第60話:共に駆け抜けたあの日
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午前6時。
関東の山沿いにあるこの辺りは、都会とは一味違う冬の厳しさがあった。
夜の間にしんしんと降り積もった雪が、駐車場を白く染め上げ、昇り始めたばかりの太陽がそれを眩しいほどに照らしている。
「新見さん、大丈夫…?顔、真っ白だよ」
「はい…。大丈夫、です。たぶん」
隣で品出しをしている香坂さんの声が、遠くの方で聞こえる。
今日は珍しく深夜にもお客さんが途切れず、私たちは息をつく暇もなく早朝の『地獄の品出し』に突入していた。
寝不足でぼーっとした頭を、なんとか冷たい空気で叩き起こす。
ピポピポピポピポ……。
間の抜けた入店メロディが、静かな店内に響き渡る。
「いらっしゃいませー!!…あ、新見さん、こっちは僕がやるから、レジお願い!」
「あ、はい…いらっしゃいませ!」
これから恐怖の通学・通勤時間帯だ。
それまでにこの商品の山を片付けて、コーヒーマシンのメンテナンスをして、フライヤーの温度を上げて、清掃をして…。
やるべきタスクが、私の貧弱なキャパシティをとうに超えて溢れ出していた。
「…お会計891円です!イッヌペイですね、少々お待ちください」
ガウガウ!……クゥーン……。
レジから流れる犬の鳴き声をBGMに、私は機械的に手を動かす。
正直、こんな極限状態ではキャッシュレス決済が何よりの救いだった。
お釣りを渡す手間がないだけで、考える負荷がぐっと下がる。
「ありがとうございましたー!」
「…あ、そういえば」
商品の陳列を終えた香坂さんが、フラフラとした足取りでバックヤードから巨大な段ボールを抱えて戻ってきた。
「新見さん、三番くじ…。今日から開始だって、店長が言ってたよね…」
「あ…。…あぁぁ、そうでした」
香坂さんが開封したのは、『チートスキル【完全理解】で異世界無双……しているはずなのに、女神の顔が思い出せない』、通称『鬼畜ルナ』の三番くじ。
最近、SNSを中心に人気を博している話題作だ。
「…香坂さん。今日発売ってことは、…朝イチ組が、もう……」
「…あ……あぁ……」
二人で恐る恐る外を見ると、駐車場にはいつの間にか数台の車が停まっていて、開店待ちのハンターたちが中の様子をギラついた目で見守っていた。
通勤ラッシュにくわえて、くじ引きの行列…。
お父さん、お母さん、ごめん…。
私、もうおうちに帰れないかもしれない……。
「…それでも、それでもやるしかない。やってみせろよ!コータ!」
香坂さんが、死にかけの魚のような目をして、でも力強く拳を握った。
その瞬間。
ピポピポピポピポ……。
自動ドアが開き、私たちの今日最後の、そして最大の戦いが幕を開けた。
◇
午前8時。
ようやく朝シフトの人が現れ、引継ぎを終えた私たち。
この終わらない悪夢のようなダブルシフトから解放された。
あれからは、正直あまり記憶がない。
溢れかえる通勤通学客に、A賞が出るまで帰ろうとしない「鬼畜ルナ」のファンたち。
揚げているニジュチキを横で見守りつつ、同時に領収書の発行と宅急便の受付をこなした記憶が、断片的な映像としてリフレインしている。
「……ふわぁ…」
私はコンビニの前の、真っ白に染まった駐車場の縁に座り込み、朝の冷たい空気を胸いっぱい吸い込んだ。
肺の中が洗われるような気がして、少しだけ人間らしさを取り戻した気分…。
「…はい、新見さん。ブラックでよかったっけ?」
目の前に、紙コップが差し出された。
「…ありがとうございます、香坂さん」
先ほど、自分たちでピカピカに磨き上げたコーヒーマシンで最初に淹れたコーヒー。
香坂さんが「ご馳走するよ」と言って買ってくれたものだ。
「…大変だったね。本当に」
「はい。…途中、何度かそのまま帰っちゃおうかなって思いましたよ」
「はは……。僕一人残して逃げるなんて、ひどいよ」
香坂さんは生気のない目で、それでもにっこりと笑った。
諦めない、真面目な姿勢がとても頼もしくて、誰よりも頼もしい戦友のそれに見えた。
「でも、無事に終えられた。
明けない夜はないんだ。終わらないバイトもない。シフト終了だ」
シフト終了…。
身体は重いけど、なんだかやり遂げた、すがすがしい気持ち。
昨日よりずっと、世界がクリアに見える。
友達…っていうのとは、少し違う。
地獄を共に歩いた者にしか分からない、言葉を超えた何か。
「…じゃあ、帰ろうか。…新見さん、気を付けてね」
「はい。香坂さんも、本当にお疲れ様でした!」
雪に反射する朝日の中、香坂さんの背中が頼もしく見えた。
私は、飲み干したコーヒーの熱い感覚を胸に残しながら、帰り道を歩き始めた。
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