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箱庭少女のロジック 〜かつて世界を滅ぼした最強のオートマタは僕の指示しか聞かないらしい〜  作者: 邑沢 迅
ニーナ編

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第49話:鎖の静寂に陽が沈む

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 演習場が大岩の消滅と、その後の「暴走」に揺れたあの日から数日。

 ヴォルカニア帝国、イグニス軍司令部の最上階にある総司令室には、重苦しい沈黙が流れていた。


「…エンバー。ここへ呼ばれた理由は、分かっているな」


 執務机に肘をつき、組んだ指の隙間から鋭い眼光を放つのは、総司令イグナート。

 その正面で、普段の傲慢な態度はどこへやら、視線を泳がせながら直立不動で立っているのはエンバーだった。

 肩に担いだ魔導棍クラブこそないものの、その野性味あふれる風貌は、この静謐な室内では酷く場違いに見える。


「…っす」


「あれは、お前の手に負える代物ではないと言ったはずだ。

 お前に持たせている魔導具も、まだ量産体制に入っているわけではない。

 特にお前の使っている演算回路――『弐式』は…」


「分かってるって…!イグナートさん…つい、身体が動いちまったんだ」


 イグナートの言葉を遮るように、エンバーはバツが悪そうに頭を掻いた。

 総司令に対して「さん」付け。

 しかし、その不遜な態度は、二人の間に流れる奇妙な信頼関係の裏返しでもあった。


「はぁ。…全く、お前は昔から何も変わらないな。

 …お前を拾ってから、もう10年ぐらいになるか」


「…昔の話はやめてくれよ。あんまり良い思い出じゃねぇんだからさァ」


 エンバーは顔を歪め、記憶の底に沈んでいた「あの日」の情景を思い出した。



 10年前。

 ヴォルカニア、スラム街。


 当時、イグニス軍の大尉であったイグナートは、ある任務を終え、数人の側近と共に司令部への帰還の途についていた。

 腐った残飯の臭いと、湿った石畳の冷気。

 それがスラムの日常だった。


「大尉。この後は小休止の後、准将への報告がございます。……大尉?」


 側近の言葉を遮り、イグナートは足を止めた。

 彼女の視線の先では、スラムの日常茶飯事であるはずの「争い」が起きていた。

 だが、その光景は明らかに常軌を逸していた。


「ぐふっ!」

「がぁぁっ!!」


 鈍い打撃音と共に、大人たちが次々とゴミの山へと沈んでいく。

 二十人を超える薄汚れた浮浪者や野盗の集団を相手に、たった二人の、十代そこそこの少年たちが大立ち回りを演じていたのだ。

 足元には、すでにのされた数十人の男たちが折り重なって転がっている。


「ほう…?」


 イグナートは唇を歪め、興味深そうにその光景を観察し始めた。


「ガキが…!俺達に逆らうんじゃねぇ!」

「エンバー、後ろだ!」


 灰色の髪の少年――アッシュが、鋭い声で叫んだ。


「がっ…!クソがぁ!!」


 背後から振り下ろされた角材の一撃を、オレンジ色の髪の少年――エンバーは、寸前で背中で受けると、その痛みさえ推進力に変えて、後ろの男に強烈な裏拳を叩き込んだ。

 その動きには型こそないが、天性の野性味と、ギリギリの環境で磨かれた戦闘のセンスが宿っていた。


「…お前で、終わりだ」


 アッシュは、最後の一人に無駄のない動きで接近し、最短距離で強烈なボディブローを叩き込んだ。

 大柄な男の身体が「く」の字に折れ曲がり、その場に崩れ落ちる。


 それと同時に、残された二人の少年も、限界だったのだろう。

 真っ赤に染まった拳を震わせ、その場に膝をついた。


「はぁ…。はぁ、はぁっ…。…アッシュ、やってやったぜ……」


「…あぁ…」


 イグナートは、その一部始終を見届けると、音もなく少年たちに歩み寄った。


「あの、大尉…?」


