第112話:不合理の存在論
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「…………断る」
喉に張り付いた恐怖を、力ずくで押し殺して僕は言った。
クロニカの放つ絶望的な重圧に、全身の細胞が逃げろと叫んでいる。けれど、ここで引くわけにはいかない。
「ほう?」
「皆が、この世界で懸命に生きているんだ。それを…簡単に消させたりはしない。僕には、その責任がある」
「責任、かね。この『箱庭』の住人でもない君が、何を背負うというのかね」
「アルテアという、圧倒的な力を持った責任だ。クロニカ…お前は自分で、世界をめちゃくちゃにしたんだろ。何があったか知らないけど、そんなのはお前の勝手だ」
その時。これまで沈黙を通してきたアルテアが、僕の前にふわりと割って入った。
彼女は瞳を明滅させながら、淡々と、自らの意見を言葉にした。
「彼、クロニカの主張は、我々執行端末の初期プロトコルである『文明の初期化』と完全に一致する。論理的な破綻はない。この世界が停滞した不完全なプログラムであるという指摘も、観測データ上は正しい」
「アルテア…?」
「だが。私の神性魔導演算回路が、クロニカの言葉を拒絶している。この感覚を言語化するなら――『不快』だ」
アルテアは、僕を守るようにふわりと前に出て、クロニカを正面から見据えた。
「世界が消滅するということは、コータが、皆が、人類がすべて失われると同義。それを『慈悲』と定義することは、今の私には不可能だ。私は、コータと共に歩むこの非合理な時間を優先する」
アルテアが、自身の存在理由そのものを否定し、僕を選んでくれた。
仮面で表情は窺えないけど、クロニカの纏う空気が、心底驚いたように微かに揺れる。
すると、ニーナさんの肩を抱いて支えていたジリウスも、静かに口を開いた。
「クロニカ。あなたの思想は、我々が造られた理由そのものを体現している。すべてを消せば痛みは消える。それは計算上、最も効率的な救済です」
ニーナさんが、信じられないものを見るような表情でジリウスを見上げた。
「だが、ニーナの心拍数は上がり、激しい恐怖を感じている。私がすべきことは、彼女を『無』に還すことではありません。私はニーナの執行端末。ニーナの意志を優先します」
「ジリウス、さん…」
「…ふふ…ははは!はっはっは!!」
資料室に、クロニカの狂気じみた高笑いが響き渡った。
彼は心底可笑しくてたまらないといった様子で、肩を震わせる。
「コータ君、ニーナ君!君たちは本当に面白い! 執行端末に『心』を教え込むだなんて。神のプログラムにも、致命的な脆弱性があったというわけだ」
「クロニカ。無に帰すという回答は合理的であり、破綻はない。だが私は、コータと共にエテリスの行く末を見届けるほうが、データとしては有用であると判断する」
「ニーナの『赦し』は、あなたの言う『無』よりも遥かに不快感がありません。クロニカ、あなたが世界を消そうというのなら、私はニーナと共に、あなたを否定します」
二人の確固たる宣言に、クロニカの雰囲気が一変した。
先ほどまでの芝居がかった余裕が消え、そこには憎しみを限界まで煮詰めてぶちまけたような、悍ましい毒気が渦巻いている。
「…そうか。ならば私は、私なりのやり方を貫かせてもらおう」
「アルテア!」
「ジリウスさん!」
僕たちが臨戦態勢を取った、その刹那。
「また会おう、諸君…。精々、その『心』という名の呪いを楽しんでくれたまえ」
クロニカの姿は、光の粒子が飛び散るように、不気味に、そして呆気なく消えてしまった。
圧倒的な威圧感が消え、張り詰めていた糸が切れる。
膝の力が抜け、床に崩れ落ちそうになった僕の体を、アルテアが支えてくれた。
「…アルテア。ありがとう」
僕を支えるアルテアの手には、確かな体温のような温かさを感じた。
アルテアも、ジリウスも。本当に、心を理解し始めている。
クロニカという、世界そのものを終わらせようとする恐怖。でも、二人がいれば、抗うことができるはずだ。
これ以上心強い味方は、どこにもいない。
僕とニーナさんは、互いの決意を確認し合うように目を見合わせた。
僕たちは僕たちのやり方で、あの仮面の男に抗ってみせる。
それが、この世界に選ばれた僕の、監視端末としての責任だと思うから。
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