53 王女の座に娘が座っている世界に転生しました
王宮の宴会用広間の入口は、副宮とはまた違った迫力があった。
大きな両開きの扉は、横に六人ほど並んで通れそうな幅がある。
扉の前に立つだけで、こちらが招かれた客なのか、それとも何かの審問を受けに来た罪人なのか、少し分からなくなってくる。
「えーと、お父様」
隣で息子が、小さく袖を引いた。場所が場所だけに、やや改まった呼びかけを続けている。
「ボク、本当に参加しても良いのかな?」
その逡巡はよく分かる。
扉の向こうにあるのは、我が家が主催してきた宴とは、規模も意味もまるで違う、本物の王宮の宴だ。
しかも、ただの宴ではない。
セレルナ防衛戦勝祝賀会。略して祝賀会、あるいは戦勝宴。
軍功会で勝ったことにする筋書きが整ったあと、その筋書きを貴族たちの口に乗せるための場である。
つまり、私にとっては本日三戦目だ。
正直、逃げたい。
バラージュ家主催の宴くらいなら、誰かが酔っ払って多少粗相をしても、笑って許して終わりで済む。
だが、王家主催で、しかも戦勝祝賀会ともなれば話は別だ。
酔うわけにはいかない。
かといって、まったく呑まないわけにもいかない。
何だそれは。
拷問か。
「……諦めろ」
息子に言ったつもりだったが、半分以上は自分に言い聞かせていた。
息子は、まだ扉を見上げている。
そして、妙に真剣な顔で私を見た。
「でも、お父様」
「何だ」
「お父様の衣装は、正装ではないのでは?」
私は一瞬、息子の言葉を理解できなかった。
そして、次に自分の服を見下ろす。
濃い色の上衣に、家紋を控えめに入れた帯。儀礼剣も佩いている。
いわゆる男爵としての正装だ。少なくとも、裸で来たわけではないし、戦場帰りの煤けた服でもない。
「ちょっと待て。これは男爵の正装だぞ」
「そうなの?」
「そうだ。おまえの服も、公達用は本来もっと年長になってからだから、急ぎで仕立てた特注だ」
「でも」
息子は、少し困ったように首を傾げた。
「こないだ、お母様とお揃いの……」
「……それ以上言うな」
私は低い声で遮った。
息子がびくりと肩を震わせる。
すまん。
息子を怖がらせるつもりはなかった。
だが、それだけは認めるわけにはいかない。
あれは正装ではない。
少なくとも、男爵としての正装ではない。
命婦の衣装でもない。
いや、そもそも私は命婦ではない。
断じて違う。
……式典でも使える女男爵用略式礼装だったなんて間違っても言えない
「お父様?」
「いいか。今日の私は男爵だ」
「うん」
「女男爵《Baroness》でも命婦《Dame》ではない、いいね」
「……うん?」
「そこを間違えるんじゃないぞ」
息子は、真面目な顔で頷いた。
その頷き方が、むしろ分かっていない者の頷き方だった。
駄目だ。
この子の中でも、何かが固定され始めている。
戦場では共和国軍を相手にした。
軍功会では幕僚団を相手にした。
そして今、私は自分の息子の認識と戦っている。
勝てる気がしない。
☆ ● ☆ ● ☆
そんな勝ち目のない戦いをしているうちに、扉の前に控えていた儀典官が、こちらへ視線を向けた。
逃げ道は、ない。
いや、物理的には背後にある。
だが、ここで逃げたら、たぶん明日から私は命婦ではなく逃亡男爵になる。
それは避けたい。
「バラージュ男爵」
儀典官が、私に一礼する。
「鉄騎騎士団団長閣下」
続いて、息子に一礼した。
息子がびくりと背筋を伸ばす。
うん。分かる。
その呼び方は、本人より周囲の方が先に慣れていく類いのものだ。
やめてほしい。
儀典官が扉の前に立つ。
分厚い扉が、左右に開かれた。
「バラージュ男爵、ならびに鉄騎騎士団団長閣下、ご到着にございます」
声が広間に響いた。
