第31話:デバッグ領域の果てと、最初のプレイヤー
システム境界線の外側――。
そこは、本来ならプレイヤーが存在するはずのない「デバッグ用サンドボックス」だった。
空はテクスチャが貼り付けられる前の灰色のポリゴンで、地面には当たり判定のついた見えない壁が不規則に配置されている。
俺はそんなノイズまみれのエリアを、スタミナ消費ゼロの反復横跳びで軽快に駆け抜けていた。
「……随分と面白い場所だ。ここはマップの『継ぎ目』が剥き出しになっている」
俺は、地面に埋め込まれた座標数値を読み取りながら歩く。
この領域には、運営がテストのために放置した「未調整の敵」や、ゲームバランスを無視した「過剰な報酬アイテム」が、そこら中にゴミのように転がっていた。
普通なら、これらを拾って帰れば一瞬でトッププレイヤーになれるだろう。
だが、俺にとってそんなものはすべて「重量」であり、移動効率を下げるだけの障害物でしかない。
その時だった。
前方から、微かな「人の気配」がした。
「……おい。あんた、どうやってここに入った?」
声の主は、防具も武器も身につけていない、ただの初期装備のプレイヤーだった。
しかし、その男の眼光は異常に鋭く、俺と同じ『計算する者』特有の冷徹さを帯びている。
「俺はテストサーバーの深淵に迷い込んで3日だ。壁抜けのバグを探り、死に物狂いでここまで辿り着いた。……あんた、どう見ても『徒歩』でここまで来たな?」
男は俺のボロボロの布服と、腰に提げた木の棒を凝視し、確信を得たように笑った。
「あんたが『ナナシ』だな。機巧都市を経済崩壊させ、運営をパニックに陥らせたという噂の……。俺は『カイ』。この世界の『最適解』を探している者だ」
カイ、と名乗った男は、地面に座り込みながら言った。
「あんたのプレイスタイルは聞いた。移動に金を使わず、戦闘にスタミナを使わず、食事に時間を使わない。……合理性の極みだ。だが、この先に行っても何もないぞ。ここはただの『修正待ちのゴミ捨て場』だ」
「何もないわけがない」
俺はカイの横を通り過ぎ、前方にある巨大な『未実装エリアの壁』を指差した。
「そこにあるのは『運営が設定した数値』ではなく、この世界の『データ構造そのもの』だ。ここを突き詰めれば、システムを介さずとも経験値が得られ、システムを介さずともエリアを移動できる。……タイパの最終目的地だ」
カイは呆れたように笑い、それから深く頷いた。
「なるほど。あんたは『システムの中で効率を求める』んじゃなくて、『システムそのものを手懐ける』つもりか。……ついて行ってもいいか?」
「好きにしろ。ただし、俺は足が速いぞ。俺の歩くリズムについてこれないなら、置いていく」
「ああ、望むところだ」
俺とカイは、灰色のデバッグ領域を並んで歩き始めた。
カイは俺の歩様を観察し、すぐにそのリズムをコピーした。
効率的な重心移動、無駄のない突き、スタミナを消費させない足運び。
「……面白い。あんたの歩き方は、重力加速度を完全に計算に入れているのか」
「それは俺の初期ステータスだ。お前もやるなら、今のうちに『その重い剣』を捨てろ。重量が足を鈍らせている」
「……そうだな。いらないか」
カイは背負っていた、苦労して手に入れたはずのレア武器を、迷いなく地面の亀裂へと投げ捨てた。
その瞬間、彼の歩調が明らかに軽くなる。
「……軽くなった。これが『無一文』の感覚か」
「ようやくスタート地点だ」
俺たちは並んで歩き出した。
運営が用意した理不尽な世界を、たった二人の「極限合理主義者」が、ただの砂漠のように踏破していく。
境界線の外側。
それは、運営にとってもプレイヤーにとっても「未知」の領域だが、俺たちにとっては「最高の攻略対象」でしかなかった。
「ナナシ。次の目的地は何だ?」
「あの灰色の壁の向こう側だ。システムの裏側をショートカットして、ゲームの『クリア判定』そのものを書き換えに行く」
「……面白すぎるな。世界を『ゴミ箱』にするために、行ってやろう」
二人の初期装備プレイヤーが、開発陣の誰も想定しなかったルートで、世界の「終着点」を目指して走り出した。
その歩みはあまりに軽く、あまりに速く、そしてあまりに静かだった。
俺たちの旅は、もう「ゲーム攻略」ですらない。
このシステム全体を、俺たちの思うがままの「効率的な構造」へと作り変える作業が、今始まったのだ。




