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微睡みの世界で、まやかしの幸せを  作者: 色葉充音
Part 2 法月綾世の『 』
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02 笑顔の答え

『おいお前、異能者だろ。何気味の悪い笑い方してんだ?』


 エイのぬいぐるみをぎゅっと抱えたまま、小さな先輩は水族館の周りをうろうろとする。時折手元に視線をやってはにこりと笑みを浮かべる。

 先輩よりもずっと背の高い見知らぬ男性に話しかけられるまでは、そうやって楽しそうに歩いていた。


 にたにたと悪意のある笑顔の男性は、一歩、また一歩と近づいていく。小さな先輩は走って逃げようとするけど、すぐに追いついてきた男性から肩を掴まれてしまった。


『は、離して!』

『何気味の悪い笑い方してんだって聞いてるだろ?』


 嫌がっている声を聞く耳なんてものは持たず、一方的に追い詰めていく。ちらほらと気にしている人もいるが、からまれているのが異能者だと分かったら見て見ぬふりをして去って行くの繰り返し。


『……お、おれが笑って、なにがわるいの?』


 震えながらもそう睨みつけた先輩に、男性は大声で笑い出す。幸せだとか嬉しさだとか、そんな前向きなものじゃない。見下して、馬鹿にする(わら)い方だ。それでも負けずに、小さな先輩はじっと視線を動かさない。手の中にはさっき買ってもらったばかりのエイのぬいぐるみが握られていた。


『異能者風情が笑うなんて、悪いに決まってるじゃねぇか。一丁前に人間らしく楽しそうになぁ?』


 エイのぬいぐるみに男性の手が伸びる。「だめ!」と抵抗する先輩の努力も虚しく、ぬいぐるみは簡単に奪われてしまった。


『返して! かえしてよ!』

『なんでだ?』

『それ、おれのおまもりなの! とーさんから買ってもらったものなの!』


 小さな先輩が背伸びをしても届かない位置でぬいぐるみを眺めていた男性はにやりと嗤う。嫌な予感がした。

 ぱっと離されたエイのぬいぐるみは、呆気なく地面に転がる。先輩が手を伸ばすよりも早く、踏み潰そうと男性の足が動いた。


『おい』


 地を這うような声が聞こえて男性の足はぎりぎりのところで止まる。その肩を掴んでいたのは、冷たい怒りあらわにした布目先生だった。目隠しの隙間から見える、金に光る瞳が空気をじりじりと震わせる。


『な、なんだよ……』

『お前、今、何をしようとしていた? オレも異能者なんだ。教えてくれよ』


 先生が怒りを抑えるように笑うと、男性は「ひっ」と情けない声を出して走り去った。


 ふぅ、と息を吐きながら紫色の目隠しを着けた先生は、さっきまでの怒りを消して、落ちていたエイのぬいぐるみを拾う。そして小さな綾世先輩と視線を合わせた。


『災難だったな』


 差し出されたぬいぐるみを受け取りながら、先輩は頷く。優しく土埃を払うその表情は、今にも泣きそうだった。


『……あそこ、座るか』


 自動販売機でリンゴジュースを買って、近くのベンチに2人は座る。先輩は地面を向いたままだ。


『ねぇ、こたろーお兄さん』

『なんだ?』

『……おれたちは、どうして()()()なの? 笑ったらだめなの?』


 絞り出すような言葉にぎゅっと胸が詰まる。どうして私たちは異能者なのか、どうして差別されなければならないのか、どうして幸せになってはいけないのか。何十回も何百回も、考えても考えても答えが出たことはない。


『そうだなぁ……逆に聞くんだが綾世、お前は毎日が楽しいか?』

『……うん、楽しいよ? ナスを食べないといけないこともあるけど、とーさんがいるし。響も、こたろーお兄さんも、ゆきお兄さんだっているから』


 ()()()を思い出して嬉しそうな表情をした先輩に、布目先生は、ははっと笑った。


『そりゃあいい。……そしたら、今笑っていることだって何の問題もないよな?』


 はっとした様子で小さな先輩は表情を暗くする。


『……さっきの人が「笑うな」って言ってた』

『そうか。でも、そう考えるってことは、本当は笑いたいんだろ? 笑いたくなかったら、素直にさっきのヤツの言うことを聞けばいいだけだからな』

『……うん』

『気にするな。あんなヤツの言葉なんて。笑顔でいることを手放すな。異能者(オレたち)にだって、笑顔でいる権利はある』

『……そっか』

『逆に言えば、さっきのヤツに「笑うな」と強制する権利はないからな?』


 布目先生は飄々とした風に笑った。……強い人だ。ずっと考え続けていた難問がこうも簡単に解けてしまった。私たちだって、笑いたければ笑っていいんだ。


『笑顔でいることを、幸せを諦めるなよ?』

『……うん。おれ、あきらめない。こたろーお兄さんありがとう!』


 満面の笑みを浮かべた小さな綾世先輩は、厄が落ちたようだった。先生は「おう」と答えて、唐突に立ち上がって目隠しを外す。


『どうしたの?』

『ちょっと、な』


 これは綾世先輩の記憶。私たちのことは見えていないはずなのに、金色の瞳と視線が絡み合った。


『……もしも、もしもいつかどうしようもなく辛くなった時は、遠慮なくオレを頼れよ? 喜んで巻き込まれてやるから』


 布目先生はいつもみたいな信頼できる笑顔で、半透明な私と綾世先輩に向かって言った。すぐに目隠しを着けて、小さな先輩に向き直る。


『こたろーお兄さん?』

『若葉色と……柘榴色の縁が見えた』

『えん……?』

『綾世がもうちょっと大きくなったら分かるかもな』


 遠くの方から慌てて走ってくる先輩のお父さんと千さんの姿が見えた。


「この後、父さんと千兄さんからしっかり目に叱られたんだよね。エイがまた見たかったのは分かるけど、1人で勝手に行くのはダメだよって。……でも、そっか。あの時、布目先生——琥太郎兄さんが見ていたのって俺たちのことだったんだね」

「……遠慮なく頼れって、言ってましたね」

「……そうだね」


 もう遅いかな、そんな言葉が聞こえてきた気がした。……きっと、遅いだなんてことはない。いつになっても布目先生は「どうした?」って笑いかけてくれる。そんな確信と共に、世界が暗転した。


 エイのぬいぐるみを抱える小さな綾世先輩、その手と手を繋ぐ先輩のお父さん、先輩の頭をくしゃくしゃ撫でる布目先生と、それをやり過ぎ注意だと嗜める千さん。

 笑い合う4人の姿が遠くなっていく。泣きそうな空の匂いがする。

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