第30話:境界線の外側の自由と、初期装備(木の棒)の真価
防壁の最上部、システム境界線のギリギリに立った俺は、眼下に広がる未実装エリアの荒野を見下ろしていた。
背後では、機巧都市の街全体が「経済崩壊」のパニックに陥り、プレイヤーたちの絶望的な悲鳴が遠くの風に混じって聞こえる。
「さて、あそこに戻る理由は皆無だ」
俺は地面を蹴った。
システムが張り巡らせた見えない壁に触れないよう、極限まで最適化された軌道で空を舞う。
普通なら即死する領域だが、俺の脳内では空間データがグリッドのように展開されている。
『警告:エリア外……』
『警告:未定義領域……』
視界の端でエラーメッセージが滝のように流れるが、それらはすべて俺を強制退去させようとする運営の無駄な試みに過ぎない。
俺は風の抵抗を推進力に変え、境界線のわずかな隙間を縫うようにして、未実装の荒野へと着地した。
「ふう。完璧な回避だ」
着地した先は、バグによって生成が途中で止まったような、ノイズ混じりの灰色の荒野だった。
ここにはショップも、配給機も、移動ギミックも何もない。
あるのは、初期化されたまま放置された「ただの地面」だけだ。
「ここなら、誰にも、何にも邪魔されない。純粋な『移動と生存の最適化』だけができる」
俺は木の棒を握り直した。
ここには、強すぎる敵も、修理費を要求する武器も、所持金を奪う盗賊もいない。
ただ、俺の歩む距離と、俺の消費カロリー、そして俺のプレイスタイルだけが存在する。
ふと、荒野の地平線に、巨大な影がゆっくりと動いているのが見えた。
それは、運営がマップの端にテスト用として配置したまま忘れていた、エリアボス用の巨大な機兵だった。
本来なら、数千人のプレイヤーで挑むはずのレイドボスだが、俺にとってはただの『巨大な置物』だ。
俺はスタミナ消費ゼロの歩様で、その影へと真っ直ぐに向かった。
距離は5キロ。
俺の足なら10分で到達する。
途中で岩場にぶつかれば、それを踏み台にして跳ねる。
窪みがあれば、勢いを利用して斜面を駆け上がる。
「……そうだ。ゲームなんて、最初からこうあるべきだったんだ」
俺は、攻略本も、攻略サイトも、クエストボードも必要としない。
ただ、自分の目で見極め、自分の脚で動き、目の前の障害を「処理」する。
何億ものプレイヤーがゴールドやレア装備を求めて右往左往する裏側で、俺だけが、この世界の真理――『最小限のコストで、最大限の結果を出す』という、ただそれだけの理の中にいた。
巨大機兵の足元に到達した。
機兵が巨大な鉄拳を振り下ろしてくる。その拳は、俺の身長の数十倍もある。
だが、その拳の動きは、あまりにも単調で、あまりにも予測可能だ。
俺は動かなかった。
拳が地面に叩きつけられ、衝撃波が巻き起こる直前、俺は小さな石ころを蹴り飛ばした。
『パァァァァンッ!!!』
木の棒が、石ころを弾き飛ばし、その石が機兵の動力源である「配管の継ぎ目」に吸い込まれるように直撃する。
連鎖反応が起きる。
数万トンある機兵が、静かに、そして圧倒的な音を立てて崩れ落ちていった。
「――終了」
倒れた機兵の腕を足場にして、俺はさらにその先の、まだ誰の足跡もついていない地平線を見据えた。
システムは俺を「貧困層」と呼び、街は俺を「異端」として排除した。
だが、この荒野の先には、俺がまだ知らない「もっと効率的な道」があるはずだ。
俺は空腹を感じた。
でも、もう無料の灰色のブロックなんて必要ない。
この荒野に落ちている、バグったままの、でも確かな「自然のデータ」を咀嚼すればいい。
俺は一歩を踏み出した。
その背中に、システムに縛られたプレイヤーたちの影はもうない。
「次はどの座標に行こうか。……効率のいい狩場が、世界中に溢れている」
俺は、このゲームの全プレイヤーがまだ誰も見たことのない、未完成の地平線へと向かって、スタミナ消費ゼロの軽やかな足取りで歩き出した。




