48 裏切りと叫ぶのを聞きに転生しました
私は城門の方角へ甲冑を向けた。
背から弩弓を引き抜き、改造した魔力擲弾を装着する。
以前使ったものよりも威力は抑えてある。代わりに、視認性と、魔力を介した音声の伝達を強化した。
早い話が、信号弾だ。
「男爵!」
弦が鳴る。
擲弾が朝靄を裂いて打ち上がり、白い尾を引いた。
次の瞬間、私の声が戦場の上を跳ねる。
槍のぶつかる音。
車輪の軋み。
怒号。悲鳴。甲冑の軋む音。
そのすべてを押し退けるように、私の声が城壁へ届いた。
「今!」
一瞬、城門の上で影が動いた。
続いて、重い門が軋みを上げる。
甲冑から身を乗り出すようにして、恰幅のいい男爵の姿が朝靄の中に浮かんだ。
恰幅が良いと言えば聞こえは良いが、はっきり言えば太っている。禿げている。髭は汗で頬に張り付いている。
だが、その姿は少しも滑稽ではなかった。
領民を飢えさせまいと、歯を食いしばってきた男。
裏切り者と呼ばれる未来を、それでも選びかけた男。
そして今、その悪名を、自分の名として引き受けようとしている男。
男爵が、大きく息を吸った。
その胸が膨らむ。
腹が前へ出る。
その体躯が、城壁の上で一回り大きく見えた。
次の瞬間、戦場に声が落ちた。
「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!」
その声は、ただ大きいだけではない。
腹から出ていた。
石壁に跳ね、城門に響き、乱れた王国軍の前衛を叩き、撤退する共和国軍の背中にまで届くような声だった。
「我こそは、セレルナが男爵!」
一拍。
男爵は、見得を切るように大きく顎を上げた。
「かの“悪代官”の系譜を継ぎし者なり!」
悪代官。
本来なら、罵倒だ。
だが、この国では違う。
かつて領民のために所領を守っり、それまでの悪名を一気にひっくり返した男。
“裏切りもの”亡き後を継いだ“猪突猛進”と“おべっかつかい”と並び称される、忠臣の一角。
四人のうち三人が揃えば王国領はさらに広がり、四人揃えば大陸すら統べたやもしれぬ――などと、酒場の講談師が大げさに語るにたる真の英傑。
能吏にして勇将。
その名を継ぐと言うことは、つまり。
男爵は胸を張った。
それまでの肥満体が、甲冑の上でさらに巨大化したように見えた。
かの“悪代官”もまた、敵をして大猪と言わしめた体躯だったという。
ならば、あの姿は醜さではない。
重さだ。
領地を背負う者の、重さだった。
「綽名を賜るならば、喜んで受けよう!」
男爵の声が、さらに太くなる。
「裏切りと呼ぶなら呼ぶがよい!
寝返りと罵るなら罵るがよい!
されど聞け、戦場に立つ者どもよ!」
城壁の兵が息を呑む。
共和国軍の一部まで、思わず振り返った。
「我が背には、飢えたる民の腹がある!
我が足下には、守るべき城がある!
我が名に泥を塗ることで民が生きるならば、その泥、喜んで浴びようぞ!」
そして男爵は、槍を掲げた。
「我こそが――」
一拍。
朝靄が流れる。
「悪代官の系譜を継ぎし、寝返り男爵なり!」
その名乗りは、戦場の中心に突き立った。
男爵は巨体を甲冑へ収める。
次の瞬間、甲冑が起動した。
重い音がした。
門が軋む音ではない。
城そのものが、腹を括った音だった。
男爵の甲冑が躍り出る。
見た目は鈍重だ。
洗練されているとは言い難い。
だが、その一歩は重い。
領民の腹と、城兵の命と、背負うべき悪名をまとめて載せた一歩だった。
「……やりやがった」
私は呆れたように呟いた。
だが同時に、口元は勝手に笑っていた。
ゲームでも、こんな場面は無かった。
それどころか、平家物語の名乗りより力強く肝に響き渡る。
まるで花道をしばらく!とやってくる鎌倉景政のようじゃ無いか。
あれは、自分の悪名で戦場を止めに来た男の見得だ。
ホンザが、腹の底から笑った。
「ははっ! いいじゃねぇか、寝返り男爵!」
ノルベルトが続ける。
「これで誰も忘れないな!」
テオドルすら、わずかに口元を緩めた。
「名乗った以上、もう蔑称ではありませんね」
ラヨッシュが短く言う。
