第二十二話 擬く道外師二枚落ち
ぴたりと固まりついた目で私たちを捉えたかすみは、しばらくそのままこちらに貼り付けるような視線を送っていた。時間まで止まったような空白。橙色の目はびたりと動かない。冬の空気が私の首筋に突き刺さる。そのとき、かすみの頭が不意に傾き、血濡れの白んだロングヘアーが彼女の腰元で月の光に透き通って揺れ、彼女の肩が微かに上下した。かすみは猫のように軽やかに石畳を蹴って飛び出し、私がぎょっと鳥肌を立てる前に、私たちの数歩先に飛び上がり、夜の風景を背負って刀を振り上げていた。彼女に見下ろされた私は、自分の体が凍るのを感じた。足が。身体が動かない。そうやって自分が動けないのに気づいてから、私の中に、ほんとうに実感のある恐怖がぐありとこみ上げた。あと一瞬先に、血が吹き上がる。そんな現実的な感覚。間違いなく今、刀が私に向かって振り下ろされた──そう思った時、私のお腹に何か思っていたのとは違う痛みが叩き込まれる感じがした。私は夕ご飯が全部出てしまうんじゃないかというくらいの強い衝撃で後ろへと飛ばされながら、ぐらっと傾く風景の中で、足を後ろへ蹴り上げた市井の背中を見ていた。そしてまたぐるりと景色が回り、身体中に冷たい石段の角が刺さり、たたきつけるような痛みが何度も何度も走った後、私は下へと続く石段の灰色の風景の中で目を開けた。冷たくてざらざらした石の感触が頰に貼り付く。顔の下にある砂利のせいで、ほっぺがひりひりする。脳みそがついていかない。なにが起こったんだっけ? 自分が今どうなっているのか飲み込めない。打ったところの全部が痛い。口の中が、熱い。
「お前は退がってろ」
と降りかかってくる市井の声に、私は自分が市井に蹴飛ばされてここまで転がり落ちたのだとやっとわかった。お腹に居座る痛みに、私は海老みたいに丸まってしばらく石段の上に倒れていた。なんとか危なくないところに移動しようかと起き上がり、ふと石段の上を振り返った時、大きな壁が私の目の前に現れて、それが私に黒い影を落としていた。それが市井の背中だと分かったときには、私は石段の上で市井の体の下敷きになって悲鳴をあげていた。
「てめえ、なんで早く逃げねえんだ!」
と、こちらを振り返りすぐさま立ち上がった市井に文句を投げようとして、でもその怒った顔にはもう血が吹きかかっていた。だから私はお腹が寒くなって、喉から声は出てこない。と、なにもできず見上げていた市井の顔が、不意に横から現れた影に殴りつけられ、私の視界の中からその大きな身体ごと吹き飛ばされる。び、と風の音が私の耳に掠める。目の前を通り過ぎる一瞬、市井に連なる人影──かすみの横顔が、腰の引けて立ち上がれないままの私の目の中にほんの一瞬映り込んだ。さっきと変わらず静かなその目は、私の身を凍えさせるほど、ぶれることなくまっすぐに目の前の市井に狙いを据えていた。
かすみもろとも市井はそのまま下へと突き落とされ、市井が無我夢中でかすみの髪を掴む一瞬の映像が私の目に焼きついた。私の目はその一瞬一瞬を確かに捉えるのに、私の身体は動けないままだ。そんな私の身体を置き去りにして、そのままふたりは揉みくちゃになりながら石段の下へと転がり落ちていく。歯を食いしばった市井の顔と、彼に歯をむき出して摑みかかるかすみの喉が乾いてなる音。そしてそのとき、市井に不意をつかれたかすみは刀の一方を取り落とし、その刀は甲高い金属音を立てながら階段を滑り、私のいるところの数段下に放り出される。私は立ち上がろうと冷たく冷えきった石畳の上に手を尽く。私の目線の先ではもみ合ったままの二人が十段ほど下まで転がり落ちてやっと止まり、市井がすぐに自分の上に覆いかぶさるかすみを蹴り上げた。彼女の薄い体が市井の強い蹴りを受けて宙に浮いたとき、市井は素早く身をかわして彼女から距離をとろうとした。けれど、彼女は自分を蹴り上げた市井の足にしがみついて、右手に持った刀を振り上げ、市井の肩に力任せに突き立てた。人間離れした動物のようなかすみのその動きに、私は息を飲む。市井が痛みにうめき声を上げる。かすみが突き立てたその刀を抉るようにひねると、肉が潰れるような音がして、市井の喉が悲痛な響きに震える。かすみは市井の胸の上を足で踏みつけ、なおも、ぐり、ぐる、と刀で市井の肩を抉る。その光景に、私は恐ろしくてどうにかなりそうだった。冷たい冬の空気の中で、自分の心臓だけが場違いにどくどくと脈打っている。目の前で起きていることが現実だと思えない。けれどそのとき、私の目の前に広がる映画のスクリーンの中のような遠い光景の端に、銀色の輝きが映り込んだ。
