第123話:希望に満ちた未来を
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僕はホテルの自室で、ベッドに寝転がりながら一人で静かに本を読んで過ごしていた。
午前中にアルテアがニーナさんに連れ出されていった後、僕は特にやることもなく、一人でリュミエールの街をブラブラと散策していたのだ。
芸術と美食が発達しているというこの街は、通りを歩いているだけでも様々な意匠の建物が目を楽しませてくれた。ふらりと立ち寄った本屋には、読み応えのありそうな小説が色々と並んでいて、僕は読書用に何冊か買い込んできたのだった。
今は、その中の一冊、短編小説をちょうど読み終えたところだ。
ある死刑囚の最期の日々を淡々と描いた話――。
「この小説、主人公の名前も、どんな罪を犯したのかも、最後まで何も明かされないままなんだな…。でも、なんだか妙に考えさせられるというか、胸に刺さる…」
余韻に浸りながらパタン、と本を閉じ、天井を見上げて小さく息を吐く。
コンコン、と。
そんな静寂を破るように、部屋のドアが控えめにノックされた。
『――コータさん、ニーナです』
あ、アルテアを連れて戻ってきたのかな。
窓の外を見ると、すっかり夜の帷が降りていた。
「はーい、今開けるね」
僕はベッドから跳ね起き、本をサイドテーブルに置いて扉を開いた。
「ただいま戻りました」
そこには、一日中歩き回ったせいか若干の疲労を滲ませながらも、どこか嬉しそうににっこりと微笑むニーナさんの姿があった。何か、よほど楽しいことでもあったのだろうか。
そして、そのすぐ後ろには、いつも通りの無表情なアルテアと、ジリウスが従うように浮いていた。
「おかえり。アルテアは大丈夫だった?ニーナさんに迷惑かけなかった?」
「うん、あ…それで、あの、ちょっとコータさんにお話が…」
「改まってどうしたの?部屋、ちょっと散らかってるけど…どうぞ」
僕がドアを大きく開けて招き入れた途端、ニーナさんはなぜか急に顔を真っ赤にして、視線を泳がせながらうつむいてしまった。
どうしたのだろう。妙に緊張した空気を漂わせる彼女を、僕は不思議に思いながら部屋の奥のスペースへと案内した。
ふかふかのソファに並んで腰掛け、僕は改めて彼女の顔を覗き込む。
「で、話って一体?」
「あの…ね、その……ええと、コータさん……」
さっきまでの勢いはどこへやら、下を向いたまま指先をモジモジと動かし、急に要領を得なくなってしまうニーナさん。その様子を、ジリウスがすぐ横から生真面目な顔で観察していた。
「ニーナ。急激な心拍数の上昇および発汗を確認。言語出力の効率が著しく低下しています。非効率ですので、私から用件を伝達――」
「もうっ、ジリウスさんは静かにしててください!私が話すから!」
「――了解」
ニーナさんの凄まじい剣幕に押されて、しゅんとした雰囲気を醸し出した。表情は変わらないけれど、彼もだいぶ人間くさいリアクションを覚えるようになってきているらしい。
そんな二人のやり取りに僕が少し和んでいると、ニーナさんは意を決したように顔を上げ、持っていた小さな、上品な包装の箱をテーブルの上へとそっと置いた。
「コータさん。あの、これ……よかったら受け取ってください」
「え? 僕に…?ありがとう、開けてもいい?」
首を傾げながらその箱を手に取り、丁寧に蓋を開ける。
中に鎮座していたのは、鈍い光を放つ一本の美しい首飾りだった。
「これは…ペンダント…?花、の形、みたいな……」
細緻な職人技で繊細な花の意匠が彫り込まれた、綺麗な銀のペンダントトップ。その中央には、小さな青い宝石が静かにきらめいていた。
「あの…お誕生日の、プレゼントです。こっちの世界に来てから、コータさんにはいつも助けてもらってばっかりだったから…。これまでのお礼も込めて、改めて、お祝いさせてください」
