共和国へカイル
今回から幕間の共和国編です。
この章から毎週木曜日更新で進めていきます。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。
「嚔」
カイルは、手にしていた報告書で口元を隠すようにして、くしゃみをした。
「風邪ですか?」
リュシアが、いつものように涼しい顔で尋ねる。
「……いや」
カイルは、鼻先を指でこすりながら、報告書へ視線を戻した。
「誰かが、失礼なことを考えた気がする」
「アウルの場合、思い当たる節が多すぎるんじゃない?」
向かい側に座っていた青年が、肩をすくめる。
整った顔立ちに、柔らかな物腰。だが、その言葉には、遠慮というものが欠けていた。
いや、遠慮がないのではない。遠慮をしなくても許される距離にいる、という方が正しい。
「心当たりしかありませんね」
リュシアも、淡々と追撃する。
「ルイもリュシアも、ひどくない?」
「事実だからね」
「事実ですので」
「そこは、どちらか一人くらい否定してくれてもよくないか」
カイルが顔をしかめると、扉の方から小さな笑い声が聞こえた。
「相変わらずね、あなたたちは」
そう言って入ってきたのは、エミリアだった。
上流階級の夫人らしい落ち着いた装い。
だが、その手には菓子の載ったトレイがある。
自ら持ってくる必要などない立場のはずだが、その動きは慣れていた。
使用人任せにするのではなく、自分で持ってきた方が早い。そう判断した者の手際だった。
「はい。お菓子ができたから、持ってきたわよ」
「ありがとうございます」
カイルは、そう言って報告書をテーブルの端へ置いた。
「アウル」
ルイが、すぐにその報告書を摘まみ上げる。
「茶菓子の横に負け戦の報告書を置くのは、やめた方がいい」
「負け戦って言うな。計算外があっただけだ」
「計算外を含めて敗因です」
リュシアが、容赦なく言う。
「姉様、そこまで言わなくても」
ルイの隣に座っていた少女が、小さく苦笑しながら、彼の杯に茶を足した。
リュシアによく似た顔立ちだ。
ただし、表情は姉より柔らかい。仕草も控えめで、茶を注ぐ手つきにも迷いがない。
セリア。
ルイの副官であり、婚約者でもある少女だった。
「それより、こちらをどうぞ。まだ温かいうちが美味しいそうです」
「……それ、まさか」
カイルは、トレイに並んだ菓子を見て、少し顔を引きつらせた。
「あら、最近流行っている男爵芋を使ったお菓子ですね」
リュシアが、ほんの少しだけ嫌そうに言いながら、薄く揚げられた芋を一枚つまむ。
ぱり、と小さな音がした。
「……美味しいのが、余計に腹立たしいですね」
「食べるんだ」
「情報収集です」
「ものは言いようだな」
ルイも、細く切られた揚げ芋を一本つまんだ。
「そういえば、その男爵芋も命婦絡みだったね」
「やめろ。今、その名を聞くと胃が痛い」
「まあ、カイルの責任を問う声もあるけど」
ルイは、揚げ芋を口に運びながら、さらりと言った。
「同時に、『命婦相手に大きな損耗もなく撤退した』と、高く評価する向きもあるみたいだよ」
「……どうせ、ルイが先頭に立ってそういう空気を作ったんだろう」
カイルは、目を細める。
「『芋が非常時の補給物資になることを見抜けなかった』とか、わざと大げさに騒いで、周囲に『堅焼きパンならともかく、芋を兵站に数えるのは無理だろう』と思わせた。違うか?」
「まさか」
ルイは、にこりと笑った。
「くしゃみをするくらい、性格が悪いと噂されていそうなアウルと一緒にしないでくれ」
「その言い方がもう性格悪いんだよ」
「素敵と噂されているかもしれませんよ」
セリアが、控えめに笑う。
「その場合も、くしゃみは出るのでしょうか」
「出るかもしれない。ほら、アウルは繊細だから」
「誰が繊細だ」
カイルは、報告書を指で叩いた。
「そもそも、作戦自体は機能していた。王国の通常備蓄、周辺領からの支援、王家の食料庫。そこまでなら、こちらの読みはほぼ外れていない」
茶会の空気が、ほんの少しだけ引き締まる。
ルイも、揚げ芋を置いた。
「うん。だから厄介だ」