***
少年に続いて横の男がこちらに一歩踏み出した時、俺にもついに真木が「逃げろ」と伝えたことの真意がついにわかったように思えた。例の「びりびりとした空気の震え」を俺の肌が捉え、死にたくなければ今すぐ逃げろと心臓の内側から恐怖心が波立って、俺の全身を自ら刺し殺さんとしているのだ。師走の夜気が肌を走り、音のない通りの中でしかし俺の耳はきんと冷えた空気の音を聞いているように思えた。俺が遠く響く夜の中で感じるものの全てが恐ろしい緊迫感となって俺の左胸を締め付ける。
「あれが、例の」
少年のまなざしに捕らえられ、目を背けられないままの俺は、横にいる真木とともにじりじりと後退しながら奴にそう問いかける。
「そうだ。……俺たちが、会っちゃならない」
舌打ちする真木になんとか横目で一瞥をやる。それからすぐさま戻した俺の目の先に、依然として居座る銃口の迷いのない硬質な色合いは、俺の心臓に冷えた鋼の爪を立てられるような痛みさえ覚えさせる。
「もう一人は俺も見たことがない。新顔かもしれない」
真木のその言葉に、俺は少年の横の眼鏡の男に目を移した。
「手強いな、あれは」
煙草を咥えたままの眼鏡の男は横目で俺たちに視線を送っているが、俺の例の勘が、戦うべき相手ではないと告げている。背筋が勝手に粟立つのがわかる。
「気取った眼鏡をかけてやがる……確かにあれも人殺し……」
俺が奴らの立ち姿に悪寒を覚えてぶるりと肩を震わせると、真木は困惑したように口を開いた。
「……眼鏡? 違う、俺が言ってる新顔は、あの『青いの』だ。あの『気取った』男は」
真木は「気取った」という言葉を皮肉のように俺の言葉の中から借用してわざわざ繰り返し、こう続けた。
「ここじゃ誰だって、強いと知っている」
真木がそう言い切ったか言切らないかといううちに、その「気取った」男が咥えたままの煙草をふっと手に取った。そして、その手を地面にかざすように上げる。身構える俺たちの視界の中で、男の手と地面との間の暗がりに、白いタバコの胴体がはら、と落ちていくのが、見えた。
その不穏な光景がもたらした俺の中の言いようのない危機感の仮説は、すぐさま俺たちの目に見える形となって証明された。煙草が地面に落ちきったか落ち切らないかといううちに、赤く白い光線が落下地点から吹き出し、蛇のようにうねり連なりながらくすんだ夜の空気を真っ二つに切り裂いて俺たちの方へと突進してくる。俺は「例の感覚」に導かれるまま夢中になって視界の左側へと飛び込んで、その炎の大蛇からすんでのところで身をかわした。大蛇は黒い塵を夜気に漂わせ、焦げた匂いを俺の鼻腔に残して、俺たちの背後に焼き消えた。しかし、間髪入れず背中からどっと押し寄せる熱風。受け身をとってそのまま起き上がっていた俺は、目眩を覚えながら耳の後ろに炎の爆ぜる音を聞いていた。数歩先に立ち上がる真木の横顔は赤い光に照らされている。あの気取り屋が放った炎の大蛇は、燃える赤い壁となって俺たちを逃すまいと背後に立ち上がり、猛烈なスピードで周囲の空気を暴力的に混ぜかえす。熱風に俺の背中へ汗が滲む。逃げ場がない。凍える冬の路上は、燃える闘技場と化していた。俺たちを囲った炎の蛇は俺の視界の左側を貪り食い尽くすように走っていき、少年の背中にも回り込んで繋がり、真円となった。少年もまた、炎の壁を負っている。
「もう一度聞いてやる」
脳がぐらぐらりと恐怖と不快の信号を出し続けて揺れる。その目眩の向こうに青コートの少年がいる。少年は、それから尚俺たちに語りかけた。
「お前らは、人間か?」
俺は口を覆いながらまともに息のできる場所を探していた。俺も真木も、少年の問いかけには答えない。あまりに真に迫ったその口調が語るのは、意味を持たない言葉の羅列だ。なぜなら、夜を閉じ込めたこの街で今息をしている者は皆、ひとでなしに他ならない。
「言い方を変えてやろう」
少年は相も変わらずこちらを睨みつけながら、拳銃を構え直した。
「お前らにとって、善とはなんだ?」
冷気と熱気が絶えず入り混じりぶつかって留まらない異様な空気の中で、俺の首筋に絶えず汗が流れていくのがわかる。少年の精悍とも形容されるような迷いのない顔から発された、あまりにも抽象的な問いに、俺は応答しないままじっと刀に手をかけて身構えていた。すると、要領を得ない一方的な会話に腹を立てたらしい少年は、嫌悪に顔を歪め、苛立たしげに息を吐いてから、もう一度口を開いた。
「こんな腐った肥溜めん中で、お前らがこき使われてまで守ろうとしているものは、なんだって聞いてんだよ」
