第二十一話 兎角虎狼な王者の生贄
遠くに雷鳴を聞く夜空の下で、娼館の戸口には女がひとり立っていた。黒いコートの女は縁の分厚い眼鏡の奥からおずおずと目をあげ、まっすぐ手を上げて通書を差し出した。
「『狩り』の通達をいたしに参りました」
いぶかしげに眉を寄せる朱色の目の女は通書を受け取って手早く蝋の封を開け、中身の紙面に目を走らせる。目の前に踊る文字に、朱色のその瞳ははますます困惑に歪められた。
「それと……検校様からご伝言です」
その言葉に弾かれたように目をあげると、そこには、かの検校のごとく曇りのない目がずけずけと居座っていた。
「『致し方ないとはいえ、ごめんなさい』と」
「この世の全ての不幸は、人間が部屋でじっとしていられないから起こるんだよ」
僕の言葉に、彼女はティーカップを手にしてちょっと首を傾げた。書架の合間のテーブルについた彼女の空色の瞳に、ランタンの焔が映り込む。彼女の瞳って地球みたいだな。彼女は少女らしい顔で唇をつんと尖らせている。
「それは、あなたの言葉ですか?」
僕はびっくりして背を震わせ、なんだかいたたまれなくなって肩をすくめる。
「いいや……でも、そうだね。これはもう僕の言葉かもしれない。ひとが発した言葉というのは、厳密に言えば、発した瞬間にそのひとの言葉ではなくなるからね。そうだ、僕の言葉は、もとの誰かの意志をどこか受け継ぎながらも、もう元の言葉とは違っている」
「……そうですね」
聡明な彼女は、僕の長ったらしいナルシズムめいた台詞を一遍で理解したようだった。
「ともかく、だ。これから、王様の暇つぶしがはじまるんだよ。お二方」
僕のその言葉に、机の向こう側で黙々仕事をしていた彼も顔をあげる。
「暇つぶしは幸福をもたらすっていう話?」
彼の問いかけに僕は苦笑した。
「不幸は不幸を生むだけさ」
僕は書架の上で足を組み直す。
「掃き溜めは、幸福を生み出す装置じゃない」
あなたには、彼らから全部説明してくれるに違いない。さあ、求められる以上の饒舌は悪徳! 愚か者の言葉の終わりはただの狂気に過ぎないのだ! だから僕は、ここではもう黙して背景になろうと思うんだな。
それはとても突然だったから、私はびっくりしてお茶碗を放り出してしまった。市井とみなみちゃんと私がちゃぶだいを囲んでいるところにあまりにも乱暴にドアを叩く音が打ち付けて、私はいっそむかむかしながら立ち上がって玄関のドアを荒っぽく開けた、そのとき、何かがどっと私の方に倒れかかって来た。
グレーの髪が私の首元にべたりと貼り付いて、剥がれる。私の胸にどっと倒れ込んだ吉見の妹は、真っ赤な傷口の走った首元を私に見せつけでもするかのように頭をあげ、今にも意識の飛びそうなその目を私の鼻のあたりに向けた。彼女の開いた口元がぽかりと開いて、乾いた声が漏れてくる。あ、の形に開いた彼女の口に私の目は釘付けになって、私は息をするのを忘れていた。
「兄貴を、たすけて」
揺り動かされて目を覚ました時、ちょうど、どこか遠くで雷が低く唸る音がした。目を開ける。俺をまっすぐ睨みつける朱色の瞳が一対、俺の視界の中央に居座っている。それから、いつものように涼しい声が鳴った。
「緊急事態」
俺はすぐさま洋間に降りるが、そこには身支度もそこそこに役者連中が皆集合していた。
「さて、どうするか」
口元に手を当てた枇杷も上着を羽織らず、ズボンを吊り上げるサスペンダーを露わにしたまま自分の席についている。どたどたと洋間に入ってきた俺をふいと一瞥するがそれだけだ。昨日の部屋での俺との一件など、まるでなかったかのような顔をしている。
「あのおてんばは今うちにいないの?」
枇杷のその言葉に、ガウンを着て肘掛けに寄りかかる椿はかぶりを振った。
「そうか……あれがいれば随分楽になるんだけど……」
