28時間目 『固定』の真髄
俺の左手は、豪徳寺の精神体の胸倉を掴んでいた。
実体のないはずの光の体だが、確かな「重み」があった。それは、彼が背負わされた期待と、絶望の重さだったのかもしれない。
頭上では、東雲センパイが屋上から最後の特大花火の発射準備を終えている。
隣では、凛が限界まで魔力を練り上げ、炎の翼を広げている。
あとは、俺が突き放すだけだ。
こいつを、向こう側の世界へ。
「……っ」
俺は腕に力を込めた。
だが、その瞬間。
『 相 …… 沢 …… 』
豪徳寺の唇が、微かに動いた。
狂気は消えていた。そこにあったのは、迷子になった子供のような、頼りない瞳だった。
『 俺 は …… た だ …… 』
『 み ん な と …… 帰 り た か っ た だ け な ん だ 』
その言葉に、俺の動きが止まった。
時が止まったように感じた。
もしもあの日、俺がトイレに行かず、教室にいたら。
俺も向こう側で、泥水を啜りながら、同じように泣いていたかもしれない。
こいつは悪くない。誰も悪くない。
ただ、運命のボタンが掛け違っただけだ。
(……わかってるよ)
胸が締め付けられるような痛みが走る。
俺だって、できることなら「こっちにおいで」と言ってやりたい。
焼きそばパンを分けて、コーラで乾杯して、「大変だったな」と笑い合いたい。
でも。
それをすれば、俺の隣にいる凛が消える。
屋上のセンパイが、この学校が、俺たちの「今」が消滅する。
だから。
「……ごめんな、豪徳寺」
俺は迷いを断ち切るように、奥歯を噛み締めた。
同情はする。でも、譲らない。
それが、残された側の責任だ。
「この世界は、もう定員オーバーなんだよッ!!」
俺は叫びと共に、左手を離した。
同時に、右手を突き出す。
感覚の消えた右腕に、魂を込める。
センパイ、今だ!
凛、燃やせ!
ドシュゥゥゥゥンッ!!
屋上から、東雲センパイ渾身の「対干渉用・魔力爆縮弾(花火)」が撃ち込まれる。
ボォォォォォォォッ!!
凛の両手から、巨大な炎の塊が放たれる。
爆風と熱波が豪徳寺を直撃し、彼の体を空の彼方へと吹き飛ばす。
だが、それだけじゃ足りない。
ゲートはまだ開いている。奴が手を伸ばせば、また繋がってしまう。
だから、俺が「蓋」をする。
俺の能力は『固定』。
これまで俺は、動くものを「止める」ために使ってきた。
だが、違う。
この能力の本質は――**「あるべき場所を定める」**ことだ。
俺は、豪徳寺が吸い込まれていく空の亀裂、その「境界線」を睨みつけた。
「そこが! お前の! 世界だッ!!」
俺は空間そのものに、巨大な楔を打ち込んだ。
物理的な固定じゃない。
『異世界は向こう』『現代はこっち』という、次元の理を、俺の意志で縫い付ける!
ガギィィィィィィィィィンッ!!!!
世界が鳴動した。
俺の右腕から、バキバキと何かが砕ける音がした。
だが、構わない。
俺が打ち込んだ「概念の杭」は、開こうとする傷口を強制的に縫合した。
吹き飛ばされた豪徳寺が、亀裂の奥で何かを叫ぼうとして――。
バシュッ。
音が消えた。
亀裂が閉じた。
紫色の光も、不吉な魔力も、すべてが空の向こう側へと遮断された。
後には、ただ静かな、灰色の霧に覆われた夜空だけが残っていた。
「…………」
終わった。
俺は空に伸ばした右手を、ゆっくりと下ろそうとした。
だが、腕はピクリとも動かなかった。感覚がないどころか、重力さえ感じない。
視界が揺れる。
隣で凛が何かを叫んでいるのが見えたが、音は聞こえなかった。
(ああ……眠いな)
俺は糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
最後に見たのは、泣きそうな顔で駆け寄ってくる、最高に可愛い相棒の顔だった。