「強い名だ」
その通りだった。
不名誉は、。
セレルナ男爵は今、自分に向けられるはずだった悪名を、戦場のど真ん中で旗に変えた。
◇ ★ ◇ ★ ◇
男爵の名乗りは、戦場を割った。
音が、消える。
槍のぶつかる音も、怒号も、甲冑の軋みも――一瞬だけ、止まった。
王国軍主力は、何が起きたのか理解できず、ただ硬直する。
幕僚団の旗の下に集まっていた将校たちは、言葉を失い、視線だけをさまよわせている。
共和国主力もまた、同じだった。
整然と撤退の線を保っていたはずの隊列が、わずかに揺らぐ。
誰もが、あの名乗りの意味を測りかねている。
――その中で。
「……来るぞ」
私だけが、動いた。
男爵の甲冑が、門を割って躍り出る。
その動きは、鈍重どころか――一直線だった。
まるでかつて“悪代官”が見せたと伝わる、あの突進そのままに。
前にあるものを踏み砕き、横を気にせず、ただ一点へ突き抜ける動き。
狙いは、共和国主力。
退きつつあった線の、もっとも整った芯だ。
「止めるぞ!」
カイルの声が飛ぶ。
親衛隊が反応する。
崩れかけていた線を一度引き締め、男爵の進路へ戻そうとする動き。
速い。
だが――遅い。
「遅いな、カイル」
私はすでに動いていた。
男爵の突進線と、カイルの再編線。
その“間”に割り込むように、斜めへ切り込む。
視界の端で、カイルの機体がわずかに動きを変えた。
守るように、半歩引く。
その後ろに、もう一機。
細身の甲冑。無駄のない構え。
だが、前に出ようとはしない。
常にカイルの一歩後ろで、線を支える位置にいる。
「……なるほど」
思わず呟いた。
カイルの守るべき対象。
副官か。
側近か。
それとも――
「恋人、か?」
口に出した瞬間、私は自分で首を振った。
そんな感傷で、この位置は取らない。
だが、優先順位としては明らかだ。
あれを抜けば、カイルの動きは確実に鈍る。
「っ!」
私は一気に踏み込んだ。
狙いはカイルではない。
その一歩後ろ――“守るべき位置”そのものだ。
甲冑が反応する。
槍が来る。
速い。
だが、私はさらに踏み込む。
剣を横に構え、その進路ごと押し潰す。
甲冑同士の距離が、一瞬で詰まった。
「……なるほど」
カイルの声が、わずかに楽しげに歪んだ。
「流石、命婦。噂通り、嫌らしい戦いをしてくる」
「まあね」
私は肩をすくめた。
「うるさい相手を黙らせるには、言い負かすより物理的に塞ぐのが手っ取り早い」
言いながら、さらに一歩踏み込む。
相手の機体が、わずかに後退する。
それで十分だ。
その一瞬で、カイルの進路がずれる。
「……行灯ならともかく」
私は視線だけでカイルを捉えた。
「探照燈は、昼でも眩しいからね」
カイルが、わずかに笑った気配がした。
「なるほど。光を遮るのではなく、位置を変えるか」
「そういうこと。真っ直ぐ照らされると、目障りで仕方ない」
◇ ★ ◇ ★ ◇
その間に――
男爵が、突き抜ける。
共和国主力の線に、重い衝撃が走った。
「――っ!」
遅れて、戦場が再び動き出す。
王国軍主力の一部が、ようやく我に返る。
だが、動きは鈍い。
彼らは見てしまった。
“寝返り男爵”が、自ら名乗り、敵陣へ突っ込むところを。
その意味を、まだ処理できていない。
幕僚団はなおさらだ。
信号弾の残響が、戦場全体に広がっている
本来なら届くはずのない距離へまで、声が通っていた。
王国主力の後方、さらにその外縁にまで。
だが――彼らはまだ、それに気づいていない。
「……使えるな、あれは」
私だけが、小さく呟いた。
だが、今はまだ、考えるよりも、動くべき時だ。
「ラヨッシュ! 押し込め!」
「任せろ!」
重い衝撃音とともに、さらに戦場が歪む。
私はカイルの進路を塞いだまま、男爵の突進が生んだ裂け目を見た。
あの一撃で、戦場の主体は変わった。
もちろん、戦局を変えたわけでは無い。
撤退を促進しても、蹴散らす事はできっこない。
だが。
この戦いの主役は、完全に変わった。
もう、幕僚団ではない。
カイルでもない。
――セレルナ男爵だ。




