52 ちょっと待ったをしに転生しました
席へ着くと、すぐに空気が変わった。
前回の軍功会では、もう少し前置きがあった気がする。
誰がどこに座り、どの家がどの列に並び、どの将がどの顔をしているのか。
そういう無駄とも儀礼ともつかない時間が、場を温めるように挟まれていた。
だが今回は違った。
軍功の対象は、実質的に二つしかない。
セレルナ男爵。
そして、バラージュ男爵家と鉄騎騎士団。
王国軍主力?
あれは、まあ、来た。
来たこと自体は事実だ。
ただし、来た時には共和国軍は既に退く準備を整え、王国軍前衛は勝手に崩れ、戦場の見出しはセレルナ男爵に奪われていた。
そういう細かいところを、今からどうやって綺麗な布で包むか。
それがこの場の主題である。
いや、違うな。
要はババ抜きのジョーカーの押し付け合い。
ほんと、戦が終わった後の方が面倒くさい。
王が着座する。
ざわめきが、すっと引いた。
前回と同じく、王の横には大臣がいる。
さらにその少し後ろには、儀礼を司る者、記録を取る者、武官、文官、そして妙に顔色の悪い幕僚団の一部が並んでいた。
セレルナ男爵は、私の斜め前にいる。
戦場で見た時ほど大きくは見えない。
いや、体は相変わらず大きい。
腹も出ているし、髭も立派だし、額もよく光っている。
だが、甲冑の上で名乗っていた時のような、城壁ごと背負っているような迫力はさすがにない。
それでも、目は逃げていなかった。
悪名を自分で名乗った男の目だ。
「では、始める」
王の声が落ちた。
その一言だけで、軍功会は始まった。
前回のように、あれこれと段取りを踏む余裕はないらしい。
いや、余裕がないというより、余計な前置きを入れると、誰かが余計な筋書きを差し込むと判断したのだろう。
そう思った瞬間だった。
一人の文官が、すっと立ち上がった。
歳は若くない。
だが、老いてもいない。
小柄な体躯に痩せた頬、いかにも真面目そうな目。
軍人ではない。貴族ではあるが、役所の帳簿と法文の中で生きてきた人間の顔だった。
領土を持たない、いわゆる、宮廷貴族。
その男が、深く頭を下げる。
「陛下。恐れながら、その……寝返り男爵に対して、疑義がございます」
来た。
思ったより早かった。
いや、早すぎる。
王の眉が、わずかに動いた。
「寝返り?」
思わず王が男爵の方に顔を向ける。
その声に、側近の一人がすぐに身を寄せる。
前回も、発言を確認しながら、随処で小声の進言をしていた。
「戦場で得た綽名にございます。セレルナ男爵が自ら名乗り、城兵もこれに続いたとの報告が上がっております」
「ほう」
王はセレルナ男爵へ視線を向けた。
男爵は顔を伏せたまま、しかし逃げる様子はない。
よし。
ここまでは想定内だ。
寝返り男爵。
こちらが戦場で先に旗に変えた名だ。
あれを公式に扱うなら、男爵の功にもなる。
だが、逆にその名を使えば、男爵が本当に寝返ろうとしたのではないか、という疑義も立てられる。
不安は、男爵に一度王が顔を向けたこと。
だから、ここが勝負どころになる。
文官は、もう一度頭を下げた。
「私は軍事には疎くございます。されど、彼は本当に共和国へ寝返ろうとしていたと聞き及んでおります」
副宮の空気が、わずかに硬くなった。
セレルナ男爵の肩が、ぴくりと動く。
だが、口は開かない。
開くな。
今は開くな。
その沈黙は悪くない。
王が、文官を見た。
「誠か?」
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
今のは、二つ目だ。
王は、おそらく一つ目の詰問だと思っている。
だが違う。
最初に「寝返り?」と問うた。
あれも、問いだ。
そして今、「誠か?」と重ねた。
つまり、すでに二度。
その時、幕僚団の一人が、待っていたように半歩前へ出た。
「確かに、セレルナ男爵は共和国の主力に向かって甲冑を進めました」
嘘ではない。
嘘ではないが、最悪の言い方だ。
男爵は共和国主力に向かって甲冑を進めた。
その通りだ。
ただし、寝返るためではない。
共和国の撤退線に一撃を刻むためだ。
戦場で“見逃していない”と示すためだ。
だが、今の言い方なら、まるで男爵が共和国側へ合流しようとしたようにも聞こえる。
そして、この流れなら次に王はこう言う。
――どういうことか、詳しく説明せよ。
それで三度目になる。
王の言葉は重い。
この国では、王が一度聞き、二度確かめ、三度目に口にしたことは、単なる疑問ではなくなる。
三度目の正直。
いや、正直どころではない。
王の無謬性を守るため、三度目に入った時点で、それは“王が正すべき疑義”になる。
誰が考えたのか知らないが、面倒くさいにも程がある。
そして、腹立たしいことに……
まさに私も、同じ手を使うつもりだった。
王が二度目だと思っているところで、実は三度目です、と告げる。
そのうえで、確定したこと以外は後日に回させる。
そうすれば、男爵が共和国へ一矢報いたことと、我々が補給を通したことだけを、今日の軍功として残せる。
だが、幕僚団は先にそれを仕掛けてきた。
男爵を責める方向で。
さすがと言うべきか。
性格が悪いと言うべきか。
たぶん両方だ。
王の唇が動く。
その前に、私は立ち上がっていた。
「お待ちください」
気がつくと、声を張り上げていた。
本来なら、冷静に考えるまでもなく、ここは低頭平身してやり過ごすのが正解のはずだ。
王の言葉を遮るなど、どう考えても褒められた行為ではない。
だが。
まさか狙っていた策を、先に仕掛けてくるとは。
さすがは幕僚団と言ったところか。
大臣の視線が、こちらへ向く。
「……王の言葉を遮るのが不敬なのは、知っておるな」
私は深く頭を下げた。
「存じております」
副宮の空気が、さらに重くなる。
息子が隣で息を呑んだ気配がした。
おい、見るな。
いや、見ておけ。
これが、余計なことを言うなと言った父親が、真っ先に余計なことを言う場面だ。
私は頭を下げたまま続けた。
「ただ、王が誤解なさる前にお知らせするのも、臣たる者の義務でございますので」
大臣の目が細くなった。
王は、しばし黙った。
そして、鷹揚に片手を上げる。
「良かろう。許す」
許された。
いや、許されたのか?