「何が?」
「命婦だよ」
ルイは、少し楽しそうに、けれど目だけは笑わずに言った。
「こちらは、相手の穀物を読んだ。畑も読んだ。街道も読んだ。王国の面子も読んだ。そこまでは合っていた」
「ああ」
「なのに、茶会のつまみ扱いだった芋が、籠城を救った。宴会用、酒のあて、子供向けの菓子。そういう場所に紛れていたものが、いざとなったら救荒食になった」
ルイは、薄く揚げられた芋を指で軽く弾いた。
「これ一枚だけなら、ただの菓子だ。でも、これが領地単位で積み上がると、兵站になる」
「……性格の悪い言い方をするな」
「アウルほどじゃない」
「だから、そこで私を出すな」
リュシアが、報告書を一枚めくる。
「ですが、ルイ様の仰る通りです。命婦殿が意図していたかは不明ですが、結果としてこちらの策は、芋という一点で切り返されました」
「意図していたかは怪しい」
カイルは即答した。
「酒のつまみが欲しかっただけかもしれない。茶会で目立ちたかっただけかもしれない。妻に押し切られただけかもしれない」
「随分と詳しい推測ですね」
「嫌な相手ほど、行動原理を考えるものだ」
「それで?」
ルイが促す。
「意図していなければ、軽く見る?」
「逆だ」
カイルは、報告書を閉じた。
「意図していなくても、結果が出た。そこが厄介なんだよ」
彼は、テーブルの上の芋菓子へ視線を落とす。
「起きない奇跡は、当然と言う。起きた奇跡は、必然と言う」
その言葉に、リュシアがわずかに目を細めた。
「では、今回の芋も必然だったと?」
「次からは、そう扱うしかない」
カイルは、指先で報告書を押した。
「少なくとも、王国の社交界と救荒食と兵站を、別々のものとして扱うのはやめだ。あの国では、茶会の皿の上に、戦場が載る」
「嫌な国だね」
「嫌な国にしたのは、たぶん命婦だ」
「そこまで言うと、褒めていますよ」
「褒めてるんだよ。腹立たしいことに」
セリアが、細長い揚げ芋をつまみながら、静かに尋ねた。
「では、カイル様。再度の侵攻はなさらないのですか?」
「ああ。今は無理だ」
「やはり、芋ですか?」
「芋だけじゃない。王国ご自慢の海運もある」
カイルが答えるより早く、ルイが口を挟んだ。
「多分、復興名目で大量に送り込まれているよ。種芋、保存食、小麦、塩、油。全部を陸で運ぶ必要はない。あの国は内海を使える」
「それに、河も使うでしょうね」
カイルは頷く。
「ぎりぎりまで水で運び、最後だけ陸路。そうなれば、こちらがもう一度包囲しても、前回ほど効かない」
「なるほど」
セリアは納得したように頷いた。
「で、どうするんだい。アウルの事だ、仕込みはしてるんだろう」
「人を悪徳商人みたいに言うなよ。
まあ、お茶の次は酒かな?」
「酒?」
三人の声が重なる。
「命婦なら、芋を焼酎にするさ」
「酒に変えて兵糧攻めですか?」
セリアが、不思議そうに尋ねた。
「まさか。だが、酒には面白い性質があるからね」
カイルは、ふてぶてしいとか不適と呼ばれる笑みを浮かべた。
それは、自分のなり違っている軍師より言うよ、明らかに覇者のそれだった。
「一度失敗した策に、固執するのは危険ということですね」
「そういうこと」
カイルは、少しだけ笑った。
「諦めるのに、遅すぎるってことはないんだよ」
「命婦の言葉かい、さすがだな、後継者」
ルイが、揶揄うようにそう言う一方、リュシアが、その言葉に反応する。
「今回は、諦めないという意味ではないのですね」
「違う。
間違った策を諦めるのに、遅すぎることはない、という意味だ」
「相変わらず、言い方だけは綺麗ですね」
「中身も綺麗だろ」
「その発言で台無しです」
エミリアが、静かに目を細めた。
「仲が良いのは結構ですが、ここは一応、内々とはいえ茶会ですよ。カイル、もう少し背を伸ばしなさい」
「エミリア様までそれを言いますか」
「言いますとも。あなたが戻ってきたと聞けば、あの子も来るでしょうから」
「……あの子?」
カイルが、嫌な予感を覚えたように顔を上げる。
その直後、扉の向こうで、足音が跳ねた。
次回は7月23日(木)予定です




