#123 夜が包む
共用学習室の夜は、さらに静かになっていた。
天井灯の柔らかな白光が、
まるでこの机だけを選んだみたいに、俺たちの手元を照らしている。
皓は問題集を前に、まだ唸っている。
さっきまでの「読むと眠くなる」状態からは、
確かに前に進んでる——でも、あと一歩足りない。
俺は横からプリントを抜き取り、
さらっと問題文を読み上げた。
「皓。
これ、“雷撃の伝導距離”の問題だよな?」
皓は鉛筆を咥えたまま、こくりと頷く。
「そうだけどさ……
数字見ても、ピンと来ねぇんだよ。
どんぐらいで威力落ちんのか、想像できねぇ」
「だから——具体的に考える」
「具体的?」
俺は指を鳴らして、
皓の額を軽く弾いた。
「お前、雷撃つときさ。
“この辺まで届くな”って感覚で撃ってんだろ?」
「まあ……だいたいな」
「それと同じ。
この問題は、“その感覚を文字にしてるだけ”だ」
「……?」
俺は椅子を寄せて、
皓の紙の余白に簡単な図を描いた。
皓の雷が一直線に走る線。
途中から薄れていく光。
地面に残る焦げ跡。
威力が落ちるライン。
皓の目が、ぱちぱちと瞬いた。
「……あ。
あー……そういうことか」
「だろ?」
俺はペン先で図を指す。
「お前の雷がどこまで“実用範囲”か、
いつもの感覚で考えろ。
それを数字に置き換えるだけ」
皓の目が、一気に生き返った。
「……なんだよ。
最初からそう言えよ……!」
「言った」
「言ってねぇ!」
「言った。三回は言った」
「聞いてねぇだけかよ……」
ぶつぶつ言いながらも、
皓は問題文を読み直し始める。
その眉は、さっきとは違う。
完全に“解く側の顔”だ。
(よし)
⸻
横を見ると、
陶之介がプリントを睨みつけていた。
静かだけど、
眉間の皺がさっきより深い。
俺はその隣にしゃがみ込む。
「スエ」
目だけが、俺を向く。
「……なんだ」
「お前ってさ。
理屈が通らないと、先に進めないタイプだよな」
一瞬、呼吸が止まったのが分かった。
「……否定はしない」
「ならさ。
今は“文章の表面”に引っ張られてる」
俺はプリントを指でなぞる。
「問題文って、
半分以上は“状況説明”なんだよ。
本当に必要なのは、二行くらい」
陶之介は無言で、
プリントを読み直し始めた。
俺は続ける。
「本質だけ抜き出せ。
飾りは全部捨てろ。
お前なら、それだけで解ける」
しばらくの沈黙。
やがて陶之介は、
赤ペンを取り出し、
文章の大半に線を引いて消し始めた。
——すると。
「……ああ」
声が低く落ちる。
「分かった」
「来た?」
「要点だけ見れば、
構造は単純だ。
この問題、三手で終わる」
俺は頷いた。
「だろ。
お前は読む量が多すぎるんだ」
陶之介の口元が、
ほんの一瞬だけ緩んだ。
「……悪くない」
それで十分だ。
⸻
そのとき、
学習室の扉が小さく軋んだ。
「……あ。
やっぱり、いた」
灰色の頭が覗く。
瑞翔だった。
夕飯帰りらしく、
袖をまくって、鞄を肩にかけたまま入ってくる。
皓が手を上げる。
「おー、瑞翔。
今な、地獄の勉強会やってんだけど」
「混ざる?」
瑞翔は小さく笑って、
俺を見る。
「……俺も学科、安心できるほどじゃないし。
混ざらせて」
陶之介が無言で椅子を引く。
瑞翔はそこに座り、
ノートを開いて、
何も言わずにペンを走らせ始めた。
派手さはない。
天才感もない。
ただ、
“普通の生徒が、ちゃんと頑張る姿”だった。
皓が覗き込んで言う。
「瑞翔、字ちっさ……」
「自覚はあるよ。
でも、この方が頭に入る」
俺は思わず笑った。
「じゃあ、四人でトップ争いだな」
瑞翔は首を振る。
「俺はそこまでは行けないと思う。
でも……前よりは、上に行きたい」
陶之介が淡々と言う。
「それでいい。
勉強は“伸びれば勝ち”だ」
「それ、いいな」
「別に、格言じゃない」
⸻
四人で机を囲む。
皓のノートには雷の図。
陶之介のプリントは赤線だらけ。
瑞翔のノートは細かい文字で埋まっていく。
俺は、その間を行き来する。
共用学習室の空気は、
不思議なくらい温かかった。
——誰も、
このまま終わるつもりはない。
悪ガキトリオは、
本気で“学科トップ3”を取りに行く。
瑞翔もまた、
自分の足で前に進むことを選んだ。
(……いい夜だな)
次、どこまで伸びるか。
それを考えるだけで、少し楽しかった。




