第1話:初期設定こそ最適解である
「コスパ(コストパフォーマンス)」
それは俺、結城湊の人生における最重要テーマである。
時間、労力、金銭。あらゆるリソースの消費を最小限に抑え、最大の結果を得る。それこそが美しく、正しい生き方だ。
例えば今の昼休み。俺は栄養補助食品のブロックを、胃袋の消化エネルギーを最も効率よく抑えられる「一口につき20回の咀嚼」というルーティンで正確に消費していた。
「なあ湊! お前、今日サービス開始の『FRO』ってゲーム知ってるか!?」
咀嚼が18回目に達したところで、前の席の健太が身を乗り出してきた。俺は正確にあと2回噛んでから飲み込み、口を開く。
「知らない。俺は今、午後の授業に向けてエネルギー消費を最適化している最中だ。無駄話なら他を当たってくれ」
「固いこと言うなよ! フルダイブ型VRの最新作『Frontier Resource Online』だぞ! とにかく『リアルさ』がウリでさ。痛みこそシステムでオフにされてるけど、敵の攻撃を受けると派手に吹き飛ばされるし、武器の耐久値はガンガン減る。修理費とかポーション代のやりくりが超絶シビアで、最高に歯ごたえがあるらしいんだ!」
健太は興奮気味に語るが、俺は思わず眉をひそめた。
「ゲームの中でまで金欠に苦しむのか? 何が楽しくてそんな非効率なシステムを遊ぶんだ」
「そこがいいんだろ! 苦労して素材を集めて、装備を整えて、ギリギリで強敵を倒すカタルシスよ! ほら、これ初期ロットの余り! 一緒にやろうぜ、お前にやるから!」
強引に押し付けられたVRヘッドセットのパッケージ。
「リアルな苦労」などという非効率の極みには微塵も惹かれないが、「最新機器がタダで手に入った」という点においてのみ、俺のセンサーに触れた。
まあ、合わなければすぐに売るか捨てるかすればいい。
「……分かった。少しだけ触ってみる」
その日の夜。
自室のベッドに横たわり、俺はVRヘッドセットを被った。
『網膜スキャン完了。Frontier Resource Onlineの世界へようこそ』
『これより、あなたのアバターを作成します』
視界が真っ白に光り、目の前に無数のパラメータやキャラメイクのホログラムウィンドウが展開された。
髪色、目の形、骨格、声帯、体格……項目は数百に及んでいる。
「……面倒くさいな」
俺は即座にウィンドウの端にあったシステムAIの呼び出しボタンを押した。
「質問だ。ここで髪の色や目の形を変えれば、攻撃力や移動速度といった実数値、あるいは当たり判定に影響は出るのか?」
『……いいえ。キャラクターの容姿はステータスや判定に一切影響しません』
「ならキャラメイクはスキップだ。すべて【デフォルト】で頼む」
『……警告。容姿は一度決定すると、後から変更するために高額な課金アイテム、または膨大なゲーム内通貨が必要です。本当に「初期アバター(特徴なし)」でよろしいですか?』
ステータスに影響しない自己満足のために時間を浪費するのは、俺の流儀に反する。
「問題ない」
『……承知しました。次に、プレイヤーネームを入力してください』
考えるのも面倒だ。俺は入力欄を空欄のまま確定ボタンを押した。
『入力がありません。システム上の仮名【ナナシ】で登録されますがよろしいですか?』
「ああ」
『登録完了。初期装備をインベントリに付与しました。それでは、良き旅を』
光が収まると、俺は中世ヨーロッパ風の石畳の広場に立っていた。
周囲には、思い思いの煌びやかなファンタジー衣装に身を包んだプレイヤーたちが溢れかえっている。
「おい、ポーション高すぎだろ! これじゃ狩りに行けねえよ!」
「誰か鉄の剣の修理費貸してくれー! チュートリアルでボロボロになっちゃったよ!」
広場のあちこちから、健太の言っていた通りの「シビアなリソース管理」に対する悲鳴が上がっていた。
やはり、非効率なゲームデザインだ。
俺は自身のインベントリ(持ち物)を開き、システムから支給された初期装備のスペックを確認した。
【初期の布服】
