第49話:鎖の静寂に陽が沈む
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演習場が大岩の消滅と、その後の「暴走」に揺れたあの日から数日。
ヴォルカニア帝国、イグニス軍司令部の最上階にある総司令室には、重苦しい沈黙が流れていた。
「…エンバー。ここへ呼ばれた理由は、分かっているな」
執務机に肘をつき、組んだ指の隙間から鋭い眼光を放つのは、総司令イグナート。
その正面で、普段の傲慢な態度はどこへやら、視線を泳がせながら直立不動で立っているのはエンバーだった。
肩に担いだ魔導棍こそないものの、その野性味あふれる風貌は、この静謐な室内では酷く場違いに見える。
「…っす」
「あれは、お前の手に負える代物ではないと言ったはずだ。
お前に持たせている魔導具も、まだ量産体制に入っているわけではない。
特にお前の使っている演算回路――『弐式』は…」
「分かってるって…!イグナートさん…つい、身体が動いちまったんだ」
イグナートの言葉を遮るように、エンバーはバツが悪そうに頭を掻いた。
総司令に対して「さん」付け。
しかし、その不遜な態度は、二人の間に流れる奇妙な信頼関係の裏返しでもあった。
「はぁ。…全く、お前は昔から何も変わらないな。
…お前を拾ってから、もう10年ぐらいになるか」
「…昔の話はやめてくれよ。あんまり良い思い出じゃねぇんだからさァ」
エンバーは顔を歪め、記憶の底に沈んでいた「あの日」の情景を思い出した。
◇
10年前。
ヴォルカニア、スラム街。
当時、イグニス軍の大尉であったイグナートは、ある任務を終え、数人の側近と共に司令部への帰還の途についていた。
腐った残飯の臭いと、湿った石畳の冷気。
それがスラムの日常だった。
「大尉。この後は小休止の後、准将への報告がございます。……大尉?」
側近の言葉を遮り、イグナートは足を止めた。
彼女の視線の先では、スラムの日常茶飯事であるはずの「争い」が起きていた。
だが、その光景は明らかに常軌を逸していた。
「ぐふっ!」
「がぁぁっ!!」
鈍い打撃音と共に、大人たちが次々とゴミの山へと沈んでいく。
二十人を超える薄汚れた浮浪者や野盗の集団を相手に、たった二人の、十代そこそこの少年たちが大立ち回りを演じていたのだ。
足元には、すでにのされた数十人の男たちが折り重なって転がっている。
「ほう…?」
イグナートは唇を歪め、興味深そうにその光景を観察し始めた。
「ガキが…!俺達に逆らうんじゃねぇ!」
「エンバー、後ろだ!」
灰色の髪の少年――アッシュが、鋭い声で叫んだ。
「がっ…!クソがぁ!!」
背後から振り下ろされた角材の一撃を、オレンジ色の髪の少年――エンバーは、寸前で背中で受けると、その痛みさえ推進力に変えて、後ろの男に強烈な裏拳を叩き込んだ。
その動きには型こそないが、天性の野性味と、ギリギリの環境で磨かれた戦闘のセンスが宿っていた。
「…お前で、終わりだ」
アッシュは、最後の一人に無駄のない動きで接近し、最短距離で強烈なボディブローを叩き込んだ。
大柄な男の身体が「く」の字に折れ曲がり、その場に崩れ落ちる。
それと同時に、残された二人の少年も、限界だったのだろう。
真っ赤に染まった拳を震わせ、その場に膝をついた。
「はぁ…。はぁ、はぁっ…。…アッシュ、やってやったぜ……」
「…あぁ…」
イグナートは、その一部始終を見届けると、音もなく少年たちに歩み寄った。
「あの、大尉…?」
側近の制止を無視し、彼女は少年たちの目の前で、大仰に拍手をして賛辞を贈った。
「見事だったよ、少年たち。…その歳で、これだけの数の大人を無力化できる人間は、軍の正規兵でも稀だ」