少年の食らいつくような危うさを持ったその口上に、俺自身は口をつぐんだままでいた。しかし、視界の右で、真木は腰から刀を鞘ごと抜き取り、磨かれた白銀の刀身の面へと燃え盛る紅蓮を丹念に写し取るように、刀をゆっくりと引き抜いていく。その光景は、真木というひとでなしを、この舞台の中で確固として役者たらしめる気迫ともいうべきものを孕んでいるように思えた。冷と熱の混乱の中で、真木は確かにこう言った。
「俺自身の幸福だ」
鞘を投げ捨てた真木の返答を確かに受け取ったらしい少年は、一息嘲笑を漏らしてから、再び怒りのままに顔を歪め、口を開く。
「……『レプリカント』共が」
***
私は突き動かされるような胸の高鳴りのまま、いうことを聞かない足を無理やり立たせて数段下まで滑り降り、死に物狂いでそこに転がっていたかすみの刀の一方を掴んだ。柄についた血が私の手のひらに擦りついて移るのがわかる。両腕で持ち上げたその刀は、見た目よりもずっと重たい金属の塊だった。その重さに、私の腕の付け根が軋むような気がする。石段から引き抜くように持ち上げた切っ先がきりりと石に擦れて微かな音を立てる。その鋼の色は木の葉の間から差し込む月の光を跳ね返して、私の目のまっすぐ先で不気味にぎら、と輝いた。刀を自分のまっすぐ前に構えて立ち上がった私に、石段の上に横たわったままの市井が気づいた。いつものあの聡明な金色の瞳と目があう。その瞳は、私の手に握られた鋼のきらめきにも気づいていた。市井はその瞬間、切れ長のその目を見開き、ぎょっとするまま声を上げた。
「やめろ、やめろ!」
そのまま馬鹿野郎、と声を上げ続ける市井に気を取られて、かすみは私に気づいていない。私はますます早まっていく鼓動の隙間でなんとか浅く息をしながら、一歩、二歩と何かに背中を押されるような妙な感じを覚えながら、屁っ放り腰でおぼつかないまま歩き出した。石段を、慎重に、ひとつ、ひとつとがくりがくり震える足で降りて行く。
「冗談じゃねえ、お前は退がってろ! そんなもの、手に取るな!」
と私をまっすぐ見つめる血に濡れた顔の市井は、そのまま、
「お前は、何のために生かされたと思ってる!」
と叫び声を上げる。私は、必死に口を動かす市井がなんだか滑稽に見えてきていた。だんだんと、うるさく響いていた私の心音が聞こえなくなっていく。雷鳴が遠のいていく。風の音が聞こえない。私の視界の中で怒鳴るように口を開き続ける市井の声も、くぐもって、遠のいて、ついには消えてしまった。
「何のため?」
私のその声に、かすみの頭が一瞬こちらを向くのが見えた。不思議なくらい静まり返った私の頭の中に、別人のものみたいな私の声がはっきりと聞こえた。
「生きるためよ」
***
少年が発砲し、銃声が通りに響き渡ったのと、真木が刀を持たない左手を振り上げるのが見えたのが同じだった。月光を遮り落ちて来るかすかな影を合図にして、激しい金属の響きを立てて俺と真木の前に鋼鉄の盾が突き立ち、銃弾を受け止める鋭い音がする。真木がそのまま身を転ずると、俺たちをぐるりと取り囲む鋼鉄の陣が出来上がった。久方ぶりに見る真木の、異能。
「いいか?」
ぐり、と俺の方を振り返った真木は、迷いもなく俺の目を真っ直ぐに見つめている。
「勝つことが目的じゃない」
切羽詰まろうが真木の声音は冷静だ。
「今日ここでお前を失うのは口惜しい」
鋼鉄の盾の外で、炎が吹き上がる凶悪な音がする。
「お前が役に立つのは白兵戦だけだ。お前を使うのも、お前が死ぬのも、今じゃない」
真木の口上が進む間に、俺たちを囲うぐるりひとまわりの鋼鉄の盾は、中の俺たちを蒸し上げる鉄鍋と化していた。炎に熱されて込み上げる灼熱の中で、俺は息つく暇を探しながら、目前に迫った死の恐怖を飲み下そうとして、食い入るように真木の目を見つめる。
「だから」
不意に視界が開ける。酸素と冷気が微かに吹き入る。鋼鉄の盾が、俺の目の前にある一枚を残して跡形もなく消え去ったのだ。
「お前はそこで、耐えろ」
真木はそんな風にかっこつけた文句を置き土産に、刀を構え直した。
***
振り向いたかすみが市井の肩から抜き取った刀の先から、赤い血の色がほとばしるのが見えた。ぎっと回った首がこちらを向いて、橙色の目が再び私を射抜く。私は必死に刀の切っ先を上向けて、かすみの髪がこちらへ駆ける彼女の身体を追ってぶわりと舞い上がるのを確かに見ていた。そこからは、スローモーションの映画のように、彼女の動きの一つ一つが私の目に写り込んできた。刀の血を払い、裸足をしなやかに石段の上に触れさせて、髪の一筋をその鼻先にひっかけながら、彼女は震えて立ちつくす私に向けて刀をゆるりと振り上げ、音もなく飛び上がる。弧を描く刀の銀色が、私の視界を二つに分ける。それだけ全てが見えながら、私にできたのは、彼女の刀を受け止めるために重い刀を自分の前に構え続けることだけだった。