おてんばというのは亜のことだろう。ふた月前にやってきたあの娘を、俺たちはうまく内側にとりこんでとりものに遣わした。高峯と子供の絆が見えるあの娘は大活躍し、結果は二連勝。高峯は上機嫌で、かつて自分が殺しかけたのを忘れちまったかのようにあの娘をねこっ可愛がりするようになった。普段は茜の下で働かせ、とりもののときは使えるよう手元に置いていたが、「緊急事態」の今日まではあれを囲っておけなかったらしい。あの娘を探してるってことは、また人探しが今日の仕事か。そのとき、ネクタイをつける間もなかったと見える真木は、いつもよりずいぶんとラフな格好のまま自分の席から枇杷に向かって口を開く。
「呼びに行くか?」
枇杷は自分の目の前を見つめたまま
「あの子がおとなしく部屋にいるかね」
と口に出すので、真木はため息をついて
「考えにくい」
と短く返す。
「もう街に出ているかもしない」
枇杷の言葉に椿はため息をつく。
「そうかもね」
「僕らで直接街の中を探した方が早そうだ」
それから枇杷が深く息を吐く音がした。
「手分けしたほうがいい。……が、北崎たちも黙っちゃいないだろうな」
そう言う真木の静かな声と対照的に、枇杷の声音はあからさまに苛立っている。
「あいつも今回ばかりは出し惜しみしまいね。こないだは出てこなかったやつらも必ず出してくる」
枇杷は神経質そうに自分の下唇をいじる。
「『あれ』に出てこられると厄介だ……僕とどうも相性が悪い……」
枇杷がそう口に出すと、真木が深刻そうに口を引き結ぶ。そこで椿がついと口を開いた。
「あたしが枇杷と一緒に行く。あたしが『あのひと』を『絞め殺す』」
目の前を飛び交う二、三歩先の会話に、俺は素直に自分の負けを認めることにした。つまり、さっぱりわからないと表明することにしたわけだ。尚も会話を続ける三人にの間に割って入るように、俺は強めに声を上げる。
「俺は何をすりゃあいい?」
俺の言葉に枇杷と椿が冷たくこちらを見遣るが、真木は温度のない目をこちらにやって、
「俺と来い」
と短く答える。俺はそのまま頷いた。何も考えずに従やいいわけだ。いつも通りだな。俺の目の先で枇杷が目を伏し、組んだ自分の両手に口元を寄せている。その手に齧り付かんばかりにむき出した歯をがちがちと言わせる枇杷は、さりながらその顔に仕事のようなあの愛想笑いを取り戻そうとしてそうし損ね、挙げ句の果てに「あの」野犬のような気味の悪い笑みを浮かべていた。わななく口から半笑いのように震えた声が漏れる。
「全く、腹が立つよ」
そのとき廊下から女の大声と騒がしい足音がして、洋間にいた全員が戸口のほうを見遣った。なおもしばらくどたばたと音を立てて戸口に現れたのは、茜に支えられてよろめきながら寝床から這い出してきた高峯である。顔を見るのは随分久しいように思うが、青白く、見るからにやつれた顔には薄く頬骨が浮き、しかしその中で両のまなこは不釣り合いにぎらぎらと光っている。その腕の支えから逃れようとでもするかのように茜を払いのけようと身をよじる高峯を、茜は必死ですがりついているかのように支え続けている。高峯は頭を揺らし、立っているだけでも息を切らしながらその病身の骨から声を張り上げる。
「あの子を必ず……かならず、生きて連れ戻して頂戴!」
胸元を血で真っ赤に染めた吉見の妹からなんとか話を聞き出した私たちは、ほんの少し前、この掃き溜めの中で「狩り」が始まった、ということを知った。吉見のことをみなみちゃんに任せた私たちはすぐさま部屋を出、吉見兄妹を結ぶ絆を辿って兄の元へと人気のない街の中を走って行く。屋台が片付けられ、真人間もいなくなった午前七時の表通りは夜の間より随分寒々しく思えた。
「『狩り』っていうのもここの恒例行事なの?」
私の横を走る市井に向かってやや大きめに声を張ると、市井はなんとも言えない顔をして、
「いや……だが、こういうきまぐれが『あの女』の十八番でな」
と、言葉の終わりを濁す。
私たちが吉見から聞いた話はこうだ。中央広場で裁判所が「勅令」を出すのを吉見たちは聞いていた。その勅令は、ある「ひとでなし」の首を裁判所まで持ち込んだ者に賞金を出す、というものだった。吉見たちが見ている前で十夜は華に命令して、傍にあった麻袋を開かせた。そうすると、中からは女がひとり転がり出てきた。そのひとでなしの名前は、
「『かすみ』、だったっけ」
吉見から聞いたその名前を思い出す私に、
「ああ、華屋の娼婦だ。裁判所の地下に拘留されていた」