今の許可は、たぶん話してよいという意味だ。
助かったという意味ではない。
私は息を整えた。
「陛下は、これから話される言葉を、二度目と数えておられると思います」
王の眉が、わずかに上がる。
大臣の表情が変わった。
幕僚団の列に、小さなざわめきが走る。
やはりか。
「ですが……最初の詰問を数えることを忘れておられます」
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「陛下は、先ほど“寝返り?”とおたずねになられました」
王の目が、わずかに細くなる。
その場にいる者たちが、意味を理解し始めた。
文官の顔が青ざめる。
幕僚団の一部は、逆に表情を消した。
大臣が低く呟いた。
「……なるほど。『誤謬を正すは不敬に当たらず』か」
「恐れ入ります」
私はさらに頭を下げた。
「そして、かの文官殿も、大した御方です」
文官が、ぎょっとした顔をした。
王も、大臣も、いぶかしげにこちらを見る。
そこで私は、声の調子を少しだけ変えた。
「おそらく、共和国の間諜が惑わしたのでしょう。ですが、その者が文官殿を選んだということは、王の御前でも直言できる胆力と、王国への忠誠心を持っていると見極めた故の選択でしょうから。
まさに讒言侯ですな」
文官が、ぽかんと口を開けた。
実際に惑わしたのは、共和国ではない可能性が高い。
だが、この場でそれを言う必要はない。
「って、諌言です、諌言」
私は慌てて言い直す。
やばいやばい、文官、讒言って言われてぽかんとしたんだろな。
共和国の策に乗せられた。
そう言えば、文官は忠義を利用された被害者になる。
そして何より、幕僚団はこれ以上否定できない。
何か証拠が出ても、それは共和国の罠。
否定すれば、自分たちが仕掛けたと自白するようなものだ。
そしてそのまま王が肯定すれば、ここで当初の私の策が成立する訳だ。
……まあ、結果良ければ全てヨシだ。
王は、ゆっくりと頷いた。
いや、頷いたというより、首が大きく横へ揺れた。
この世界の肯定は、相変わらずわかりにくい。
やめろ。
こんな緊張した場面で、そこが気になるな、私。
「良かろう」
王の声が響いた。
「今日は、戦勝のみ語ろう。それ以外は、後日改める」
副宮の空気が、そこで一度ほどけた。
私は再び深々と頭を下げる。
助かった。
少なくとも、今日この場でセレルナ男爵が断罪される流れは断ち切れた。
男爵が共和国へ一矢報いたこと。
鉄騎騎士団が補給を通したこと。
城が落ちなかったこと。
今日残すべきものは、それでいい。
細かい責任の押し付け合いは、後でやればいい。
どうせ面倒で、後なんか二度と来ないのだから。
そう思って、私はようやく息を吐いた。
王が、文官へ視線を向ける。
「そなたも安心せよ。『誤謬を正すは不敬に当たらず』」
文官は、その場で膝をつきそうな勢いで頭を下げた。
そこで、王の視線がこちらに向いた。
嫌な予感しかしない。
「今後、如何なる場所においても、そなたと――
――騎士団団長たる嫡子に、諫言を許す。
励め」
……え?
私は、頭を下げた姿勢のまま固まった。
今、何と言った。
そなたと。
騎士団団長たる嫡子。
いや、待て。
誰が騎士団団長だ。
隣から、息子が小さく息を呑む音がした。
そして、キラキラした目でこちらに目を向ける。
ホンザたちの気配が、一斉に面白がる方向へ傾いた。
やめろ。
今、笑うな。
絶対に笑うな。
あと息子。その眼差しは心をえぐる。
私は心の中で叫んだ。
ほんと、どうしてこうなった。
次回、6/23予定です。
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