***
真木が地面に手をかざすと、そこに忽然として鉄柱の組み合わさった格子の土台が現れた。真木がそこに足をかけた瞬間、その隣にそれよりもひとつ高い別の土台が現れる。その土台は続いて次々と現れ、階段のようになって真木の行く先を示した。真木がさらに高く足を踏み出す度、一段高くなった格子が擦れるような金属音を立てながら次々と組み合わさって彼の足元を支え、足を離したそばから古いものはかき消えて行く。それが息をつく暇なく繰り返され、真木はまるで虚空を駆け上がって行くかのようだった。魔法のようなその光景に目を奪われながら、俺は真木の残していった盾を必死で支え続けていた。炎の壁は依然として周囲の空気を混ぜ返し俺たちの逃げ場を塞いでいるが、それ以上俺の方に迫ってくる様子もなく、少年はこちらにばかり矢鱈と発砲を続け、俺の迎撃を許さない。俺をここから動かしたくないとでも言わんばかりだ。真木のいう通り白兵戦が十八番の俺に出番はないんだろうが、何もできないってのは情けなくて仕方ない。
少年の射撃の腕は、俺から言わせてもらってもお粗末。まあ、この盾に当てられるんだから及第点だろう。このくらいなら俺のいつもの「勘」で避けきれんこともない。いっそここから飛び出して──そこまで考えてから、また己の皮膚のびりりと泡立つのを感じた。そうだ、今むやみやたらに切り込んでいっても、勝算が一切ないというのが、もはや「本能的に」わかる。それに、あの野郎の出方もわからない。思考を巡らす俺の視界の中に、真木の赤い髪の色がちらりと映り込む。
路上のあちこちに立ち上がる炎の柱の合間を縫って、鋼鉄の足場を組み上げては解いて虚空を駆け上がって行く真木は、渡ってきた足場の一部を残し、その足場同士が絡み合って真木の足の下に歪な金属の塔を形作っていた。鉄塔の頂点に立つ真木が、手を挙げ背をそらすのが見えた。そのとき、敵二人の上空から例の鋼鉄の矢が暗闇を切って地面へと容赦無く降り注ぐのが見えた。直後、金属が地面を叩く激しい音が俺の耳に届き、俺はその着弾を確かめようと身を乗り出す。しかし、そうして目を凝らしたとき、丁度気取り屋の炎が一段と高く燃えて、視界が赤く遮られた。それと同時に、地を這っていた炎の大蛇が瞬時に真木のいる鉄の塔を滑るように駆け上がり、真木の目前へと迫っているのが見え、俺は思わず奴の名前を叫んでいた。
***
叩き込む刀が私の持つ刀にきりりとぶつかり軋むような硬い音と、手首から腕、胴体へと伝わって行く痺れ。その生々しい感触が、私と彼女の間にずっとあった映画のスクリーンを取り払ってしまったみたいだった。現実の中の、私を傷つける、痛み。それでも私は震えていた自分の足で踏ん張って、彼女の剣撃をしっかりと受け止めた、けれど。まるで縋り付くように握っていた刀は、私の中でぬるりと纏わり付いた血で滑って、驚いた私が声をあげる暇もなく私の視界の右手へと私の手からこぼれ落ちるように緩やかに弾き飛ばされていった。私の刀を弾き飛ばし、かすみは屈んでいた姿勢からぐいと勢いよく頭を上げる。透き通る髪が弧を描いてくるりと彼女の背中にひと房ずつはらりはらりと落ちて行く。橙色の目元にまだかかるその髪の色が、ひどく可憐に見えて、私はその時、初めて彼女とお互いにまっすぐ目を合わせたように思った。自分が何をすることもできないという無力感で打ちのめされながら、けれど私は、目の前に広がるその光景をとても美しいもののように思ったんだ。そのとき彼女は、私にはほんとうに、ほんとうに突然に、私の頭が追いつけないほど突然に、怪物ではないものに見えた。だから、私がいっとき瞬きに目を閉じてもう一度目を開けた時、私の視界、私と彼女の間には、ぱらぱらと星のように白い小さな蕾が散っていた。
***
俺の声が届くよりも前に、真木は非常事態を察知していたらしい。歪な鉄塔の頂点にいた真木は、足元まで迫った炎から逃れるように、その塔の頂点から奴らの方へと虚空に身を、投げ出した。と思えば、例の鉄塔から新たな鋼鉄の枝が組みあがって、空にぎこちない弧を描きながら真木の足を受け止め、さらには奴が行く先の足場を形作って行く。ねじれながら一種の生物のように絶えず組み上がり敵の方へと真木の行く道を示し続ける足場と、迷いのない真木の足取りが俺の頭の上を越えて行くのを目で追いながら、俺は何やら気味の悪い感覚に苛まれていた。奴ら二人は真木が近づいて行こうがその場から退避する様子もない。真木だってそんなことは分かってる筈だ。真木は、飛び道具の奴らに向かって近接戦で勝負をつける気なわけで。
