09 ふたりだけ
「スイちゃーん! 王子様のお迎えだよーっ」
さっきまでの授業で学んだことの整理をしていると、汐梨ちゃんが教室の出入り口の方を指差して教えてくれた。そこにはいつも通り感情の読みにくい笑みを浮かべた綾世先輩がいる。
「わ、本当だ。汐梨ちゃんありがとうね」
「どーいたしまして!」
……それにしても、もうそんな時間? 黒板の横にある時計は、昼休みの開始時間を8分も過ぎていた。チャイムが鳴ってからほんの少し授業が延びた感覚はあったけど予想以上に経っていたらしい。
ひらひらと手を振る綾世先輩に、すぐに行きますの意味を込めて会釈した。教科書とノートを急いで机に片付けて先輩のところまで小走りで行く。
「すみません、お待たせしました」
「全然。ゆっくりで大丈夫だからね。さあ行きましょうか、お姫様?」
……そんなこと言って、みんなからどんな噂されても知りませんよ。じとっと視線を送っても相変わらずのにこにこ笑顔は崩れない。汐梨ちゃんの「王子様」発言をいいことに揶揄われている。……そちらがその気なら、こちらも仕返ししていいですよね。
「お姫様はやめてくださいよ、王子様?」
あ、余裕の笑みから余裕が消えた。よし、作戦成功。私だってやる時はやるんですよ。してやったりと口角が上がる。悪い笑顔になっているはずだ。
「……さすがだ、お姫様には敵わない」
綾世先輩のそのかっこつけた言葉を引き金に、全く同じタイミングで吹き出した。どうしてそんなに真面目なトーンで言えるんですか? 私だったら確実に言いながら笑っちゃいますよ。
ツボにはまって教室の出入り口で笑っていると、周りのみんなから分かりやすく視線を浴びた。先輩もそれが分かったのか、「行こうか」と歩き出す。
食堂に向かって先輩の隣を歩きながらも、あのやり取りを思い出して我慢できずに笑ってしまう。あの「お姫様」をエスコートするような仕草がやけに似合っていたから。異能者じゃなかったら、黒じゃなかったら、きっと綾世先輩は学校の王子様になっている。
……そんな「もしも」、考えたって仕方がないけど。それに、綾世先輩が異能者じゃなかったら今の「綾世先輩」にはなってないだろうし、こうして仲良くなれてもないよね。
私が異能を暴走させて、綾世先輩とのペア行動が始まってからちょうど1週間が経った。
あの時の「仲良くなりたい」との言葉の通り、先輩は、「授業はどうだった?」と話を振ってくれたり、「これ、俺の好物なんだよね」と自分の話をしてくれたり、さっきみたいにいい意味で揶揄ってきたりと歩み寄ろうとしてくれる。そのおかげで揶揄いに仕返しできるくらいには気安い関係になれた。
……と同時に私たちの噂も増えた。学校に2人しかいない黒の異能者が最近ずっと一緒にいる。噂にならないわけがない。
二人で食堂に向かって歩いている今もあちこちから、ちらちらと視線を感じる。
「ねぇ陽翠、俺たちすごく人気者だね」
人気者、ですか? 私たち、人気者というよりかは腫れ物扱いされているように思うけど……。……でも、確かに学校中に知られていて、噂までされているのは人気者とも言えそうだ。
……すごいな、綾世先輩は。そう考えたら今の状況も案外面白いものだって思えてくる。
「そうですね、人気者は色々と大変ですよ」
「どこにいても視線を感じるからなかなか気が休まらないとか?」
「みんなが遠慮して話しかけてくれないとかもありますね」
「人気者にしか分からない悩みだね」
うんうんと頷いて、先輩は言う。人気者にしか分からない悩み、まるで綾世先輩とだけ共有している秘密のよう。なぜだかじんわりと心が温かくなった。
1年生の校舎から出て、少し離れている場所にある食堂へと入ろうとした時、後ろの方から誰かの叫び声が聞こえた。
え、何……? それが聞こえた方向にあるもの——1年生の校舎の2階からは黒い煙が出ている。慌てて振り向いたのは私だけではなかったようだ。周りにいた人たちも不安げにその方向を見ている。そのうちの一人が瞳を光らせて「1年生の暴走だ」と話したのが聞こえた。異能を使って様子を確認したようだ。
1年生の異能の暴走はこの1週間だけでも3回はあった。今年度初だったらしい私の異能の暴走を入れるとこれで4回目だ。ここまで立て続けに起こるとさすがに不安になるが、数日前、綾世先輩と布目先生に聞いたら、毎年こんなものだという回答が返ってきた。例年、2、3人くらいの暴走が入学式直後の1週間で起こる、と。今年は少し多いくらいの認識だとは思ってもみなかった。
「陽翠、行くよ?」
「……あ、はい」
全く気にする素振りのない綾世先輩について食堂に入る。私も3年生になったら慣れるのかな。とりあえず今は、落ち着き払った先輩が羨ましい。
***
あれ、いない? 次の日、1年A組の教室に入ると真っ先に声をかけてくれる汐梨ちゃんがいなかった。汐梨ちゃんの「おはよー!」には毎日のように元気をもらっていたから、少し変な感じだ。
それに確か汐梨ちゃんは、風邪を引いたのは小学生の時が最後だから元気がチャームポイントなんだよねって言っていた。ただの風邪ならまだしも、他に何かあったわけじゃないよね?
左隣の空いた席から視線を逸らしてまた戻してみるけど、汐梨ちゃんが「遅れちゃった」とやってくる、なんて都合のいいことは起こらなかった。……放課後にお見舞い行きたいな。綾世先輩、一緒に来てくれるかな。ペア行動厳守だし先輩が頷いてくれなかったら諦めるしかないけど。
チャイムが鳴ると同時に、普段通りスーツを着こなした布目先生が教室へと入ってくる。
「おはよう。あいにくの曇りだがお前たち、元気かー?」
その声に何人かが反応を返す。
「びみょー」
「元気です!」
「先生なんとかして晴らしてくださいよ」
だけどいつものようには盛り上がらない。汐梨ちゃんがいないからだ。クラス全体を見回した布目先生は私の隣の席を見て、わずかに目を見開く。
「お? 十川は休みなのか?」
誰かが「担任なのになんで知らないんですかー?」と野次を飛ばした。……もしかして、先生も汐梨ちゃんの休みを知らなかった?
「ちょっと待てよ、確認する。……すまん、連絡来てたみたいだ」
タブレットを確認した布目先生は、苦笑しながら謝るように両手を合わせる。知らないわけはない、か。つい勘繰ってしまってできた緊張を息と共に吐き出した。
「さて、十川が盛り上げ力の鬼だと実感したところで、出席取るぞー。他に休みのやつはいないな?」




