1.事件を告げる電話
タララ~ラ~ラ~♪ タララ~ラ~ラ~♪
早朝のキッチンに、電子音の『イッツアスモールワールド』が響き渡る。音の発生源は、キッチンカウンターの上のオカンのガラケーだ。
俺は、反射的に時計を見る。まだ六時前。
五月のこの時季、カーテンを開け放ったリビングはすでに明るいが、土曜の朝に、こんなに早起きする趣味は、19才の俺にはない。トイレに行きたくなって、あとでまだ寝るつもりで、しぶしぶベッドから這い出してきたら、トイレには先客がいた。オカンだ。
しかたなく、ふらふらとリビングをうろついていたら、いきなりオカンのケータイが鳴り出した。
だれやねん、こんな朝っぱらから。
俺は、キッチンに向かい、ケータイを手に取る。『宮島圭介』。
オカン、オトンの番号、ちゃんと名前で登録してるやん。まだ覚めきらない頭で、俺はそんなことを思った。オカンなら、てっきり『おとうちゃん』とかにしていると思ったのに。
そういえば、オトン、東京に出張で、夜行バスで帰るって言うてたな。
俺は、『イッツアスモールワールド』を奏で続けるケータイを手に、トイレの前に向かう。
「オカン、電話やで」
「誰から~?」
オカンが、トイレの中から、声を張り上げる。
「オトンから。俺、出よか?」
「頼むわ~」
「わかった」
俺は、ケータイを開いて、通話ボタンをポチッと押した。
「もしもし」
「……」
オカンのケータイに俺が出たから、オトン戸惑ってるんかな。
「俺やで、龍之介。オカン、今トイレやねん」
「…………」
「もしもーし、オトン……もしもーし」
オトンの無言に、俺は声を張り上げる。
「もしも……」
「キミは、龍之介くんデスカ?」
えっ? 誰?
聞き慣れないアクセント。けど、ハキハキと明瞭で、聞き取りにくくはない。その話し方も声も、オトンとは違う男のものだ。
「は、はい」
「単刀直入に、要件をイイマス」
「え? あ、はい」
「ワタシたちは、ワケあって、キミのお父さんを、拉致シマシタ」
「…………は?」
電話の主が言っている意味が、わからない。決して、まだ寝ぼけているからではない。俺の頭は、すでに、電話の相手が知らない男だとわかった時点で、覚醒している。
そんなこと、あるわけないやろ。中小企業のサラリーマンで、絵に描いたような一般庶民。住宅ローンはあっても、財産はない。そんなオトンが拉致られるなんて、あるはずがない。
「あのー、電話番号合ってますか? かけ間違いでは……」
「そんなコトはありません。コレは、宮島圭介さんのケータイデス」
うぅー、そやった。かけ間違いのはずはあらへん。そやけど、なんで? きっとどこかに、間違いがあるはずや。
「えーっと、誰かと間違って拉致したとか?」
自分で言って、自分で気がついた。だとしたら、オトン、やっぱり拉致られたってことやん!
トイレから、ジャーッと、水を流す音がする。
「間違いではありマセン。ワタシたちは、要求がありマス。宮島圭介さんをタスケたかったら……」
オカン、ちょっ、ちょっと待って。トイレから出て、こっちに向かってくるオカンを、俺は、慌てて、右の手の平を向けて制止する。
が、間に合わなかった。
「龍之介~、おとうちゃん、何て~?」
オカンの大声が、身代金を要求する声をかき消した。
「オカン、ちょっと待って! 今取り込んでるから」
「待ってって、いったい、何やのん?」
俺は、オカンの質問を無視して、ケータイに耳をすます。
「もしもし、もしもし……」
プー、プー、プー……
「もしもーし、もしもーし……」
プー、プー、プー……
通話は、途切れていた。