俺がぐるりぐると思考を回す間に、奴らの頭上に迫った真木が踏み出したさらに先で、連なっていた足場が途切れるのが見えた。月夜の空に黒くその交差を刻む鉄塔の影の先で、真木の影がひとつ離れてこぼれ落ちる。刀を振り上げ降下して行く真木の後ろで、歪な鉄塔がきし、と不快な音を立て、一斉にばら、と解ける。俺は思わず声を上げる。先ほどまで鉄塔を形作っていた鉄の柱たちが、今度は霧散せず、雨のように俺の頭上にまで降りかかってきたのだ。解けた鉄柱の群れは音もなく形を保ったまま互いに離れ、間も無く俺の方へも垂直落下してきた。無数の、黒い影。俺は例の鋼鉄の盾を死に物狂いで俺の上に傾けて、弾丸さながらの金属の豪雨の中、強烈で暴力的な音が降り注ぐのに懸命に耐え続ける。止まぬ弾雨。鋼鉄が落ち重なり突き刺さり合う甲高い無機質の音。やっとのその轟音の雨が止んだ時、俺は夢中で盾を自分の上へ押し上げ、敵へ一太刀浴びせんと落下した筈の真木の方へと首を振り向けた。
「真木!」
炎に歪められた路上の風景の中に、その輪郭を滲ませながら、石畳の冷たい路上の上、血の海の中に倒れこむ真木がいた。
***
きらきら輝く蕾の星々にぼうっと見惚れて、ほんとうに時が止まっていたのだと思う。色と形だけになった私と彼女の間に広がる世界の中で、彼女の瞳孔の形さえよく見えた。私に振りかざそうともう一度振り上げられる時の切っ先の尖った滑らかさ。それが纏う血の透明さ。月の白い色。そのとき戸惑うほどに綺麗な視界の中にするりと横から漂い流れ込んできた緑色の糸に、私はそのまま吊られるように目をやった。空中に浮かんでいるように見えたかすみ草の花に連なる細い若草色の茎。それが、収束するように一つにねじれまとまって、彼女の左胸に連なっていた。私は、何かに取り憑かれたみたいに自然に、あまりに自然な気持ちで、それに手を伸ばし、触れた。
***
路上に赤黒く広がる血だまりを目にした俺は、考え出すよりも前に炎の合間を縫って飛び出した。視界の左側から銃弾。俺は半ば無意識的に刀を抜き出して迫る銃弾を叩き落とし、倒れた真木のそばに屈み込むと、夢中で奴らの目前から奪い取るようにして真木の胴体を抱え上げ、そのでかい図体を引きずるようにして持ち去った。その足を引きずるように、他に何も考えず、がむしゃらに、俺は火の中をくぐり抜け、すり抜ける。
「おい」
鋼鉄の盾の裏に真木を投げ出して、それからやっと気がついた。真木は、手首から先を失くしていた。いや、正確に言えば、左腕が肘の手前まで消失し、右腕は手首の先からない。それだけではない、真木は足首から先もなく、果ては奴の左耳も、その一帯がバッサリと切り取られたかのように、まっすぐと断面を現して消失していた。どの断面も、芸術的なほどに、真っ直ぐ。
狼狽える俺を尻目に、真木は息を吸うように口を微かに動かして、定まり切らない目で俺の顔を見つめた。
「一か八かだったが、やはり、隠し球を持っていた……」
その弱々しい声音は普段の真木からあまりにかけ離れていて、俺は一瞬真木が喋っていると認められないほどだった。盾を背負いながら奴の方に屈み込むと、真木はぼうっと俺の頭の後ろあたりに視線をやりながら、また口を開く。
「『壁』が、あった……」
「喋るな」
自分の口から漏れる掠れた低い声は、俺の喉が熱気に焼け付き乾いていることを示していた。
「いいか、お前は……」
左耳のあった場所にばっくりと開いたなだらかな傷口から絶えず血を流しながら、真木は俺の忠告も聞かずなお言葉を続ける。それから手首を失ったその左腕を上げ、俺の首元を指す。俺は慄きながらその痛々しい腕を見つめ、それから奴の緑色の瞳を見つめ返していた。
「……『もたせろ』」
それから真木の腕が力なく地に落ち、構えていた盾の感覚が俺の左手から消えるのを感じた。俺たちに再び降り注ぐ紅蓮のいろ。弾雨のごとく降り注いだおびただしい数の鉄柱も、それと同時にかき消えていた。どうしようもなく立ち上がるしかなかった俺を、闘技場のあちこちに立ち上がる炎の柱の向こう側から見つめて、少年は、俺のことをまだ見つめていた。