その瞬間、ざわめきが少しだけ薄くなる。
私は息子と並び、宴会用広間へ足を踏み入れた。
☆ ● ☆ ● ☆
広い。
まず、そう思った。
天井は高く、壁には王家の紋章と、今回の戦勝を示すためだろう旗や布飾りが掛けられている。
副宮がカンチレバーを用いた張り出し構造のどこか圧のある空間だったのに対し、こちらはアーチ構造を利用した背の高い構造で、高い天井がもたらす威圧感が凄い。
灯火は惜しげもなく使われ、磨き込まれた床には光が揺れていた。
よく見ると蝋燭でなく、一瞬電気?と思ったが、光がやや青白いので、どうやらガスを使っているらしい。
油皿を並べるより安全なのだろうが、なかなか凝った仕組みだ。
更に配置されたガラスが上手く光をきらめかせている。
これだけでも、地方貴族なら確実に驚くだろう。
王宮というものは、人間に「自分は場違いだ」と思わせるために作られているのではないか。
そんなことを考えた直後、私の目は正面で止まった。
椅子があった。
いや、椅子そのものは当然ある。
問題は、そこに座っている人物である。
「きゃっ」
幼い娘が、正面の椅子に座っていた。
座っていた、というより、座らされていた。
小さな足をぷらぷらさせながら、なぜか妙に機嫌よく、近くの騎士団員に手を振っている。
その前には、銀の三段台のようなものが置かれていた。
どう見ても茶会用の菓子台である。
ただし、載っているのは芋だ。
揚げ芋。
薄切りにして揚げた芋。
蜜を絡めたらしい芋。
何かを練り込んで焼いた菓子。
さらに、魚の衣揚げらしきものと芋が一緒に並んでいる皿まである。
何だこれは。
いや、何だこれは、ではない。
見覚えはある。
見覚えはあるが、王宮の戦勝宴で三段台に載せて出すものではない。
そして、その横に我が妻がいた。
ヴィオラは、まるで自分の屋敷の茶会でも仕切っているかのように、平然と騎士団に指示を出していた。
「そちらは王妃陛下の席に近すぎます。もう少し下げてください」
「奥方様、これ以上下げると導線に引っかかりますぜ」
「では斜めに。王女殿下から見える位置には残してください」
「了解。おい、斜めだ。斜めに置け」
「斜めってどっちだよ」
「王女殿下から見える方だろ」
「だからどっちだ」
騎士団が、王宮の宴会用広間で、茶会用の三段台を運びながら揉めている。
戦場より混乱していないか、これ。
そして周囲の客たちは、完全に判断に困っていた。
王宮の戦勝祝賀会である。
すでに集まっている貴族、将校、文官たちは、当然それなりの礼儀と経験を持っている。
だが、正面の椅子に幼女が座り、騎士団が芋料理の台を運び、男爵夫人がそれを指揮している状況に、どう対応すればよいのかは、誰の儀礼教育にも含まれていなかったらしい。
ある者は微笑もうとして失敗している。
ある者は娘を王家の誰かと勘違いしかけて、隣の者に小声で確認している。
ある者は騎士団が運んでいる芋料理を見て、食べてよいものなのか、献上品なのか、儀式用なのか判断できずに固まっている。
分かる。
私にも分からない。
「お父様」
隣の息子が、小さな声で言った。
「妹が、すごく楽しそうです」
「そうだな」
☆ ● ☆ ● ☆
娘は、こちらに気づいたらしい。
ぱっと顔を輝かせ、椅子の上で体を揺らす。
「おとーさま!」
やめろ。
ここは王宮だ。
戦勝宴だ。
正面の椅子から父を呼ぶな。
周囲の視線が、一斉にこちらへ向いた。
私は、できる限り男爵らしい顔を作った。
作ったつもりだった。
内心では頭を抱えていた。
戦場では共和国軍がいた。
軍功会では幕僚団がいた。
そして戦勝宴では、娘がいた。
どうやら本日の最難関は、ここだったらしい。
次回は7月2日投稿予定です。