「…なんだ、お前。……軍のお偉いさんが、俺たちに何の用だ」
エンバーは、満身創痍の身体を無理やり引きずり起こすと、鋭い目つきでイグナートを睨みつけた。
その瞳には、ヴォルカニアという国家そのものへの、深い憎悪の炎がゆらめいている。
「おい、お前たち!この方は――」
「構わない。…君たちは筋がいい。どうだ、私の所で鍛えてみないかね?その牙、ゴミの中で腐らせるには惜しい」
イグナートの物言いには、選民的な傲慢さが混じっていた。
それがエンバーの逆鱗に触れた。
「…女の分際で、偉そうに…! お前ら軍人がのうのうとメシを食ってるせいで、俺たちは…!!」
「エンバー、やめろ。相手が悪い。…殺されるぞ」
アッシュがエンバーの肩を掴み、諫める。
「お前が死んだら…誰が…」
その言葉に、エンバーの肩がピクリと震えた。
「何か、事情があるようだね。…衣食住。そして、さらなる『力』。…私の元へ来るなら、その全てを保証しよう」
「お前には関係ねェ!ぶっ殺してやる!!」
エンバーは激昂し、反射的にイグナートへと殴りかかった。
だが、イグナートは一瞥するだけで迷いなく踏み込み、彼の足を引っかけた。
無駄のない柔の動き。エンバーの身体は宙を舞い、土の上を盛大に転がった。
「…ぐっ。…ナメ、やがって…!」
「エンバー、待て」
アッシュは二人の間に、よろよろと割って入った。
彼は一度地面に跪き、泥に汚れた顔を上げて、イグナートの瞳をじっと見つめた。
「…俺はアッシュと言います。こいつはエンバー。…生まれてからずっと、このスラムで暮らしています」
「だろうね。…見れば分かるよ」
「…こいつ…エンバーには、妹がいます」
「おい、アッシュ!何勝手なことほざいてんだ…!」
「お前は黙ってろ!…俺たちが軍に入れば、妹は…ルミナは、まともな生活ができますか?」
アッシュの言葉に、イグナートは満足そうに口角を上げた。
「もちろん。彼女のことは、我々が責任を持って保護しよう。
…療養施設も、食事も、君たちの働き次第でいくらでも用意してあげよう」
ニヤリと笑うイグナートの表情は、慈父のそれではなく、冷酷な商人のそれだった。
エンバーは悔しさに奥歯を噛み締め、震える声で問いかけた。
「…おい。…本当か?……信じられるのかよ」
「私は、自分との契約に背く趣味はないよ」
有無を言わさぬ王者の空気に、流石のエンバーも気圧されてしまう。
「…エンバー。…俺たちに行く先はない。……一人でも、俺は行くぞ」
アッシュの決意に、エンバーは観念したように、項垂れた。
「…アッシュ。あぁ、分かったよ。
…おい、あんた。約束を破ったら、分かってるな。
…その綺麗な顔、ズタズタにしてやるからな」
「あぁ…いつでも私の首を取りに来たまえ」
◇
「――ルミナさんは、元気にやってるのかい?
確か……今は後方支援の庶務の方だったかな」
現在。
イグナートの問いに、エンバーはどこか憑き物が落ちたような、穏やかな顔で答えた。
「あぁ。軍のオフィスで、今日も帳簿とにらめっこしてるよ。
…あんたのおかげだ、イグナートさん。
…あの地獄の訓練は、今思い出してもゲロ吐きそうな気分になるけどなァ」
エンバーは自嘲気味に笑い、自分の右手の拳を握りしめた。
あの時、スラムの泥を啜っていた少年は、今や帝国の精鋭部隊の主力となっていた。
「妹さんのためにも、自分の命、そして支給された道具は大事にしたまえよ」
「…わかってるよ。…もう、あいつには喧嘩は売らねぇ…」
エンバーは総司令室の大きな窓から、ヴォルカニアの街を見ていた
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