54 祝賀会の準備を目の当たりにしに転生しました
ヴィオラがこちらに気づき、涼しい顔で微笑んだ。
「あなた、遅かったですわね」
「……イル?」
思わず私は、公式の場では使わない愛称で呼んでしまう。
「はい」
「えーと、これは?」
妻は、少しだけ首を傾げた。
「王妃陛下より、今回の救援物資として用いられた芋類について、救荒食としての確認を仰せつかりましたので」
「それは、まあ分かる」
いや、分かりたくはないが、理屈は分かる。
確かに、輸送という観点だけで見れば、小麦や大麦よりずっと扱いやすい。
「では、何が分からないのです?」
「なぜ娘が正面の椅子に座っている」
ヴィオラは、当然のように答えた。
「王女殿下がいらっしゃる前に、子供の目線で高さを確認しておりました」
娘だけが、きゃっきゃと笑っていた。
なるほど。
王女殿下の目線確認。
そう言われると、理屈は通っている。
通っているのが、一番困る。
「王女殿下とは、確か同い年ですから。それに、楽しそうでしょう?」
妻の言葉に、娘は満面の笑顔で三段台の方を指差した。
「おいも!」
広間の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
何人かの貴族が、思わず笑みを漏らす。
騎士団の連中は、なぜか誇らしげに胸を張っていた。
「閣下……つか、男爵」
近くにいた騎士団の一人が、小声で言った。
「奥方様、あれですな。戦場の配置より細かいです」
「黙れ」
「ですが、導線は見事ですぜ」
「黙れと言っている」
「あと、揚げ芋が減る前に王妃陛下へお出しした方がよろしいかと」
「誰が減らすんだ」
騎士団員は、目を逸らした。
その口元に、塩の粒がついていた。
私は深く息を吐いた。
広間の奥から、新たなざわめきが起きた。
王妃と王女が、まもなく入場するのだろう。
心の中で、ひとつだけ確信した。
今日の戦勝宴は、たぶん戦場より疲れる。
◎ ▲ ◎ ▲ ◎
その時、広間の奥にいた儀典官の一人が、すっと姿勢を正した。
それだけで、ざわめきが一段低くなる。
貴族たちが、まるで誰かに紐で引かれたように、自然と場所を空けていく。
将校たちも、文官たちも、先ほどまで芋の三段台をどう扱うべきか迷っていた者たちも、揃って視線を広間の奥へ向けた。
どうやら、本命の登場らしい。
まず姿を見せたのは、王女殿下だった。
年の頃は、うちの息子より少し下か。
淡い色の礼装をまとい、まだ幼さの残る顔立ちながら、背筋はきちんと伸びている。
ただし、目だけは正直だった。
入ってくるなり、王女殿下の視線は王妃席ではなく、銀の三段台の方へ吸い寄せられていた。
分かる。
分かるぞぉ。
あれは、政治的関心ではない。完全に食べたい顔である。
そして、その王女殿下の視線の先には、我が娘がいた。
「きゃっ」
娘は、王女殿下が入ってきたことに気づいたらしい。
正面の椅子の上で、また足をぷらぷらさせた。
やめなさい。
そこは王女殿下の目線確認用の椅子であって、王女殿下を迎えるための玉座ではない。
ヴィオラは、そこで初めて娘の前に進み出た。
その動きは、普段のどこか天然じみた妻とは少し違って、王宮の広間で王女殿下を迎える男爵夫人だった。
そこへ、さらに広間の空気が変わった。
王妃陛下が入ってきたのだ。
王と並び立つための煌びやかさではなく、場の温度を一段落ち着かせるような華やかさだった。
派手ではない。
だが、そこに立つだけで、誰に向けて礼を取ればよいのかを周囲に理解させる。
メイリスラヴァ王妃。
王家の慈愛を担う方。
そして今回、どういうわけか我が家の芋料理に関心を持たれた方である。
裾を乱さず、目線を下げすぎず、しかし決して相手を見下ろさない。
娘の前に立ちながらも、王妃陛下の進路を塞がない位置で、静かに礼を取る。
「王妃陛下と王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」