***
手の中に収まる細い茎の束。私はそれをぎゅっと掴んで、自分のほうへと手繰り寄せる……と、私の目の前に広がっていた幻想的な景色は、見開かれた彼女の橙色の目の痛々しいその形に吹き飛んでしまった。がばりと開けられたかすみの口の中の赤い色と、苦痛に歪む少女の瞳。私はぎょっとしながらも茎の束を離さず、そのままぐっと手繰り寄せる。そうすると、彼女は益々くるしそうに身体をよじり、とうとうその手の中にあった刀を取り落として、左胸のあたりを押さえて耐えきれない様子で崩れ落ちる。左胸、私の手繰り寄せる、このかすみ草の蔓の先。彼女のドレスの黒い布の内側にまでめり込むように連なるこの茎の蔓は、彼女の心臓を丸ごと柔らかに覆っているかのように私には思えた。彼女は悲鳴を上げず、しかしなんとか息をしようっていうみたいに必死に口を開いて地面の上に跪いていた。と、そのとき、彼女の背後に立ち上がった影が、彼女を石段の下へと蹴り落とした。市井だ。
左胸をぐっと押さえたまま為すすべもなく転がり落ちる彼女に、私の手の中から蔦がするりとこぼれ落ちていき、私は思わず声を上げる。けれど、かすみは落ちた場所から素早く起き上がると、私たちから逃れようとするかのように、もつれる足をばたつかせながら、こちらを一度も振り返らず夜の街の暗い色のなかに溶けて消えた。呆然とした私は、それでもじっと彼女の去っていった夜の闇の色から目を逸らせないでいた。
「……終わったの?」
私の口から漏れた声は、あんまりにも泣きそうに震えていて、私はびっくりしてもう少しで笑ってしまいそうなくらいだった。
「お前、今何をしたんだ?」
私に向かって話しかける市井の顔を見て、私はずうっと張り詰めていた心が緩んで体が全部解けてしまいそうな気分になった。私は、その場にへたりこんだ。
「あの子の胸に繋がっていた絆を、手繰った……そう、私、ひとの絆に、触れて」
自分の目の前で手を握り、また広げてみる。雷の音が遠くからやっと聞こえてくる。自分の生きている本物の世界にとうとう戻ってきたような気がした。そういえば、と私はふと思った。
彼女の胸から伸びたあの絆は、誰に通じていたんだろう。
***
炎の裏側には、真木から切り離されて転がる手と足の残骸。それと、切断された真木の日本刀。その刀身が、あろうことか真っ二つになっている。俺はその異様な光景に身震いした。そして、グロテスクな残骸のさらに先には、こちらを見つめたままの敵二人。あいつらは結局、あそこから一歩も動いていない。
「なんだよ。思ったより歯ごたえがなかったな」
そう言ってつまらなそうな顔をした少年は、構えていた拳銃を下ろしてため息を吐く。
「こんなんじゃ、最初ッから焼き殺しゃよかったじゃん。俺たちの敵じゃない」
そう言った少年は隣にいる眼鏡のほうに目を遣る。眼鏡の男はなおもこちらを睨んでいたが、微かに口を開き、
「そうですね」
と、落ち着いた声音で喋った。
「もう、そうしようぜ。『殺しちまった』って言やぁいいんだ。別に、北崎だって怒んないだろ」
少年のその言葉に眼鏡の男は俯いてしばらく考えていた様子だったが、それからまた顔を上げて、
「ええ、そうしましょう」
と、俺の方に手を向けた。眼鏡の表に、炎の色が映り込んで照る。
「どうか、これを鎮魂と受け取っていただきたい」
***
石段を上った先には、ばらばらになった吉見の身体が今だに散らばっていた。けれど、さっきは胴体しかなかったところに、頭がくっついていた。私は市井の後ろからちらりちらりとその光景を見ないようにしつつ見ていたけれど、耳に入ってくる音は防ぎようがない。庭園のそこら中に撒き散らされた吉見の血と肉が、にち、にち、と音を立てながら胴体めがけてじわじわと這って近づいていくのだ。溢れた血の一滴も全て、ずり、ずり、と、吉見の心臓の位置をめがけて這ってくる。これが、このひとの「死なない」力……。
「だめなら目を閉じて耳を塞いでろ」
私の様子に気づいたらしい市井のその言葉に、私はなんだかムキになる。前にもそんなことを言われた気がする。
「いいわ。見てる……だって、こんなことで驚いてちゃ、ここで生きていけないもの……」
「まあそうだな。さっきも死にかけてたし……」
「あんただってそうだったじゃない。私が助けてあげたんでしょ!」
私がむっとしたまま地団太踏むと、市井はこちらに顔を向けないまま近くに落ちていた吉見の腕を拾って吉見の胴体の横に投げ出す。
「お前が足手まといじゃなきゃもっと早く片がついてた」
「なによその言い方!」
そのまま私がきゃんきゃん言っている間も、市井は切り離された吉見の身体を拾い集める。私はそこまでは流石にできなくて、むうっとしたままそこに立っていた。そうすると、吉見の胸が微かに上下し始め、口が開いた。息をしている。
