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5.当座の敵は時間

 俺たちは、放心状態で子機を見つめる。

 最初に口を開いたのはオカン。

「外国人かもしれんな」

百合香が、同意を示す。

「うん。あのしゃべり方はそうかもしれん。それに、『私たち』て言うてた。もしかしたら、どっかの組織かもしれへん」

 外国人の組織……もし、ホンマにそんなヤツらの犯行やったら、俺らにはどうすることもできひん。まあ、単独犯でも、状況は同じやけど。オトンが人質に取られているのに変わりはない。


 オカンが、手の中のメモリーカードのケースに目を落として、眉をひそめる。

「このメモリーカード、あいつらに渡して大丈夫やろか。おとうちゃん、困ったことになるやろな」

「でも、オトンが、それの場所、教えたんちゃうか」

「そうや、アイツ、詳しい置き場所知ってたし。きっと、お父ちゃんも、知ってることやわ」

「オカン、とにかく、今は、ゆっくり考えてるヒマはないで。とりあえず、アイツの言う通りにしよ」

 そうか、もしかしたら、これがアイツらの作戦か。俺らを急がせて、考える間を与えへんのが。俺らは、すっかり、アイツらの手の平の上やな。くそっ。


「そうや!」

オカンが、いきなり切羽詰まった声を上げる。

「龍之介、説明書貸して!」

「説明書? 何の?」

「車の運転の仕方のや。アンタ、春休みに教習所行ったとき、運転の仕方書いたの、もろたやろ? それ早よ出して!」

 百合香が、あんぐりと口をあけている。たぶん、俺も同じ表情をしているはずや。運転するのに、説明書が要るて! オカンが、いくら年季の入ったペーパードライバーやいうても、これは、いくらなんでもヒド過ぎるやろ!

 俺は、腹をくくった。いや、誘拐犯に、車に乗れと言われて、オカンが、わかりましたと返事をしたときに、俺は、すでに腹を決めていた。


「オカン、俺が運転する」

「えっ? そやけど、あいつは、ウチに、車に乗ってこい、言うたんやで」

「車に乗れ、とは言うたけど、運転しろとは、言うてない。オカンは助手席に乗ればいい。もし、アイツがあとでなんか言うてきたら、そんときはそんときや」

「そやけど、あんた、免許取りたてやし」

「オカンよりは、百倍マシや。オカンやったら、マジで山田さんちに突っ込むで」

「そうや、お母ちゃん、お(にい)の言うとおりにしい。それと、あたしも行くで」

「ちょっと、百合香! あんたにまで危ない目は遭わせられへん」

「そやけど、ここに一人でいるのも、なんか怖いわ。それに、あたしが、車から警察に通報する。今は、そんな時間ないやろ」

 百合香はそう言いながら、もう動き始めていた。トイレに向かい、バタンとドアを閉める。

「オカン、とりあえず、百合香も連れてこ。状況見て、百合香は、途中で降ろせばいい。オカンも早よ着替えや」

「わ、わかった」


 百合香がトイレに入ったのを見たら、誘拐騒ぎで引っ込んでいた尿意が、唐突に復活した。トイレの前で百合香が出てくるのを待ち、入れ替わりに用を足す。

 自分の部屋に急いでもどり、パジャマを脱ぎ捨てて、大急ぎでTシャツとジーパンに着替える。尻ポケットに、免許証の入った財布とスマホを突っ込む。腕時計をはめる。大学の合格祝に、奈良のじいちゃんがくれた、ソーラー電波時計。これなら一秒のくるいもない。あと8分。

 百合香の部屋の前で、

「間に合わんかったらおいてくで」

と声をかけておいて、洗面所に向かう。


 バシャバシャと顔を水洗いし、形ばかりの歯磨きをする。

 シャツとジーパンに着替えたオカンが、

「戸締り。ガス。電気、電気」

と言いながら、リビングとキッチンまわりの確認をしていた。こんな時でも、こういうところは、オカンは用心深い。

「先行って、エンジンかけとくで」

オカンに声をかけ、急いでスニーカーをはく。下駄箱の引き出しから、車のキーと若葉マークをつかんで、玄関横のカーポートに向かう。


 ジャバラ式のゲートを、ガラガラと開ける。オトンの愛車カローラの前後に、若葉マークをペタリ、ペタリと貼る。

 ドアを開けて運転席に腰を下ろすと、俺は、ふーっと大きく息を吐いた。あと3分ちょっと。

 俺は、気持ちを落ち着かせて、ゆっくりとキーを回す。エンジンがブルブルと音を立て始めた。

 そのとき、俺は、わずかに違和感を覚えた。何やろ、なんかいつもと違うような。思わず、ぐるっと車内を見回す。とくに変わったところはない。気のせいか。


 オカンと百合香を待ちながら、俺の思考は、誘拐犯の要求に向かう。

 犯人が要求したのは、メモリーカード。

 たしか、オトンの会社は、主に、温度やら湿度やらのセンサーを作る会社だったはず。そんな会社に勤めるオトンが、拉致されてまで狙われるほどの、重大な機密情報を持っているんか? もちろん、オトンだって技術者の端くれ。高性能センサーかなんかの、技術情報を持っていないとは言い切れへんけど。

 そやけど、たとえ持っていたとしても、そんなに重要な情報が入ったメモリーカードを、うちのリビングに置いておくんか?

 それに、誘拐犯は、車を適当に走らせろと言うくせに、出発時間だけは厳格に守らせようとする。

 犯人の要求は、おかしなことだらけや。

 俺は、そんなことをなんとなく思ってみたが、もちろん熟考する時間はない。

 

 オカンが、玄関ドアを開けて、急ぎ足で出てくる。あと1分半。

 オカンは、助手席に座ると、カバンの中を確認し始めた。

「ケータイ、財布、鍵、ハンカチ、はなかみ。それと、これは絶対忘れたらあかん、メモリーカード」

「オカン、百合香は?」

「もう来ると思うけどな」

 あと1分。俺は、イライラと玄関ドアに目を向ける。残り10秒で発車させる、俺はそう決めて、シフトをドライブにし、ハンドブレーキを解除して、発車の体勢を整えた。


 あと25秒。玄関ドアがパッと開く。スニーカーをつっかけて、リュックを背負った百合香が出てきた。あんなにボサボサだった寝癖頭が、かなりマシになっている。まさか、百合香、そんなことで時間使ったんやないやろな!

 百合香は、素早く玄関に鍵をかけて、車に駆け寄る。後部座席に滑り込むと、

「もう時間やで!」

と言いながら、バタンとドアを閉めた。お前を待ってたんやろ!

 あと5秒。

「行くで!」

 俺は、ゆっくりとアクセルを踏みながら、ハンドルを右に切る。


 車は右折した……はずだった……



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