第9話:宿屋のデバフと、無料(タダ)の黒パンを求める都市伝説
翌日。
学校の授業と日常生活を完璧なスケジュールでこなし、俺は昨日と寸分違わぬ時間に『FRO』へとログインした。
視界が晴れると、そこは第一の街『ベルグ』の広場。
昨日ログアウトした、あの無料の木製ベンチの上だった。
「ふぁ……よし。睡眠時間もバッチリだ」
軽く伸びをして周囲を見渡した俺は、昨日との明確な違いに気がついた。
NPCしかいなかった静かな街の広場に、派手な装備や、逆にボロボロになった防具を身にまとった『プレイヤー』たちの姿があったのだ。
どうやら俺が寝ている間に、先行組のトッププレイヤーたちが死闘の末にエリアボスを突破し、ついにこの街に辿り着いたらしい。
「おっ、やっと他のプレイヤーも来たのか。……ん?」
なんだか、周囲の視線が異常に痛い。
広場にいる数十人のプレイヤーたちが、一斉に俺の方を――正確には『広場のベンチから起き上がった、初期装備の男』を、幽霊でも見るような目で見つめているのだ。
「お、おい……嘘だろ。あいつ、ベンチからログインしてきたぞ……」
「マジかよ。宿屋の50Gケチって野宿したのか!?」
「見ろよあの初期装備……掲示板で噂になってた『ナナシ』だ! 激レア素材ポイ捨てしたドケチ野郎、本物だぞ!」
ヒソヒソというより、もはやザワザワと騒ぎになっている。
すると、群衆の中から一人の男が歩み出てきた。
ピカピカの銀色の鎧に身を包んだ、いかにも『トップギルドのリーダー』といった風貌のイケメンプレイヤーだ。
「君が、あのファングボアを無傷でソロ討伐したというナナシ君だね? 私はトップギルド『聖剣の誓い』のマスター――」
「悪いが、急いでるんだ」
俺は男の自己紹介を途中で遮り、ベンチから立ち上がった。
他人の長話に付き合うのは、タイムパフォーマンスが最悪だからだ。
「えっ? あ、ちょっと待ってくれ! 敵対するつもりはないんだ! ただ、一つだけ聞かせてほしい!」
イケメンは慌てて俺の前に回り込んだ。
「君はなぜ、宿屋に泊まらなかったんだ!? 確かにこの街の宿屋は一泊50Gと初心者には痛い出費だが、ベッドで寝てログアウトしないと『スタミナ回復速度半減』の強烈なデバフがかかってしまうはずだ! ボスを倒した君なら、宿代くらい払えただろうに!」
なるほど。
周囲のプレイヤーたちが驚愕していたのは、「ベンチで寝たこと」以上に「自らデバフを背負ったこと」に対する驚きだったらしい。
俺はステータス画面を開き、確かに自分の名前の横に【疲労:スタミナ回復速度50%低下】というアイコンがついていることを確認した。
「ああ、これか。別に気にしてないからどうでもいい」
「ど、どうでもいい!? 回復速度が半減したら、まともに強力なスキルも撃てないし、長時間走ることもできないじゃないか! 次のエリアの攻略に致命的だぞ!」
「そもそもスキルは使わない。回避も最小限の動きで済ませるから、初期のスタミナだけで十分なんだ。わざわざ50Gも払って、使わないスタミナのためにバフをかける方が金の無駄だろ」
「…………は?」
イケメンのギルドマスターは、口をパクパクとさせて完全にフリーズした。
周囲で聞き耳を立てていたプレイヤーたちからも、「スタミナを使わない……?」「なんだその理屈……」「やっぱり頭がおかしい……」という戦慄の声が漏れ聞こえてくる。
「宿代をケチるために、一生デバフを背負ったまま戦うって言うのか……!? どれだけ過酷な縛りプレイなんだ……っ!」
なぜか勝手に悲壮感を感じて身震いしているイケメンを放置し、俺は広場を歩き出した。
「じゃあ、俺は日課があるから」
「ま、待ってくれ! 日課って、これから高難易度のクエストにでも行くのか!? もしよければ我々と――」
「いや。冒険者ギルドに行って、一日一個もらえる無料の黒パンをもらいに行くんだ」
「…………っ!?」
全サーバーで一番最初にこの街に到達した最強の男(暫定)が、たった数十Gの黒パンを恵んでもらうためにギルドへ向かう。
そのあまりにも次元の違うプレイスタイルに、広場にいた全員が声を出せず、ただただ俺の背中を畏怖の目で見送っていた。
(さて、今日の黒パンは昨日より少しマシな味がするといいんだがな。咀嚼回数を25回に増やしてみるか)
俺はそんな周囲の反応など一切気にすることなく、ただ効率とコスパだけを求めて、今日も我が道を往くのだった。