「……すごい」
「これがひとでなしのその名の所以ってな。お前だってこれと同類なんだぜ?」
拾った吉見の足で私のことを指す市井。私は市井のその肩にさっきかすみに付けられた生々しい傷が残っているのを見て、はっとしたまま黙ってしまった。市井が痛がらないから忘れてしまっていた。私の視線に気づいて市井は、ああ、と声を漏らす。
「言ったことはなかったな」
と言って、市井は肩の血を拭う。
「俺は、自分の痛みを消すことができる」
え、と声を漏らす私を尻目に、かったるそうに市井はまた口を開いた。
「痛みがなくなるわけじゃない。麻酔みたいなもんだ。だがおかげで、痛みで失神してるうちにお陀仏なんてこともない。俺は片腕吹っ飛んでも平気で立っていられるからな」
市井の言葉が終わるか終わらないかといううちに、大きな息の音がした。吉見が喉の奥まで開くみたいに口を開けて、喘ぐように息をしている。
「でも」
という私の声に、吉見の方を見ていた市井はこちらを向く。
「『あれ』は、どうやったの……? あんた……」
私のそのおずおずとした問いかけに、市井は、なんだ、気づいていたのか、と意外そうに声を出す。私たちの足元で繋がっていく吉見の、血と肉の音。雷鳴はまだ止んでいない。
「……そうだ。俺にはもうひとつ、奇異の力がある」
***
眼鏡の気取り屋がこちらに差し向けて広げていた指をゆっくりと畳んでいくと、俺の背後で燃え上がる炎の壁が、じわりと俺と真木を取り囲むように収束する。じりじりと燃えながら迫る熱風に、俺は真木の胴体を抱え上げ、燃え盛る紅蓮の壁を一思いに打ち破ると決めた。火傷じゃ済まないが、ここにこのまま居れば、間違いなく、死ぬ。それが、俺にはわかる。
「ひとでなしは、皆、哀れ」
気取り屋の台詞が俺の耳に届き、俺がぐっと目を瞑って炎に真正面から身を乗りだろうとしたそのとき、上空の空気が、震えた、気がした。
***
先に帰っていろ、と市井に言われた私は、市井の部屋への帰り道を急いでいた。
「お前以上の大荷物だ。俺は荷物を二つも持って走れん」
あちこちに傷口を残しながら一通り繋がった吉見の裸からなんとなくきまずく目をそらして、私は市井の言うことをさっさと承諾して歩き出した。
「服を持ってきてやりゃよかったな」
とか言ってる市井を置いて、私は石段を駆け下りたのだった。
道々の途中でかすみに会わないようにと心の底から念じながら、私は今すぐみなみちゃんの顔を見たい気持ちになっていた。早く、安心できる場所で泣きたかった。
明かりもまばらな中央広場の近く、とにかく足を前へ前へと踏み出して肩越しに過ぎていく石組みの街並みを目の端に捉える。誰もいない、寒い街。けれど、いつどこでまたかすみに鉢合わせるかわからない。不安でどくりどくりと心臓の鼓動が速さを増していくのがわかる。耳が寒さにぴりりと切れそうなほど痛いのに、その凍った空気の中で、心臓は不安げに高鳴っている。だから、そのとき通りのどこかから声が聞こえてきたのに、私はびくりと背中を震わせて立ち止まってしまった。それから私は頼りなく灯る街灯の下にふらりと身を寄せる。
「なに……?」
独り言のように震える自分の声で、私はもっと不安になる。そのままレンガの壁に手をついた。通りはやっぱり静まり返っている。聞き違いだったのかもしれない。私、頭がおかしくなっているのかも。そうして不安なまま私がもう一度石畳の上に足を踏み出そうとしたとき、
「誰か、誰か!」
と、今度ははっきりと言葉になって小さな子供の声が聞こえてきた。
***
俺が空を見上げた時には、そこにはもはや何の形もなかった。月にうす青く開ける冬の空。
「随分派手にやったものだ」
そのとき意表をついて落ちてきた『少年じみた』声は、俺が振り返った一瞬後には俺の目の前に体を持って降り立ち、そこからぐらりと頭をもたげる。「うちの愚弟共が醜態を晒したようじゃないか」
炎の色を受けた髪の先が、透き通るように輝いている。場の空気を一挙に覆しさえするようなその飄々とした言動に、俺を含めて敵二人も動けぬままだった。闘技場に突如として現れた乱入者たる枇杷は、そのまま足を蹴り出すとまっすぐに少年の方へ駆け出す。
少年の顔が困惑と恐怖にゆがむのを他所に、枇杷は真木の手足の散らばった一帯を躊躇なく駆け抜ける。そうして枇杷は、気づけば少年の目の前、彼に手が届くところまで迫っていた。
「非礼を詫びて、」
枇杷は少年の胸元に指を突き立てている。
「後は僕が、直々にもてなそう」