防御力:1 / 耐久値:無限(破損不可) / 修理費:0G
【初期の木の棒】
攻撃力:1 / 耐久値:無限(破損不可) / 修理費:0G
「……ん?」
俺の思考が、ピタリと止まる。
周りの連中は、わざわざ高い金を出して「耐久値」が発生する武器を買い込んでいる。
だが、この初期装備ならどれだけ使っても修理費はゼロ。完全無料ではないか。
「ダメージの痛覚設定はゼロ。ならば攻撃を避け続ければ防御力など1でいい。攻撃力が1でも、急所に当て続ければいずれ敵は死ぬ」
俺はシステムが用意した最もコスパの良い状態――デフォルトのモブ顔に質素な布服、そして木の棒を片手に握りしめ、チュートリアルフィールドの『始まりの草原』へと足を踏み出した。
草原では、数人のプレイヤーがチュートリアルモンスターの『狂暴な角ウサギ』に苦戦していた。
「くそっ、動きが速い! スキル発動!【パワースラッシュ】!」
近くの剣士プレイヤーがシステムスキルを発動する。剣が赤く光り、ウサギに斬りかかる――が、俺の目にはそれが酷く「重たい処理」に映った。
剣が光り、システムが技の軌道を自動補正し、実際に振り下ろすまでにコンマ数秒のラグがある。大ぶりな攻撃はあっさりと避けられ、剣士はウサギの体当たりを喰らって大きく吹き飛ばされた。
「うわっ! くそ、起き上がりの硬直長すぎだろ! また防具の耐久値減ったし、スタミナも持ってかれた!」
痛みこそないようだが、被弾時の「ノックバック」や「スタミナ減少」によるペナルティは相当に重いらしい。
俺は静かに木の棒を構え、別の角ウサギの前に立った。
まずは、システムのデバッグからだ。
(検証その1:敵のアクティブ(索敵)範囲と行動パターン)
俺が一歩近づくと、ウサギがこちらを向き、前傾姿勢を取った。索敵範囲はおよそ半径3メートル。突進の予備動作から実際の攻撃判定が発生するまでの時間は、約0.5秒。軌道は完全な直線であり、ホーミング性能はない。
(検証その2:システムアシストの有無による挙動の差)
俺はウサギの突進に合わせ、あえて「システムのアシスト機能」をオンにしたまま棒を振ってみた。
体が自動で動き、ウサギを殴りつける。ダメージ『1』のポップアップ。しかし、システムに体を預けたせいで動作に特有の「もっさり感」が生じ、撃ち終わりに隙ができた。
(なるほど。スキルやシステムアシストは、初心者には当てやすいが『内部処理が重い』。無駄な動作が多く、スタミナの消費量も多い)
俺は即座に、メニューから戦闘アシスト機能を完全に『オフ』にした。
これで自分の肉体の動きが、100%ダイレクトにアバターに反映される完全マニュアル操作となる。
「キシャァァァッ!」
ウサギが再び、一直線に突進してきた。
俺はもう余計な動きはしない。ウサギの角が俺の鼻先1センチに到達する瞬間に合わせ、右にたった「5センチ」だけ頭と肩をズラした。
最小限の回避行動。消費スタミナはほぼゼロ。
ウサギの突進が空を切り、無防備な首の裏(急所判定のポリゴン)が俺の目の前を通り過ぎる。
(検証その3:最軽量の攻撃による弱点特効)
俺は最短の動作で、木の棒をウサギの首裏へと、文字通り「ただ突き刺した」。
システムを介さない、純粋な物理演算のみによる通常攻撃。ラグも硬直も一切ない最速の処理が、急所を的確に貫く。
『Critical !!』
システムアシストを使わずに急所に直撃させたことで、攻撃力1の木の棒から跳ね上がったダメージが叩き出され、ウサギのHPを丸ごと刈り取った。
光の粒子となって消えるウサギ。
消費したスタミナはほぼゼロ。もちろん武器の耐久度減少もゼロだ。
「……完璧だ。これが最適解か」
俺は歓喜した。
被弾ペナルティも、スタミナ切れの硬直も、武器の修理費も。完全マニュアル操作と初期装備を組み合わせれば、すべてを踏み倒せる。
これなら一切のリソースを消費せず、無限にレベリングができる。
俺は木の棒を握り直し、次なる検証相手を求めて、草原の奥へと向かって静かに歩き出した。