と市井は答える。吉見の目の前で縄を解かれ、そのひとでなしは放された。先ほど始まったらしい「狩り」という催し物の当の獲物は、その「かすみ」なのである。けれど吉見は、狩らなければいけないその獲物に逆に襲われてしまったということらしい。
「あれは『怪物』だ」
吐き捨てるようにそう言った市井の横顔を見て、私はますます不安に胸がざわついた。
「本物の怪物……あれは出会った者を片端から切り刻む」
市井の言葉に私は息を飲んだ。絆をたどって私たちは次の角を横道に入る。
「あれはひとでなしの中でも、かなり厄介でな」
「なんでそんなひとを……」
私は息を切らしながらなんとか声を出すけれど、片手に自分の獲物の斧まで抱えたまま走っているのに市井は平気そうな顔だ。市井はすぐさま口を開いた。
「だから牢にぶち込まれていた。華屋も手を焼いてな。持て余した怪物をあの牢獄に預からせていたんだよ。華屋と裁判所はそういう契約だった」
建物の影がかかって市井の表情が見えなくなる。
「あの女、契約を破りやがったんだ。高峯はカンカンだろうな」
見える絆はまた先の曲がり角に消えている。
「私たち、間に合うの……? もし吉見が死んじゃってたら……」
「あいつは死なん」
きっぱりとそう言い切る市井に戸惑いながら、私は肺がつらくなってきたのを感じていた。足もだるい。市井に声をかけて次の通りを角を左に折れる。だいぶ狭い路地に入ってしまった。
「死なないのがあいつの、あいつらの異能だ。木っ端微塵になってもほっとけば奴らはもとの身体に戻る」
そのとき私は、いつか吉見が「いざとなったら俺が盾になってやるから安心しろ」とにやっと笑ったのを思い出して胸がぐっと痛くなった。そういうことだったんだ。
「そして、死なんからあの怪物に永遠に刻まれ続ける。動くものが動かなくなるまであれは切り続けるんだ。そういうタチの悪い化け物なんだよ。あれは」
そこで市井は、なあ、と私の顔を見る。
「もうちっと早く走れねえか」
「……これで精一杯っ」
私の声は途切れる。
「そうかよ」
そう返事をした市井は私の腕をぐっと掴んで自分の方に引き寄せる。わっと声をあげた私のお腹に乱暴に手を回して、市井は私を小包みたいに脇に抱えた。
「こっちで合ってんだよな?」
声を張り上げる市井に、私はお腹を押されて夕飯をもどしそうになりながら目の前に伸びたアセビの花の連なる絆を確かめて、
「うん!」
と返事をした。
慌ただしく出発の用意をした俺が華屋の表に出ると、そこにはいつもと随分雰囲気の違う椿が立っていた。いつもの品のない着物風のドレスを脱ぎ捨てた椿は、茜の普段着ているようなスーツに身を包んでいる。こいつが枇杷と一緒に行くとか言ってたっけな。
「そっか、お前も出るのか」
と声をかける俺を一瞥して、
「あたしは茜とは違ってね」
と冷たく言い放つ椿は、上げた髪を丹念にピンで止めている。戦えるんだな、こいつ。そんな風に考えながら俺がじろじろとその顔を見ていると、
「あんまり見ないで。化粧もろくにできなかったんだから」
と、椿は顔を背けた。そうするとすぐに後ろから別の足音が聞こえてくる。枇杷と真木がいつものコートを羽織って出てきたところだった。枇杷はすぐさま椿の横に歩を進めると、俺と真木に向き直った。
「もし、『あいつ』に出くわしても、決して相手をしないこと。逃げて、できれば僕らのとこまで連れて来い。いいね?」
「わかった」
と、すぐさま返事をした真木に続いて俺が
「ああ」
とぎこちなく返すと、枇杷はすぐに椿を従えて走り去った。恐ろしく、早く。それを見ていた俺の背中を強く叩いた真木は、
「行くぞ」
と短く声をかけ、すぐさま俺たちも華屋を後にした。
「あいつには家長のような自負があるらしくてな」
見晴らしの良いところを求めて屋根の上に上がった俺たちは、師走の凍った風に吹かれながら瓦の上を歩いていた。真木は俺の方を振り返らず不意に話し出して、俺はうんともすんとも言えずに話をただ聞くのみだ。
「かすみのこともかなり気にかけていた」
ここに来るまでの間に件の狩りの獲物である「かすみ」とかいう女が華屋のひとでなしだということを俺は聞いていた。
