第107話:許せない相手でも
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「やあ、コータ君。ご機嫌はいかがかな」
立ち上がったコータさんに向けて、イグナートさんはこともなげに言い放った。まるで、街角で偶然会った知り合いに挨拶でもするかのような、あまりに不釣り合いな軽さ。法廷の重苦しい空気が、その一言でさらに冷え切ったのがわかった。
「被告、静粛に」
マクシミリアンさんの制止が響く。
コータさんは、一呼吸、二呼吸と深く息を置いてから、静かに話し始めた。
「僕は、アルテア強奪事件も、太陽事件も、当事者として彼女と対峙しています」
アルテアさんの強奪…。私はその時、まだこの世界にいなかったから、詳しいことはわからない。けれど、後で聞いた話では、コータさんはあの時、死んでもおかしくないような大怪我を負ったという。
そんな目に合わされた相手を前にして、どうしてそんなに落ち着いていられるんだろう。握りしめた自分の手が、少しだけ震える。
「ご存じの方もいるかと思いますが、僕はこの世界の生まれではありません。僕が生まれた国は、とても平和で…実際の『戦争』というものを、肌で感じたこともないです。どこか、遠い物語を見ているような…そんな認識でした」
そう、コータさんの言う通りだ。
ネットニュースやテレビで流れる、海の向こうの紛争。日本にいた頃の私たちにとって、争いとは画面の向こう側の出来事でしかなかった。
「でも、確かに多かれ少なかれ、どちらの世界にも争いがある。…イグナートは、最低な人間だ。人の物を、人の尊厳を奪い、私物化し、あまつさえ新世界の神になろうと目論んだ」
コータ君の厳しい言葉に、イグナートさんがニヤリと、獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべる。
「争いの火種は、貧困や格差、いろいろあると思います。好んで争う人もいるかもしれない。けれど、それを無くそうとしている人も、確かにはいるはずなんです」
コータ君の視線は、真っ直ぐにイグナートさんを射抜いている。
「イグナートは――」
そこでコータ君は一度言葉を切ると、心の底から吐き出すように言った。
「――後者だ」
「ほう…?」
イグナートさんが、初めて物珍しいものを見たかのように、わずかに目を見開いた。
「一概に罪人を罪人だ、と裁くことは簡単です。彼女の過去がどうであれ、僕はイグナートを許せません。許したくはない。子供っぽい言葉だけど、大嫌いだ。…でも。それでも」
コータさんの背中が、少しだけ大きく見えた。
「…僕は、争いのない世界を作りたい。その信念だけは、彼女と同じです」
「では、コータ君。君は、どのようにしてその世界を実現するのかね?」
「静粛――」
再びマクシミリアンさんが遮ろうとするのを、コータさんは鋭い目線で制した。
そのまま、自分自身に言い聞かせるような、必死の叫びを紡ぎ出す。
「僕はまだ20年しか生きていないし、イグナートみたいな辛い経験なんて無いに等しい。甘いと言われるかもしれない。でも、暴力で、力で人を従わせるというのは、間違ってる。…これだけは分かる。そんなのは、仮初の平和だ」
一気に言い切ったコータさんの肩が、微かに上下している。
「話し合えばいい、なんて、そんな簡単な解決策があるとは思っていません。上手く言えないけど…それでも。人は分かり合える。その道を模索し続けるべきなんだ。…イグナートの問いには、明確には答えられません。どうすればいいかは、まだわからない。けど…僕は、そう思うんだ。なんだか、上手く、言えなくて、すみません」
そう言い残して、コータさんはゆっくりと席に座った。
法廷は、静寂に包まれた。イグナートさんは、彼の必死の言葉を受けて、いつもの威圧的な視線を消していた。何かを深く、深く考え込むような…そんな表情で、コータ君を見つめている。
「…ありがとう、コータ殿。では、ニーナ殿、よろしいか」
マクシミリアンさんの声に、私は弾かれたように顔を上げた。
「はい」
次は、私の番だ。
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