6.ユメかウツツか
「うわあああ――――――――――――!」
俺の悲鳴が、俺の耳をつんざく。
「キャアアア――――――――――――!」
「キャアアア――――――――――――!」
オカンと百合香の悲鳴が、俺の悲鳴に重なる。狭い車内に、悲鳴の渦が巻き起こる。
目の前の光が、あまりにも唐突に遮断され、俺たちは、真っ暗闇の中にいた。
ハンドルを右に切って公道に出た途端、いや、公道に出る前だったかもしれない、とにかく、車を発進させた直後の出来事だった。
突然、真っ暗のトンネルに突っ込んだかのように、俺たちは闇に包まれた。
パニック状態になって、悲鳴を上げ続ける俺たち。
やがて、その悲鳴が、疑問の連呼に変わる。
「何?」
「これは何?」
「何が起きたん?」
「何で真っ暗なん?」
「いったい、どうなってるん?」
「これは何?」
「なんで見えへんの?」
「何がどうなったん?」
そうしている間に、暗闇に目が慣れてきたのか、それともどこかに明かりがついたのか、ほんのわずか、車内の様子が見えてきた。
俺は、助手席のオカンに、後部座席の百合香に目をやる。たしかに二人がそこにいることを確認して、前に目を向けたとき、俺は、光の源に気づいた。
それは、信じられない光景だった。カローラの車体が、光を放っていたのだ。真っ暗の闇に、淡い光を放って、シルバーのボンネットが浮かび上がっている。
あっけにとられている間にも、光は少し強さを増し、車内は、黄昏時の薄暮ほどの明るさになった。
「何これ?」
「何これ?」
「何これ?」
俺とオカンと百合香は、口々につぶやく。
車体が放つ光の向こうは、どこまでも闇が続く。それでも、車内に光がさすことで、俺たちは、少し落ち着きを取り戻していた。
俺は、今になって、やっと、ヘッドライトをつければよかった、と思いつく。室内灯もあったな。試しに両方つけてみたが、車体が光を放っている状態では、あまり意味がなかった。
驚きの声が静まると、しばしの沈黙が落ちる。
やがて、オカンが静かに口を開いた。
「ウチら、死んだんかもしれん」
「えっ?」
「えっ?」
「車を出したあと、事故に遭って、三人とも死んだんかもしれん。今は、冥土に行く途中や」
「……」
「……」
俺は、車を発進させたとたん、山田さんちに突っ込んでしもたんか? それで、三人とも即死する大事故になってしもたんか? そやけど……
百合香が、俺より先に、オカンに反論する。
「そやけど、事故なんか起きてないで。なんの衝撃もなかったし。ただ、急に真っ暗になっただけやんか」
そうや、俺は事故なんか起こしてない。第一、発車直後で、ほとんどスピードも出てなかったはずや。たとえ事故ったとしても、大事故になんかなるはずない。
そんなことを考えていて、俺はハッとした。と同時に、足元を見る。
こんなパニック状態でも、俺は、ちゃんと、ブレーキを踏んでいた。免許取りたてにしては、上出来や。心から、ホッと安堵する。
いや、待てよ、なのに、この車、動いている? いや、止まっているのか? 周りが闇の状況では、動いているか止まっているかの判断も、簡単にはつかない。
俺は、ブレーキを踏んでいるし、スピードメーターもゼロを指している。エンジンを切ってはいないが、エンストしたのか、エンジン音はしない。
だけど、何か聞こえる……エンジンとは違う、何かの機械音が……
オカンと百合香が、事故で死んだ、そんなわけない、とぶつぶつ言い合っているのを、俺は、
「ちょっと静かにして。なんか聞こえへんか?」
と制止して、耳を澄ます。オカンと百合香も口をつぐんで、じっとしている。やがて、
「なんか、キーンって、聞こえるな」
百合香が、音を聞きつけた。
「そやろ、キーンていうてるやろ」
ほんの微かに聞こえるキーンという音とともに、車がわずかに振動している。
そうか、これか。俺が、最初にエンジンをかけた時に感じた違和感。この音と振動が、エンジン音に混じっていた。それで、俺は違和感を感じたんかもしれん。
耳を澄ましていたオカンが、
「ちょっと、おかあちゃんには、なんも聞こえへんで」
「小さい音やけど、聞こえるで。よう聞いてみ」
百合香に促されて、もう一度耳を澄ますも、
「やっぱ、なんも聞こえへん」
「ホンマ?」
百合香がちょっと考え込む。
「ほんなら、これモスキート音かもしれへんな」
なるほど、だからオカンには聞こえへんのか。
「なにそれ、モスキートオンて」
「めっちゃ高い音。年取ると聞こえへんようになるねん」
百合香が説明する。
「えっ、おかあちゃん、まだ46やで。耳鼻科行って診てもろたほうがいいやろか」
オカン、事故で死んだ言うてたくせに。
「周波数にもよるけど、20代でも、聞こえへんようになったりするんやで」
「そうなんか。ほな、しかたないな」
オカンが納得したところで、
「お兄、この音何?」
「わからんけど、高周波のモーターみたいなもんかもしれん。エンジンは止まってるし、俺、今ブレーキ踏んでるのに、なんか、車、動いてるような感じやろ」
「うん。なんか、振動してるな」
「それやったら、おかあちゃんも感じるわ。なんかちょっと、この車、震えてるみたいな。そやけど、そんなモーター、ふつう、車についてるもんなんか?」
「いや、ついてない。それが、この状況と、なんか、関係あるんかわからへんけど……」
自分でそう言って、なんか悲しくなった。そうや、たとえ、この状況の原因が、そのモーター?やったとしても、今のこの状況が何なのかわからへんことには、どうにもならんのや。
「あっ、そや」
百合香が、なにか思い出す。
「車に乗ったら、警察に電話するんやった」
「おかあちゃんがしよか?」
「ううん、お母ちゃんには、犯人から連絡あるかもしれへん。あたし、かけてみるわ」
が、すぐに、
「アカン! 圏外や」
「ホンマ? あらー、おかあちゃんのケータイもやわ」
圏外て、ここはいったいどこなんや!
警察につながったからといって、どうなるものではないのかもしれない。それでも、警察にもどこにも連絡がとれない、という事実に、俺たちはショックを受けていた。
「そのうち、つながるやろ」
俺はそんなことを言ってみたが、オカンも百合香も何もこたえない。
もしかしたら、俺は今、夢を見ているんかな。これが夢やとしたら、こんなリアルな夢、見るの初めてや。
そんなふうに考えたことが、なんだか可笑しくなって、俺は、自嘲的に、フッと鼻で笑った。
違う、これは、現実なんや。オトンの誘拐と同じく、目を背けられない現実なんや。
これから、どうしたらいいんや。ぼんやりと、そんなことを考えていたときだ。
「あっ、流れ星!」
百合香が声を上げる。
「えっ、流れ星?」
窓の外を見ると、流れ星のような細い光の筋が一筋、車の横を、水平に後ろに流れていった。
「ほんまや、きれいやな」
と、オカン。
目をこらして見ていると、一度に流れる光の筋が、次々と増えていき、見る見るうちに、一本の太い光の筋になった。
俺たちは、声も出せずにその様子を眺めている。
そして、次の瞬間、俺たちは、光の中にいた。




