第25話:運営の悲鳴
『FRO』の運営管理室。
そこは今、けたたましいエラー音と、システムエンジニアたちの悲鳴に包まれていた。
「ディレクター! 第二の街の地下『廃棄迷宮』で異常なログを検知しました! 隔離エリア内で、凄まじい速度でバグモンスターが処理されています!」
報告を受けたディレクターは、持っていたコーヒーカップを落としそうになった。
「バカな! あそこは空間の座標系が崩壊していて、プレイヤーが入れば五秒で激しいVR酔いを起こすはずだぞ!? そもそも、敵の攻撃判定もめちゃくちゃでまともに戦えるわけが――モニターを映せ!」
メインスクリーンに映し出されたのは、運営すらデバッグを諦めた最悪のバグ空間。
黄色い壁紙が続く無限ループの廊下や、蛍光灯が不快なノイズを放つ『グリッチだらけの不気味なアパート』のような階層だった。
そして、その非ユークリッド空間のど真ん中を、初期装備の男が「散歩」していた。
「なっ……あいつ、防衛戦でスコアをバグらせた『ナナシ』じゃないか!?」
画面の中のナナシは、壁のテクスチャが剥がれて空間がねじ曲がっている場所を、一切の躊躇なく突き進んでいた。
『ガガッ……ジジジッ!』
壁をすり抜けて、テクスチャの裏側から不可視の攻撃を仕掛けてくるバグモンスター。
本来なら絶対に回避不可能な理不尽な初見殺しだ。
だが。
『パァァァァンッッ!!!』
ナナシは壁からモンスターが飛び出してくるコンマ一秒前に、一切のタメ動作なく、持っていた『初期の木の棒』を壁のテクスチャごと突き刺した。
壁の裏側に潜んでいたモンスターが、悲鳴を上げる間もなくポリゴンの破片となって爆散する。
「……は?」
「い、今、あいつ……バグモンスターが壁をすり抜けてくる座標を完全に予測して、壁の『当たり判定が消失している部分』からカウンターを叩き込みました……」
「システムの不具合を、自分の回避ルートと攻撃のショートカットとして利用しているだと……!?」
エンジニアの一人が、頭を抱えて絶叫した。
ナナシにとっては、空間がねじ曲がっていようが、景色がバグっていようが関係ないのだ。
むしろ、風景という『無駄な視覚情報』が剥がれ落ちている分、純粋な座標とヒットボックスだけを読めばいいこの空間は、彼にとってノイズの少ない快適な作業場に過ぎなかった。
「なんて効率のいいマップなんだ。無限に続くアパートの廊下のおかげで、敵の出現位置が完全に固定化されている」
画面越しのナナシが、満足げにそんなことを呟いているのが聞こえた。
彼からすれば、この不気味な無限ループ空間すらも『索敵の手間が省ける最高のベルトコンベア』なのだ。
「ディレクター! このままでは廃棄エリアの負荷が高まりすぎて、サーバーの一部がクラッシュします! 自動修復プログラム(バグ・イーター)が起動しました!」
スクリーンの中で、ナナシの眼前に巨大なノイズの塊が出現した。
システムが空間のバグごと対象を消去するために生み出した、物理法則を完全に無視する『エラーの捕食者』だ。
「よし、自動修復プログラムが奴をデスペナルティで街に強制送還するはずだ! いくらあいつのプレイヤースキルが異常でも、当たり判定の存在しないバグの塊には物理攻撃なんて――」
ディレクターが祈るように叫んだ、次の瞬間だった。
『――だから、無駄なエフェクトなんだよ』
画面の中のナナシが、巨大なバグの塊に向かって、ただ真っ直ぐに木の棒を突き出した。
システムが作り出した『当たり判定のないバグ』。
しかし、いかにバグであろうと、ゲーム内に存在する以上は必ず『処理の中心となる座標』が存在する。
ナナシは【マニュアル・オーバードライブ】で極限まで研ぎ澄まされた感覚で、エフェクトの裏にある『システム上の絶対座標の1点』を見切り、そこに【ミニマリスト】による極大火力をピンポイントで流し込んだ。
『ピィィィィィンッッ!!!』
処理落ちしたような甲高いエラー音と共に。
システムが放った最強のバグ修復プログラムが、ただの木の棒の一撃によって粉々に粉砕された。
「「「…………」」」
運営管理室は、完全な沈黙に包まれた。
ディレクターも、エンジニアたちも、モニターの向こうで起こった事象を脳が処理しきれず、完全にフリーズしていた。
画面の中では、無事に狩りを終えたナナシが、修復プログラムがドロップした『グリッチの欠片』というアイテムを見下ろして、舌打ちをしている。
「アイテム名が文字化けしてるな。こんな出処不明の怪しいデータ、インベントリに入れたら重量計算がおかしくなってスタミナを無駄に消費しそうだ。いらん」
男はそう言って、運営が手動で復旧させるための超重要アイテム(マスターキー)を、未練ゼロでバグの壁の向こう側へと蹴り捨てた。
「さて、腹も減ったし、そろそろギルドに無料の黒パンをもらいに帰るか」
ナナシは一切のスタミナを消費していない軽やかな足取りで、ねじ曲がった空間のショートカットを通り抜け、第二の街へと帰還していった。
「……ディレクター」
「なんだ……」
「あのプレイヤー……もう、我々の手の届かない次元にいる気がします……」
「……ああ。とりあえず、彼の周りだけは下手にパッチを当てるな。機嫌を損ねてシステムの中枢を木の棒で叩き割られたら、このゲームが終わるぞ……」
こうして、たった一人のドケチな初期装備プレイヤーの存在によって。
『FRO』の運営チームは、ゲームのバグよりも一人の人間の理不尽さに怯えながらサーバーを監視するという、胃の痛くなるような業務を強いられることになるのだった。