枇杷の指が、不意をつかれた少年の胸に、不気味なほど抵抗もなく、するりとめり込んだ。
***
明らかに助けを呼んでいる、悲痛なその声の響きに、私は自分の中の不安なんて吹き飛んでしまい、震えていた足は声のするほうへと駆け出していた。
「この声」、この、「聞き覚えのある」、「懐かしい」、この声は。なおも誰かを、そして他ならぬ私のことを呼んで求めるその女の子の声を手繰るように角を曲がった時、その狭い路地には、なぜか、「人」が溢れかえっていた。そして、その人混みの中で絶えず声を上げ続けるのは。
「君!」
私が上げた声に気づいた少女は、あ、と泣きそうな声を漏らした。それは、この間私が表通りで会った、制服に追われていたあの女の子だった。彼女は私のことを覚えていたらしく、こちらにその小さな手を必死に伸ばす、けれど、その小さな身体は人混みに流されて、通りの奥へと逆らえずに押しやられていく。何もかもが理屈に合わないその光景に戸惑いながら、とにかく私は「彼女を助けなければいけない」という気持ちに迫られて人混みをかき分ける、と、私の背中が後ろからどっと押された。驚いて振り返ると、他の通りから新たに入ってきた人混みが、私の背中を前へ前へと押していたのだった。
「なんで、まだ夜が来てないのに」
思わずそう口に出しながら、私も女の子も、何の言葉も発さないくすんだ人混みに前へ前へと押しやられていく。そのとき不意に通りの先から眩しい光が私の額に差し込んで、私は思わずぎゅっと目を細める。ふらりふらり足の踏み場を探しながら、近づいていくその眩しさに、私は嫌な感じがした。言葉を発さないゾンビのような真人間の群れの中で、気持ちの悪い生臭さに顔をしかめ、身体を潰されそうになっていた私は、不意に、その圧から解放された。私はそのまま地べたに倒れこむ。強い光に照らされて、石畳の凸凹がいやにきつく私の目の前に刻まれている。
「やぁっと、捕まえた」
そのとき目前から聞こえた、聞き覚えのある「あの」涼やかな声に、私は自分の胃が掴まれたような、そんなお腹が寒くなるような気分に襲われた。その、声は。
地面に手をついた私が恐る恐る顔を上げていくと、私を押しやっていた人混みたちの足が私の左右に分かれていくのが見え、開けた石畳の広がりが見え、それが円形の広場であるのが見え、それから、女の子の震える足と、黒い制服をまとった足が、視界に入った。はっと息を吸う私の視線の先には、女の子の頰をさすって愛おしそうに目を細める美男子の顔があった。怯えてこわばった女の子の肩を抱き、その頰を包み込むようにして撫でさする北崎は、長い睫毛の下で瞬きをする。私はその表情の冷たい美しさにぞっとして、立ち上がろうとしてそうし損ねる。なんてひとに、会ってしまったの。かすみなんかよりも、ずっと、会ってはいけない相手。私が逃げ道を求めてやって来た通りを振り返った時、私がちょうどくぐって来たらしい入り口に、激しい音を立てて鉄の柱が落ちてくる。ぎょっと胸の前で手を組む私をよそに、その突き立つ鉄の柱を横から貫くようにして、幾つも柱が壁の両側から伸びてくる。夢の中のようなその光景の中で、交差した柱と柱はきいんきいんと高い音をたてて隙間を埋め合うように組み上がり、織物のように重なって、一枚の鉄の扉になった。私がぐるりと円形の広場を振り返ると、全ての出入り口がそんな風に塞がれてしまっているのだった。
「いい夜だね」
静かなその声は眩しい明かりを背負いながら冬の空気の流れに寄り添うように、ふるりと彼の口から解ける。北崎の白手袋の甲でその頰をさすられ、どうしようもなく立ち尽くす女の子は、寄る辺もなくて私の目を一心不乱に見つめ続けている。
「君をここに遣わした、その運命に感謝をしよう」
北崎はそこで、女の子から目を挙げて、私のことをまっすぐに見つめる。完成された支配者のひとみ。
「さあ、雑事は他の三流に任せて、我々は『本物』だけで話をしようじゃないか」
北崎が背負う光の向こうに、こちらに視線を送る優男と女の制服の姿が見え、そしてその後ろには、円形の広場をぐるりと囲む真人間たちの群れが壁となって立ち上がっていた。
まぶしい光に頰の焦げるような思いで、私はいつかの市井の言葉を思い出していた。鮮明によみがえる、「同じ場所」で起こったあのシーン。美男子は私の視線の先、煌々と照るスポットライトの下で一流の舞台役者のように商品のようなその微笑みを振りまき続ける。記憶の中の緊迫した顔つきの市井が、今たったひとりで強敵の前に立ちつくす私の方へと屈み込む。
「あいつがいては、こっちに勝ち目はない」
と。




