他人の被弾(デスペナ)は最高の検証データである
『始まりの草原』での検証を終えた俺は、さらに奥のエリアである『薄暗い森』へと足を踏み入れていた。
「キルルルッ!」
木の上から飛びかかってきた『フォレスト・ウルフ』の奇襲。
俺は立ち止まったまま、首を左に数センチだけ傾ける。ウルフの牙が俺の頬のすぐ横を通り過ぎた。完全マニュアル操作による、最小モーションでのジャスト回避だ。
空中に投げ出され、無防備になったウルフの腹部に、俺は下から木の棒を突き立てる。
『Critical !!』
光の粒子となって消え去るウルフ。
同時に、視界の端に【Level Up】の控えめな文字が浮かんだ。
「……レベルアップ、か」
ステータス画面を開くと、STR(筋力)やAGI(敏捷)といった数値が少しだけ上昇していた。
しかし、俺にとってステータスの上昇など誤差でしかない。
敵の攻撃パターンを完全に記憶し、被弾率0%を維持できるのであれば、ステータスが初期値だろうがカンストしていようが「死なない」という結果は同じだからだ。
俺はウルフがドロップした『狼の毛皮』をインベントリに放り込むと、再び歩き出した。
このゲームのアイテムは売れば金になるらしいが、そもそも金を使う予定がない俺にとっては、インベントリの容量を圧迫するだけの不要なゴミでしかない。後でまとめて捨てるか、適当なNPCに押し付けるとしよう。
森の奥へ進むにつれ、周囲のプレイヤーの数は目に見えて減っていた。
チュートリアルを終えたばかりのプレイヤーにとって、この森のモンスターは強すぎるのだ。時折すれ違うフルパーティの連中も、一様に息を切らし、ボロボロになった装備を抱えて撤退していくところだった。
「クソッ、なんだよあの火力……盾ごと吹き飛ばされたぞ!」
「回復薬もうない! 街に戻って修理しないと破産する!」
彼らの悲鳴を聞きながら、俺は内心で首を振った。
重い装備を着込んで正面から攻撃を受け止めようとするから、修理費という無駄なコストが発生する。なぜ「避ける」という最もコスパの良い選択肢を取らないのか。理解に苦しむ。
さらに森の深部へ進むと、開けた広場に出た。
そこは、周囲とは明らかに空気の違う、エリアボス専用のフィールドだった。
「――陣形を崩すな! タンクはヘイトを維持しろ! アタッカー、大技の詠唱急げ!」
広場の中央では、6人編成のパーティが激しい戦闘を繰り広げていた。
装備の光沢からして、おそらくβテスト経験者などの先行組だろう。彼らが取り囲んでいるのは、体長3メートルを超える巨大な猪のモンスター『ファングボア』だった。
ボアの巨体が赤く発光し、前足で地面を強く蹴り上げる。大技の予備動作だ。
「来るぞ! 【シールド・ウォール】!!」
パーティの盾役が、巨大な金属盾を構えて青いオーラを展開する。
だが、俺の目にはその行動が致命的なミスに映った。
(……非効率だな。ボアの突進モーション開始から到達までは約0.8秒。対して、あの【シールド・ウォール】というスキルの展開ラグは約1.2秒。間に合うはずがない)
俺の予測通りだった。
盾役のスキルが完全に展開し切る前に、ファングボアの暴力的な突進が直撃した。
「ぐあああああっ!?」
鈍い破壊音と共に、分厚い金属盾がひしげ、盾役のプレイヤーが紙屑のように吹き飛ばされる。
陣形が崩壊したところに、ボアの容赦ない追撃が叩き込まれた。詠唱中で動けなかった後衛のアタッカーたちが、次々と光の粒子に変わっていく。
「ウソだろ……俺たちのガチ装備が、一撃で……っ!」
最後に残ったリーダーらしき剣士が、絶望の声を上げる。
彼もまた、ボアの突進を喰らって大きく吹き飛ばされ、俺の足元に転がってきた。
HPバーは残りわずか。彼の剣はへし折れ、鎧はひどくひび割れていた。
「あ、ああ……修理費が……これまでの稼ぎが、全部パーだ……」
剣士は虚ろな目で呟くと、そのままHPがゼロになり、光となって消え去った。
「……なるほど。他人の被弾というのは、最高の検証データだな」
俺は呟きながら、広場の中央へと歩み出た。
先行組の全滅により、ヘイト(敵視)がリセットされたファングボアが、今度は俺を見据えて低い唸り声を上げる。
「フゴォォォッ……!!」
威圧感は凄まじいが、所詮はプログラムされた動きの塊だ。
先ほどの戦闘を観察したことで、ボアの索敵範囲、突進の初速、攻撃後の硬直時間、そして装甲の薄い弱点――そのすべては、すでに俺の脳内で完全に再生されていた。
俺は初期アバターの布服のまま、ゆっくりと『初期の木の棒』を構える。
巨猪の咆哮が、薄暗い森に響き渡った。




