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微睡みの世界で、まやかしの幸せを  作者: 色葉充音
Part 1 方波見陽翠の『 』
11/32

10 怪奇の噂

 その日の放課後、綾世先輩と私は寮内のラウンジの一画で課題を片付けていた。1日の授業が終わったばかりのこの時間、寮に戻ってきているのは私たちだけ。詰めたら100人は入れるこの場所も今は貸切状態だ。


 じろじろと視線を送ってくる人がいないのはいいけど、逆に少し落ち着かない。この時間にこの場所で勉強するのを始めてから、もう1週間くらい経つんだけどな。ページをめくる音、ノートにシャーペンが擦れる音……、沈黙の中ではいつもより大きく聞こえる。


「そういえば、陽翠は部活に入らないの?」


 ちょうど課題がひと段落した時、綾世先輩は伸びをしながら聞いてくる。……その笑顔、先輩、私の答えを分かってますね?


「入りたくても入れませんよ」


 苦笑しながら黒のリボンタイを差してみせると、先輩は「だよね」と頷く。黒の異能者が部活に入る、制度的には全く問題ないはずだけど、入ったところで馴染むどころか遠巻きにされる未来しか見えない。部活といういかにも青春な集団には、入りたくても入れない。


「……でも、もし入れるんだったら吹奏楽部に入ってみたいですね」

「そうなの?」

「吹奏楽部ってチームワーク必要そうじゃないですか。『みんなで息を合わせて』みたいなの、やってみたいんですよね」


 一度もやったことがないから。やろうとしてもできないから。黒の異能者の私とは誰も合わせたくないらしいから。いくつもの苦い思い出がよみがえる。


「いいね、確かに俺もやってみたいかも」

「……本当ですか?」


 無理だと、それは難しいと、そう言われるものだとばかり思っていたから。まさか肯定してもらえるなんて。


「うん、本当だよ。……まあ俺だったら、吹奏楽部じゃなくて演劇部に入りたいかな。自分以外の誰かに成り切ってみたいんだよね」


 綾世先輩はどこか遠くの方を見ていた。だけどそれは一瞬だけのこと、すぐにいつものにこにこ笑顔へと切り替わる。……「自分以外の誰か」って「黒の異能者ではない誰か」を指しているのかな。


「私も演劇部、気になります」

「じゃあ一緒に入部届出しに行く?」

「それはまた今度にしておきます」


 その「今度」はきっといつまで経ってもやってこないけど。その言葉は苦笑と共に飲み込んだ。


「そうだ、最近の演劇部といえば怪奇現象の噂だよ」

「怪奇現象ですか……?」

「誰も触ってないはずの備品が移動されていたとか、部室の電気が突然消えてすぐについたとか。そんな些細なものだけどね」


 物がいつの間にか移動する? 電気が勝手に消えてつく? 演劇部の話ではなかったけど、似たような噂をいくつか聞いた覚えがある。それも昨日の夕方から今日という短期間に。


 摩訶不思議な現象を起こす異能者だらけのこの学校で、そんな噂が流れるということは……。思わず身震いをしてしまった。


「陽翠? だいじょう——」


 ——突然、ラウンジの電気が消えた。


「っ!?」


 も、もしかして怪奇現象!? 雨が降りそうな外からの光を頼りに、薄暗いラウンジを見回す。電気のスイッチのところには……誰もいない。


「ぁ、あやせ、せんぱぃ」

「大丈夫、大丈夫。急に消えたね。ちょっとつけてくるからね」


 ……ラウンジの入り口の方からかな、何かが近づいてきている。もちろん、綾世先輩とは別の何か。先輩は電気のスイッチのところに行っていて、たぶん気づいていない。心臓がドクンドクンと存在を主張する。


 ピシャーン、と近づいてくる何かの後ろに稲妻が走った。


「ひぇっ……」


 得体の知れない恐怖に涙がじわりと浮かぶ。もうダメかも……。その時、これか、という綾世先輩の独り言が聞こえたとともにぱっと電気がついた。


「……方波見? お、おい、大丈夫か?」


 その正体は、心配そうにこちらを見ている布目先生だった。それが分かった途端、体中から力が抜ける。安堵のため息を吐きながら瞬きをしたら、下瞼に溜まっていた涙が一粒だけ流れてしまった。


「か、方波見……!?」

「ちょっと先生、陽翠を泣かさないでくださいよ」


 慌てる布目先生を横目に、先輩は「大丈夫?」と寄り添ってくれる。ありがとうございます……。あの、勝手に怖がって勝手に驚いて勝手に泣いただけなので、そんなに心配そうな申し訳なさそうな顔しないでください。なんか、その、……すみません。


 ハンカチで涙を拭いながらその旨を伝えると、二人ともほっと息を吐いていた。


「ところで、布目先生はどうしてここに……?」


 寮母さんならまだしも、先生たちはこの時間校舎にいるのでは……? 入学初日にそう説明されていたはずだ。綾世先輩も少しだけ首を傾げている。何か寮に用事でもあったのかな。


「あーそのことなんだが……方波見は十川と仲がいいよな?」


 布目先生は頬を掻きながら言った。


 ホームルームが終わってすぐ、綾世先輩に付き合ってもらって汐梨ちゃんのお見舞いに行った。もちろん先輩は女子寮の手前まで。


 だけど、汐梨ちゃんは部屋にいなかった。正しくは、ノックしても反応が返ってこなかった。物音も気配もしなかったし、いないで合っているはず。


 布目先生は何か事情を知ってるのかな。


「汐梨ちゃんとは確かに仲がいいですよ……?」

「そうか、そうだよな……。単刀直入に聞く。十川の行方を知らないか?」


 すっと変わった鋭い雰囲気に、思わずごくりと唾を飲んだ。汐梨ちゃんの行方を知らないか、それを私に聞いてきたということは、もしかしなくても布目先生もその事情を知らない? ……それはつまり、汐梨ちゃんの今を誰も知らないということ。


 さっと、顔から血の気が引いた。


「汐梨ちゃんに何かあったんですか……!?」


***


 緑色のリボンで薔薇色の髪を結び、チェック柄のスカートをほんの少し短くアレンジした少女は、寮内のラウンジで顔色を悪くする陽翠を見つめる。その瞳は髪と同じ薔薇色に怪しく光っていた。


「ねぇ、ボクはここにいるよ……?」


 その言葉に反応する者は誰もいない。

 彼女は、冷たい自身の手をぎゅっと握りしめて、祈るように呟いた。


「おねがい……——ボクを見つけて」

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