#42 魔法倫理学
昼のざわつきがまだ耳の奥に残っていたけど、
1-Eの教室に入った瞬間、その名残は一気に吹き飛んだ。
空気が――重い。
俺の席の近くで瑞翔が不安そうに呟く。
「なぁ……なんか今日、空気重くない……?」
前の席の理紅虎がフェンリルの頭を撫でながら、小さく返した。
「祭吏先生……午後の授業、いつもこんな感じ……。
怒ってるわけじゃないんだけど……怖い」
俺は心の中で同意した。
怖い、というより“冷たい”んだよな。
けど嫌いではない。
その瞬間、教室のドアが――
コン、コン
二度ノックされただけで、空気がひりついた。
ゆっくりドアが開き、黒髪の女性が入ってくる。
高塔 祭吏。
火属性の先生なのに、視線が横にスッと流れただけで、
教室の温度が二度くらい下がった気がした。
「……席につきなさい。午後の魔法倫理学を始めます」
声は静かなのに、胸の奥を掴まれたみたいになる。
魅亜は肩を小さく縮め、
虹矢はそっと額の汗をぬぐい、
瑞翔は首をすくめた。
俺は――まぁ、こういう厳しいタイプ、嫌いじゃない。
祭吏先生は教科書を開きもせず、不意に言った。
「まずは午前の戦闘術。
“調子に乗らないこと”。
勝って浮かれたり、負けて落ち込んだりするのは構いませんが――
それを顔に出すのは未熟です」
瑞翔の肩がビクッと跳ねる。
祭吏先生の目は冷たいまま続く。
「戦闘とは本来、命を奪い合う行為。
訓練の場で“笑える”ほど、生ぬるいものではありません」
魅亜は小さく息を呑み、
理紅虎はフェンリルに頼るように抱きつく。
虹矢は俯いて拳を握った。
そして――
祭吏先生の視線がゆっくりこちらへ滑り、
俺の席で止まった。
「天竜玲磁。
あなた……“時”を使おうとしましたね」
教室がぴたりと止まる。
魅亜が息を殺し、
瑞翔が俺を見る。
俺は肩をすくめた。
「本気じゃなかったですよ。
ちょっと遊びみたいなもんで」
祭吏先生の口元が、わずかに吊り上がる。
「“遊び”で時間に触れる。
普通は一生、思いつきません」
(……だよな)
「あなたは、“自分が異常である自覚”を
もっと真面目に持ちなさい」
周りが一瞬で静まった。
俺は、特に動揺しなかった。
怒られてるというより
“正しく評価された”感覚の方が近かった。
祭吏先生は教科書を閉じたまま言う。
「今日教えるのは――
魔法は“人を殺せる”という事実。
身分も才能も関係ありません。
あなた達全員が、加害者になり得る」
遥花が胸を押さえ、
虹矢は顔をしかめ、
瑞翔は呼吸を乱している。
黒板にチョークが走り始めた。
「――では“対人魔法の原則三条”を書き写しなさい。
手が震えるくらいでちょうどいい」
紙をめくる音が広がる中、
俺は淡々と書き始めた。
(……この先生、嘘をついてないな)
そう思っただけだ。
⸻
板書が終わると、
祭吏先生は教室の前へ立ち、
一人ひとりに視線を落とし始めた。
嫌な予感しかしない。
⸻
「佐々峰 魅亜」
魅亜の肩が跳ねた。
「魔法名家、佐々峰一家の三女。魔力値なら上の2人よりも高い…ですが、
あなた……自分の炎を“怖がっていますね”」
魅亜の呼吸が乱れるのが、後ろからでも分かった。
祭吏先生の声は淡々としてるけど、容赦がない。
「恐れは良い。
ただし、火は怯えた主にもっとも反応する。
不安定な炎ほど危険なものはない」
魅亜は、震える手でスカートを握っていた。
俺は思わず拳を握る。
あいつ、頑張ってるのに。
「今日だけは……怖がる自分を否定しないこと。
それが第一歩です」
魅亜は、涙をこらえるように小さく頷いた。
⸻
次は虹矢。
「二四万 虹矢。非魔法使い出身」
周りがどよめく。魔力を持たずに生まれた人間が後天的に魔法使いになった例は滅多にない。
「あなた、“魔法がない自分”を恥じていますね」
虹矢は机に爪を立てていた。
「努力は尊い。
しかし“無力感を誤魔化すための努力”は続きません」
虹矢が顔を上げた。
悔しさと、どこか納得した色が混ざる。
「あなたの道は、誰よりも険しい。
だからこそ――胸を張りなさい」
虹矢はただ強くうなずいた。
⸻
そして遥花の前で足が止まる。
「桜 遥花」
遥花の肩が震えたのが見えた。
「優しいのは長所です。
しかし“全てを許す優しさ”は、逃げです」
遥花の指先が小刻みに震える。
「あなたは他人を傷つけたくないのではなく……
“傷つける自分を見るのが怖い”だけ」
遥花の目が揺れた。
(……そんな顔、初めて見た)
「優しさは強さになり得る。
ただし、逃げれば弱さに変わる」
遥花は震えながら、でもしっかり頷いた。
⸻
「神無月 理紅虎」
理紅虎は反射的にフェンリルを抱きしめる。
「相棒に頼りすぎです。
彼はあなたを守りすぎる。
召喚獣は――主の鏡です」
理紅虎の表情に影が落ちる。
フェンリルが低く唸り、彼女の肩に鼻先を寄せた。
「本当に大事なら……自分の弱さと向き合いなさい」
理紅虎はこくんと小さく頷いた。
⸻
最後に――
祭吏先生は俺の前で立ち止まった。
教室の空気が一瞬止まる。
「天竜 玲磁」
俺は黒板から目をそらし、視線を返した。
祭吏の真紅の瞳が、刺すように鋭い。
「あなたは……倫理を学ぶ“前提”に立っていません」
クラスがざわりと揺れた。
「あなたは魔法の危険性を理解しすぎている。
だから――
“他者より、自分を信用していない”」
胸が少しだけ痛んだ。
図星だ。
「時魔法の危険を知っているからこそ、
あなたは“自分を抑え込みすぎている”。
境界線を引きすぎている」
俺は息を吸って、静かに言った。
「……否定はしません」
先生の唇が、わずかに緩んだ。
「だからこそ、最も伸び代があるのはあなたかも知れません」
周りの空気がふっと軽くなった気がした。
祭吏先生は黒板へ向き直る。
「――以上が、あなた達1-Eが抱える危険です。
倫理とは“自分の弱さを知ること”から始まります」
瑞翔が胸を押さえながら、小さく吐息を漏らした。
(……怖いけど、この先生……本気で見てくれてるんだな)
そう思った時、
授業はようやく本題に入った。
午後の1-Eは、こうして地獄の門をくぐった。
…そういや瑞翔の奴、何も言われてなかったな。人畜無害すぎてオールオッケーなのか、影が薄すぎて忘れられてたのか。ちょっとずるい。
登場人物紹介
●高塔 祭吏
【性別】女
【適性】火
【担任】2-B
【担当】基礎科目・魔法倫理学
【年齢】45
【髪色】黒
【瞳】真紅
とても厳しく理不尽とも思えるような教師。生徒からは敬遠されている。
言っている内容は公正で、子供の将来を第一に考えている。




