い討議場があり、その周囲を囲むように席が段状に並んでいる。
席の数は多い。だが、すべてが埋まることは滅多にない。
元老院という言葉には、複数の意味がある。
元老院と呼ばれる、国家運営を行う会議場。
その元老院に参加を許された議員。
そして、第一執政卿と呼ばれる君主の下で国家を運営する組織。
今や、行政と立法、さらには司法の一部までも含む、国家そのものと呼ぶべき存在。
それらを、共和国ではまとめて元老院と呼んでいた。
「本当に、面倒な場所だ」
カイルが呟いた。
「お嫌いですか?」
その言葉には、暗に議長でもある第一執政卿《父上》が嫌いかと言う意味が込められていた。
「好きでも嫌いでもないよ」
彼は、会議場の上部に掲げられた古い紋章を見上げた。
失われた首都の名残だという、古代共和国の紋章。
今の共和国にとっては、正統性の証であり、同時に足枷でもある。
「好き嫌いではなく、必要かどうかだ。
ここでしかできないこともある。ここでしか壊せないものもある」
「壊す前提なのですね」
「直すためには、壊す必要があるものも多いからね」
「その言い方を、元老院議員の前ではなさらないでくださいね」
特に議長の前では、とボソリと言葉をこぼす。
「しないよ。そこまで迂闊じゃない」
「どうでしょう」
リュシアは、半歩後ろを歩きながら淡々と言った。
「それに今の言い方、憧れの軍師様というより、そのライバルの黄金の覇王みたいですよ」
「やめてくれ」
カイルは、露骨に顔をしかめた。
「それじゃあ、命婦が不敗の魔術師になっちゃうじゃないか」
「案外、似合うのでは?」
「似合うから嫌なんだよ。必然の魔女なんて呼ばれ始めたら、洒落にならない」
「呼ばれるかもしれませんよ。後継者と呼ばれた人物が、そう評価したとなれば」
「リュシア、今日の君は辛辣だな」
「元老院へ入る日は、いつもこうです」
「なるほど。正装が悪い」
「責任転嫁です」
そこで、会議場の奥から、いくつかの視線がこちらへ向けられた。
友好的なもの。
値踏みするもの。
警戒するもの。
そして、露骨に面白がっているもの。
カイルは、それらを一つずつ拾いながら、いつものように少しだけ気の抜けた笑みを浮かべた。
親しみやすく、頼りなく、どこか隙があるように見える笑み。
だが、リュシアは知っている。
その笑みの奥で、カイルが誰の視線がどこから来たか、誰が誰と目を合わせたか、どの席が空いているかまで見ていることを。
同時に、リュシアは知っている。
彼が、無意識に行っているその類いの観察を嫌悪していることも。
憧れたのは、戦場のすべてを掌で転がす覇者のそれではなかった。
退屈そうに椅子へ沈み込みながら、それでも最小限の手で味方を生かす軍師だったはずだ。
だが、共和国が彼に求めるのは、たぶん……前者だ。
彼にとって最悪なことに、彼にはその適性があった。
「行こうか」
「はい」
リュシアが半歩後ろにつく。
その位置は、ただの副官の位置だった。
だが、共和国の元老院で、ただの位置など存在しない。
いるか、いないか。
前に立つか、後ろに控えるか。
右に置くか、左に置くか。
そのすべてが、誰かの意味になる。
カイルは、白い外衣の裾をもう一度だけ整えた。
嫌いな正装。
嫌いな儀礼。
嫌いな会議場。
それでも、ここへ来た。
ここでしかできないことがあるからだ。
ここでしか始められない面倒事もあるからだ。
カイルは、元老院の床へ足を踏み入れた。
「国士無双にはできなかったからね」
誰に聞かせるでもなく、カイルは小さく呟く。
「せめて、天衣無縫くらいは守らないと」
リュシアは、その言葉の意味を知らない。
だが、カイルがそれを冗談として口にしたのではないことだけは、分かった。