「誕生日…?」
ニーナさんの言葉に、僕はその言葉を繰り返してしまった。
脳内のカレンダーを必死に手繰り寄せ、あ、と声を漏らす。本当だ。元の世界の感覚で言えば、まさに今日が僕の生まれた日だった。この世界にきてから、命がけの事件やトラブルが次から次へと起こりすぎて、僕本人ですら自分の誕生日のことなんて完全に忘れていた。
「その彫られている花は、すずらん、なんです。リュミエールでは、大事な人にすずらんの花を贈って感謝を伝える風習があるってオーギュストさんから聞いて…。花言葉は、『幸せの再来』。イグナートさんの件とか、太陽事件とか、本当に大変なことばかりだったから……コータさんに、たくさんの幸せが戻ってきますようにって」
少し照れくさそうに、だけど真っ直ぐに僕を見つめて紡がれるニーナさんの言葉。
まさか、今日一日かけて出かけていたのは、僕のためにわざわざこれを探し、考えてくれていたからだったのか。
胸の奥から温かいものが一気に込み上げてきて、気恥ずかしさと、それ以上の圧倒的な嬉しさで、上手い言葉がどうしても出てこない。
「…あの、コータさん?もしかして、嫌、だった……?」
僕の沈黙を悪い方に捉えてしまったのか、ニーナさんが不安そうに眉を下げる。
「いや!違うよ!嫌なわけないよ!…ただ、すごく驚いたというか、なんて言えばいいか分からないくらい嬉しくて。…あ、ありがとう、ニーナさん。さっそく、付けてみてもいいかな」
「ええ、もちろん!」
ぱっと表情を明るくしたニーナさんに見守られながら、僕は細い銀のチェーンを持ち上げ、ゆっくりと首にかけた。普段、アクセサリーなんて滅多に身につけたことがないから、少しだけ緊張で手が震えてしまう。
胸元に触れる銀の冷たさが、なんだか心地よかった。
「本当にありがとう。…ずっと、大事にするよ」
「ふふ、実はね、もう一つあるんです」
ニーナさんはそう言って悪戯っぽく笑うと、ポケットから全く同じデザインの、小さなすずらんのペンダントを取り出した。そして、僕の隣でじっとこちらの様子を伺っていたアルテアの、その細い首元にそっとかけてあげたのだ。
「ニーナ?」
アルテアが不思議そうに胸元の銀の輝きを見つめる。
「アルテアさん、これからも、コータさんのことを傍で支えてあげてね」
ニッコリと、優しい微笑みを浮かべるニーナさん。
すると、アルテアはその無機質な瞳を小さく明滅させながら、ニーナさんの顔へとゆっくりと近づいていき――。
「えっ……」
あろうことか、アルテアは小さな背伸びをするようにして、ニーナさんの頬に、ちゅ、と小さく唇を寄せた。
あまりにも埒外の、1ミリも予測できなかった突然の出来事に、僕も、そして当事者であるニーナさんすらも、完全に声を失ってその場で硬直した。
当のアルテアだけは、何事もなかったかのようにすっと身体を引くと、いつもの淡々とした無表情のまま、トーンの変わらない声で言った。
「ベアトリスがマルセルと子供らへ行なっており、親愛の情を表現する際、このような接触を行うのだと理解した。演算の結果、このタイミングでの実行が最適であると判断した。――ありがとう、ニーナ」
「……っ!」
顔を真っ赤にして固まっていたニーナさんは、やがて視線を潤ませながら、これ以上ないくらいの幸せそうな笑顔を咲かせた。
「…うん!どういたしまして、アルテアさん!」
部屋の外では、リュミエールの美しい夜景が静かに広がっている。僕の胸元で微かに揺れる銀のすずらんは、これから訪れるどんな困難をも乗り越えられるような、そんな温かい勇気を僕に与えてくれている気がした。
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