◇七.焦土◇
帰り道は、静かだった。
誰も口を開かない。
戦闘の余韻だけが、身体に残っている。
テオドーラは、少し遅れて歩いていた。
胸の奥が痛い。
身体の痛みとは、別の何か。
隣に、気配が来る。
ミラだった。少しだけ、間がある。
距離。
埋まりきらない空間。
ミラは、何かを言いかけて。止まる。
価値。
意味。
言い慣れた言葉が、喉まで来る。
だが。ラプラスの声が、頭の奥で響く。
『観測しろ』
ミラは、少しだけ考える。そして。
「……痛そうですね」
ぎこちない言葉。
不器用な選択。
テオドーラの足が、止まる。
その言葉は、ズレていなかった。
価値でもなく。
評価でもなく。
意味でもない。
ただの、事実。
テオドーラは、少しだけ俯く。
「……はい」
それだけの短い返答。
だが、わずかに。世界が変わった気がした。
風が吹く。
どこか遠くで、誰かが泣いている。
その音は、さっきまで消えていたものだった。
◇
夜風は、少しだけ冷たかった。
整備棟の裏。
人の気配はない。遠くで機械が低く唸っている。
ドーナツは壁にもたれたまま、ポケットから煙草を取り出した。
白い紙巻き。何の細工もない、ただの消耗品だ。火を点ける。橙の炎が、小さく揺れた。普通の色だ。それを確認するように、一度だけ目を細める。
煙を吸い込む。肺の奥に落ちていく感覚は、わずかに熱い。
さっきの光景がまだ残っている。静かすぎる街。整いすぎた人間たち。そして、あの男の目。
『これが、あるべき世界だ』
煙を吐く。夜に溶ける。
「……あるべき、ね」
小さく呟く。否定でも肯定でもない。
ただ、言葉の重さを測るみたいに。
足音がした。軽くもなく、重くもない。規則的で無駄がない。振り返るまでもない、何度も聞いた音。
「こんなところにいたんですね」
テオドーラだった。白と黒の軍服。淡い色の髪。影の中でも、輪郭がはっきりしている。
「……休めと言ったはずだ」
煙をくゆらせたまま言う。
視線は向けない。
「はい」
素直な返事。でも、足は止まらない。
少しだけ距離を置いて、同じ壁にもたれる。
沈黙が落ちる。
しばらくして。
テオドーラが、ぽつりと呟いた。
「……エンバーは、危なかったです」
事実だけを置く声。感情は薄い。
それでも、わずかに揺れている。
ドーナツは、煙を吐く。
「ああ」
短い肯定。それで会話は成立する。
余計な言葉は要らない。
「出力が制御されていませんでした。異常と同調しかけていた」
分析は正確だ。ラプラスと同じ結論。
「……あいつはそういう戦い方だ」
ドーナツの声は低く、淡々としている。
だが、ほんのわずかに硬い。
テオドーラは少しだけ視線を落とす。
「このままでは」
言いかけて、止まる。言葉を選んでいる。
その間を、ドーナツが引き取る。
「いずれ壊れる」
テオドーラは、わずかに頷く。
「はい……。もし、暴走した場合は」
そこで、言葉が途切れる。
何を言うべきか、分かっている。
でも、それを口にする意味も理解している。
だから言わない。
代わりに。ドーナツが答える。
「俺がやる」
短い一言。空気が、わずかに冷える。
テオドーラは、顔を上げる。
その瞳が、ほんの少しだけ揺れる。
「……クロウ」
「お前もだ」ドーナツはぽつりと、続ける。
「例外はない」
それが何を意味するか。
説明は不要だった。
テオドーラは、わずかに息を吸う。そして。
「……了解しました」
静かに答える。その声は、いつも通りだった。
完璧に。
煙が、短くなる。灰が落ちる。
ドーナツはそれを踏み消した。
火が消える。
「戻れ。休め」短い命令。
「……はい」
テオドーラの足音が、遠ざかる。
一人になる。
静寂。
ドーナツは、何もない空間を見ている。
守る。
壊す。
選ぶ。
そのどれもが、同じ重さで、そこにある。
もう一本、取り出すことはしなかった。
ただ、夜だけが、静かに続いていた。