「枇杷はかすみのことを妹か何かだと思っている。それを殺せというんだから、あんなに怒っても道理ってわけだ」
そこまで話した真木が隣の屋根に飛び移るので、俺も後を追った。
「でも、高峯さんは生きて連れもどせ、つってなかったか?」
「あれを生け捕りにするのは無理だ」
真木ははっきりとそう言い放ち、俺に背を向けたままの真木が吐いた白い息が、奴の肩越しに闇の中へとかき消えて行くのが見えた。真木が深く息を吸う音がする。
「巷じゃお前も『狂犬』なんて言われていい気になっているようだが、お前なんていいとこ『狂人』だ」
真木の声はそこで冗談を言うように少し上ずって、笑いそうな雰囲気さえあったが、その次の瞬間にはそういった微笑じみたものも鳴りを潜めていた。
「あれは本物の『狂犬』なんだからな」
真木の言うことにはいろいろ文句をつけるところがあったが、口喧嘩なんかしたってしょうがないので俺は黙っていた。それに、真木がまだなにか話しそうな雰囲気があったんだ。そして俺の目論見通り、真木は話を続けた。
「枇杷も、よくわかってる……あれは最初から自分で──どうせ殺すなら自分のその手で──妹の首を刈るつもりで華屋を出たんだろ。あいつは理想を抱かないやつだからな。物事の次第というのを頭に入れてから動く」
聡明な人間だ、とそう付け加え、真木が瓦屋根の端で立ち尽くした。朝を迎えて真人間のいなくなった掃き溜めは、俺たちひとでなしだけで埋めるには広すぎる。俺たちの前に広がる寒色の冷たく硬い景色には、人間の温度というものが有りえなかった。
「かすみは必ず騒ぎを起こす……」
と、真木は常套句のようなその台詞をまたもや吐くが、しんと静まり返った街の中にひとでなし一匹の声など響くこともなく、この醜悪な玩具箱のどこかに吸い込まれるだけだ。屋根にあがったのも真木がそう言ったからだった。しかし、お前の作戦、どうもうまくいってないぜ。
「上から見てもわかんねえな」
と、俺が降参するように声を上げると、真木は屋根の上にだるそうにしゃがみこんでから勢いをつけてもう一度立ち上がる。
「……降りるか」
「まだ着かねえか」
とじれったそうな市井の声に、私は必死で目の先に見える絆を追う。
「まだ絆が続いてるのよ」
「……くそったれ」
市井の言葉はどこか悔しそうで、普段はあんまりなあしらいをしている吉見のことを、このひとも案外仲のいい友達だと思っているのかもなんて、こんな状況なのに私は想像してしまう。するとそのとき、絆がまた私の視界の先で突き当たりの右に消えているのに気づく。
「次、右に曲がって!」
私の合図に従って角を曲がった市井は、すぐさま足を止めた。
「ここは」
と市井が思わず、という感じで声をこぼし、抱えていた私を下ろす。私が顔を上げると、私たちは中央広場に近い和風庭園の入り口に着いていた。路地裏を抜けているうちに結局たどりついたのがこんなところだったなんて。絆は木々に両側を挟まれた石段の上へと続いている。黒い木々がざわざわと揺れ、どこかで雷の音がする。風が湿っていて、今にも雨が降りそうな感じがする。耐えられない気味の悪さに、私は市井の袖をそっと掴んだ。
「この奥だな」
と、市井はすぐさま石段を登り出し、私も金魚の糞みたいに市井にくっついて恐る恐る登って行く。灯篭の明かりが消えた庭園には、木々の隙間から頼りない月光が差し込むだけで、気を抜けば石段を踏み外しそうなほど暗い。木の葉の擦れる音が得体の知れないの生き物の囁きみたいに私の背中にかかってくる。一段一段登るたびに、白い光に照らされた庭園が私の視界へと降りて来る。そのとき、私のおぼつかない足元が、何かをぐにゃりと踏みつけた。私は気持ちの悪い感触にひっと息を飲み、すぐさま市井の袖を離して横に飛び退いた。なにか、動物の。自分の踏んだものにじっと目をこらすと、それが私の視界の中でだんだんと輪郭を現し始める。木々の黒い影と月の白光が揺れながらその面に映し出される。じっとりとした風が吹いている。私の目にとうとう意味を持って浮かび上がったのは、人間の腕だった。