 側近の制止を無視し、彼女は少年たちの目の前で、大仰に拍手をして賛辞を贈った。


「見事だったよ、少年たち。…その歳で、これだけの数の大人を無力化できる人間は、軍の正規兵でも稀だ」


「…なんだ、お前。……軍のお偉いさんが、俺たちに何の用だ」


 エンバーは、満身創痍の身体を無理やり引きずり起こすと、鋭い目つきでイグナートを睨みつけた。

 その瞳には、ヴォルカニアという国家そのものへの、深い憎悪の炎がゆらめいている。


「おい、お前たち!この方は――」


「構わない。…君たちは筋がいい。どうだ、私の所で鍛えてみないかね?その牙、ゴミの中で腐らせるには惜しい」


 イグナートの物言いには、選民的な傲慢さが混じっていた。

 それがエンバーの逆鱗に触れた。


「…女の分際で、偉そうに…! お前ら軍人がのうのうとメシを食ってるせいで、俺たちは…!!」

「エンバー、やめろ。相手が悪い。…殺されるぞ」


 アッシュがエンバーの肩を掴み、諫める。


「お前が死んだら…誰が…」


 その言葉に、エンバーの肩がピクリと震えた。


「何か、事情があるようだね。…衣食住。そして、さらなる『力』。…私の元へ来るなら、その全てを保証しよう」


「お前には関係ねェ!ぶっ殺してやる!!」


 エンバーは激昂し、反射的にイグナートへと殴りかかった。

 だが、イグナートは一瞥するだけで迷いなく踏み込み、彼の足を引っかけた。

 無駄のない柔の動き。エンバーの身体は宙を舞い、土の上を盛大に転がった。


「…ぐっ。…ナメ、やがって…!」

「エンバー、待て」


 アッシュは二人の間に、よろよろと割って入った。

 彼は一度地面に跪き、泥に汚れた顔を上げて、イグナートの瞳をじっと見つめた。


「…俺はアッシュと言います。こいつはエンバー。…生まれてからずっと、このスラムで暮らしています」


「だろうね。…見れば分かるよ」


「…こいつ…エンバーには、妹がいます」

「おい、アッシュ!何勝手なことほざいてんだ…!」


「お前は黙ってろ!…俺たちが軍に入れば、妹は…ルミナは、まともな生活ができますか?」


 アッシュの言葉に、イグナートは満足そうに口角を上げた。


「もちろん。彼女のことは、我々が責任を持って保護しよう。

 …療養施設も、食事も、君たちの働き次第でいくらでも用意してあげよう」


 ニヤリと笑うイグナートの表情は、慈父のそれではなく、冷酷な商人のそれだった。

 エンバーは悔しさに奥歯を噛み締め、震える声で問いかけた。


「…おい。…本当か?……信じられるのかよ」

「私は、自分との契約に背く趣味はないよ」


 有無を言わさぬ王者の空気に、流石のエンバーも気圧されてしまう。


「…エンバー。…俺たちに行く先はない。……一人でも、俺は行くぞ」


アッシュの決意に、エンバーは観念したように、項垂れた。


「…アッシュ。あぁ、分かったよ。

 …おい、あんた。約束を破ったら、分かってるな。

 …その綺麗な顔、ズタズタにしてやるからな」


「あぁ…いつでも私の首を取りに来たまえ」



「――ルミナさんは、元気にやってるのかい?

 確か……今は後方支援の庶務の方だったかな」


 現在。

 イグナートの問いに、エンバーはどこか憑き物が落ちたような、穏やかな顔で答えた。


「あぁ。軍のオフィスで、今日も帳簿とにらめっこしてるよ。

 …あんたのおかげだ、イグナートさん。

 …あの地獄の訓練は、今思い出してもゲロ吐きそうな気分になるけどなァ」


 エンバーは自嘲気味に笑い、自分の右手の拳を握りしめた。

 あの時、スラムの泥を啜っていた少年は、今や帝国の精鋭部隊の主力となっていた。


「妹さんのためにも、自分の命、そして支給された道具は大事にしたまえよ」


「…わかってるよ。…もう、あいつには喧嘩は売らねぇ…」


 エンバーは総司令室の大きな窓から、ヴォルカニアの街を見ていた


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