おお。
我が妻がまともだ。
いや、失礼なことを言っている自覚はある。
だが、そう思ってしまったものは仕方ない。
◎ ▲ ◎ ▲ ◎
王妃陛下は、上品とか柔らかいといった言葉がぴったりの笑みを浮かべ、軽く会釈された。
その隣に立つ王女殿下は、少しだけ緊張した様子で、ヴィオラと娘に頷く。
「バラージュ男爵夫人ですね」
「はい。ヴィオラ・パラージュにございます」
娘が、椅子の上で小さく手を上げた。
「わたしもパラージュ!」
やめなさい。
ここは自己紹介の場ではない。
いや、自己紹介の場ではあるかもしれないが、椅子の上から名乗る場ではない。
ヴィオラが、娘へほんの少しだけ目を向けた。
それだけで娘は、なぜか口を閉じる。
すごい。
私が戦場で共和国軍を止めた時より、今の方が純粋に尊敬できる。
「こちらは、娘のヘルミナ・イサベッラ・パラージュにございます。王女殿下の目線に合わせ、菓子台の高さを確認しておりました」
ヴィオラは、何事もなかったかのように説明した。
王女殿下は、きょとんとした後、娘を見て小さく笑った。
王妃陛下も、そんな二人を見て、目元を和らげる。
「そうなのですか?」
「はい!」
娘は胸を張った。
何も分かっていないくせに、妙に誇らしげである。
その微笑ましいはずの光景を見ながら、周囲の貴族たちは依然として判断に困っていた。
王女殿下が笑ったのだから、笑ってよいのか。
しかし、王宮の戦勝宴で男爵家の幼女が正面の椅子に座っていた件を、笑って流してよいのか。
皆、答えを探している顔をしている。
分かる。
私も探している。
ヴィオラは、娘を椅子から下ろそうとした。
同時に、いつの間にか妹のそばに立っていた息子が、「よいしょ」と小さく声を出して、娘を抱き上げる。
「わーい」
娘は、椅子から下ろされると、ぴょんと床に降り立った。
その様子を見る王女殿下の目が、微妙に羨ましそうだった。
……やはり、息子は乙女ゲームの攻略対象なのでは?
いや、待て。
今のどこに攻略要素があった。
妹を椅子から下ろしただけだ。
だが、王女殿下の表情がわずかに動いたのも事実である。
まずい。
私は、息子と娘を下がらせようとした。
しかし、その前に王妃陛下が軽く手を上げられた。
「そのままで構いません」
やめてください。
構います。
少なくとも父親としては非常に構います。
だが、王妃陛下は穏やかに微笑んでいた。
「王女の目線に合わせてくださったのでしょう。助かります」
「恐れ入ります」
ヴィオラが、きちんと頭を下げる。
普段の妻なら、ここで何か一つくらい妙なことを言いそうなものだが、今日は違う。
王妃陛下を前にして、礼法の線を踏み外さない。
この人、できる。
いや、知っていたはずなのだが、どうしても普段の姿に引きずられて忘れかける。
王妃陛下は、三段台へ視線を向けた。
「こちらが、今回の救援物資に使われた芋類を用いた料理ですね」
「はい。王妃陛下より事前にお言葉を賜りましたので、男爵芋を用いたものと、甘芋を用いたものを数種、ご用意いたしました」
ヴィオラは、すらすらと答えた。
男爵芋。
甘芋。
その言葉が王宮の戦勝宴で普通に出てくることに、私はまだ慣れない。
王妃陛下は、今度はヴィオラの顔を見た。
「バラージュ男爵夫人」
「はい」
「そのように固くならずともよいのですよ」
ヴィオラが、ほんのわずかに目を瞬かせた。
「ですが、王妃陛下の御前にございますので」
王妃のその言葉に、周囲の視線がまたこちらへ集まる。
「ええ。ですが、あなたがたはこのたび、セレルナを救った功臣です」
「ありがとうございます」
「それに、甘い食料というのは素敵ですね」
「はい、甘い食べ物はそれだけで心が満たされます」
やめてほしい。
ただでさえ功臣という言葉は、たいてい次の面倒事の前置きなのだ。
次回は7/7投稿します