私は叫び出しそうになりながら、その一方で息が詰まって、胸がぎゅうっと締め付けられるのを覚えながら後ずさって尻餅をついた。助けを求めるように先を歩く市井のほうを見上げる。
「いちい、腕、うでが」
と、まともに喋れない掠れた声の私のことを置いて、市井はもう石段の一番上まで登って、そこで立ち尽くしていた。私は泣きそうになって、落ちている腕を避けながら、這うようにして市井のいるところまで石段を上がっていった。そうして、私の視界の中に、庭園の全てが映り込んだ。
おびただしい血と、そこらじゅうに散らばったの肉の塊。もう声も出ない私はその場にしゃがみこみ、信じられないほど酷いその光景に息も止まるような心地になった。そして、私に見えるその酷すぎる景色の真ん中で、肉の塊のひとつにかぶりつくようにして屈み込み、その手に持った二本の刀を振り下ろし続ける人影がひとつうごめていいる。血の匂いに吐き戻しそうになりながら口元を覆う私を庇うように手を挙げ、市井はその人影に向かって、
「おい」
と怒鳴った。ぐちぐちと嫌な音を立てて、吉見の胴体らしいものを両手の刀で抉っていたその人影は、市井の声にぴくりと反応する。やがて屈んでいたその人影は頭をもたげ、ぺたぺたと裸足の足音を立てて、ゆっくりとこちらを向いた。
白い月光の下でついに私たちの前にその正体をはっきりと示したのは、ぼろぼろの黒いドレスを身に纏った女の子だった。こちらに向き直った彼女は、陶器のように不気味に青白い顔の中の橙色の目で、私たちを気持ちの悪いくらい正確に見つめている。作り物のように表情のないその顔は血に塗れ、薄い金のロングにも赤黒い血がべったりとこびりついて、色素の薄い彼女の頭に色をつけていた。彼女の持つ刀が吉見の胴体から引き抜かれて、石畳の上に金属の音を立てて擦れる。月のほか光のないこの街の中で、彼女は背景から浮き上がって異質のものみたいに私の視界の中に立ちあがっていた。市井の声が聞こえる。
「言った通りの怪物だろう」
屋根を降り、俺たちは大通りをくまなく練り歩くことにした。この掃き溜めには、整備された道路がその全土くまなく走っているから、メインを外さなければ必ず騒ぎに行き当たる、というのが真木の主張だ。まあ、信じてやろう。俺に策もないし。通りの先の音を聞きながら、俺たちは掃き溜めの西部の通りを歩いていた。まだなにも聞こえない。真木が苛立たしげに息を吐く音がする。が、そのとき、明かりも落ちて寂れたねずみ色の通りで、俺は確かに真木のものではない他の息の音を聞いて、歩みを止めた。真木も同じように立ち止まる。ワンブロック先、何かがいる。月光が舞台上のライトのようにちょうど差し込むその壁際では、ちょうど、細身の男が寄りかかっていた壁から身を離すところだった。すらりと背の高いインテリじみた細い眼鏡をかけた男。その男は手に持っていた煙草の箱から一本を取り出して、そのままそれを口元に持っていく。と、その煙草の先がひとりでに紅く色づき、にわかに煙を上げ出した。そして、その男の一歩後ろで、青いコートに身を包んだ少年もまた、俺たちのことをじいっと睨みつけていた。それら二つの影は、まるで「最初からそこで待っていたかのように」俺たちの行く手に佇んでいたように思えて、俺はその奇妙な感覚に不快な汗が背に滲むのを感じていた。真木が息を飲む音がする。少年がこちらに一歩踏み出した。
「お前らは人間か?」
少年のその声は淡々とした口調で発せられながらも、その内側に耐え難い怒りを込めているような気配があった。少年の声は、無意味であるはずのその問いを、意味たらしめるだけの力や切実さを確かに持っている。少年は懐から何かを取り出し、こちらに掲げる。目を凝らさずとも、次の瞬間にはそれが拳銃であることが俺にもわかった。こちらに銃口を向けたそいつの一対の青い目が、俺のことをはっきりと見つめている。真木が刀に手をかけながら後ずさって俺の肩に触れる。つまり、俺に「逃げろ」と言っている。俺は驚きながら目の先のふたつの影を、そしてまた掠れて怒りに震える声を絞り出す少年の目を見ていた。
「それとも『ひとではないもの』か?」




